氷を殺して光を待つ

 日はとっぷりと暮れ落ちた。右から左へと流れる風は流れ、もう間もなく雨期が始まることを伝えている。診療所の屋根の上では山鳥が自分の存在を示すよう「ホーッホーッ」と月に向かって泣いていた。

 雲を座布団に、ゴロンと転がる満月。憂いを帯びた満月に豊穣を願う酒盛りはトリトン村の風習である。

 先祖からの教えに倣い、男衆は女子供を家に残して酒や肴を手に集まってきた。だが、今年は例年使用する集会場ではなく、エイドの診療所であった。


 診療所の中で一番広い待合室で車座になり、ワイワイガヤガヤと騒いでいる。だが、この騒ぎはあまりにも不自然で子供がわざとらしく楽しむようなぎこちなさがある。

 診療所の周りでは不審な足音がいくつも聞かれていた。足音の主は、新領主が雇った兵士達である。彼らの役目は、今回の集会が本当に風習としての酒盛りなのか、の確認だ。

 大の大人がわざとらしく騒ぎだて盛り上がるのは自分達は新領主に敵意がないことを示すためであり、エイドに泣きつき助けを求める老人の声をかき消すものでもあった。


「エイド先生、わしらはどげんしたらえぇんじゃ。わしらはもうアンタしか頼ることは出来ん」


 老人はエイドの服を何度も引っ張る。男たちは老人の声をかき消すよう必死に声を荒げた。


「なんで、親方はあげなことをしたとつかい。どげんしてあんなことば。コンラッド様を殺すようなことばしたんじゃろうかね」


 老人の行動を見かねた男が、彼をエイドから引きはがながら小声で囁く。


「爺さん、親方は娘のことば何年も前のことばずーっと引きずりよったったい。村の誰が悪いでもなか。あのが一番悪いったい」


 あの聖女、とはかつてこの村にいた女性 聖女リーゼロッテのことである。ほとんどの村人は彼女のことを快く思っていない。彼女と関わったばかりに、老人を引きはがした男の従兄のジェフェットは無残な死を迎えた。彼女を信奉していた親方の娘も気づけば狂ってしまった。今の村の無残な現状の根本をたどれば、聖女リーゼロッテがこの村にやってきたこと。彼らはそう信じ込んでいる。


「親方のおかげでこの村は大変じゃぁ。コンラッド様は殺され、ぼっちゃんも王都の人質ったい。そげだけじゃなか。新しい領主っちゅー人はえれぇ酷か人ばい」

「爺さんやめんかい! それ以上はいかん」


 ある者が酒瓶を床に叩きつけた。床板を叩き割らん勢いに老人は肩をすくめて周囲を見る。

 バカ騒ぎは続行中である。老人の粗相をもみ消し気づかれぬよう必死だった。診療所の周囲に張り巡らされた不穏な存在。草を踏みしめる音は壁一枚隔ててもはっきりと良く聞こえる。サクッ サクッ と、雑草を踏みつぶす音は平凡な人間の臆病な心を踏みつぶす音と同じだ。規則的な足音が変わらず、こちらに向いていないことを確信すると、何人かは緊張をほぐすよう深い溜息をこぼした。


「飲み足りねぇんかい?」


 投げかける声に「勘弁してぇなぁ」と返す。

 男たちは自分の心をなだめるよう、酒をくみながら腕にできたどす黒い痣をさする。


「我慢しぃ。ゲロ吐くまで飲むんばい」


 五十路過ぎの男が投げかけた男は明るい。彼がさすった腕に出来た痣はひどく重たいものである。

 

 ニクラスの推挙にて任命されたトリトン村新領主は武官であり、肩よりのある武闘派であった。

 転がり込んできた領主の地位に彼は大変喜び、さらなる野心を描いてこの村に赴任した。

 自分の野心成就のためには、村の変革を手土産にしなければならない。

 手土産の手始めは、意固地で卑屈な村人の意識改革である。

 領主(王都)と村人(駒)の立場を認識させるべく、躾の名目で反抗的な人物郎党を集めて苛烈な再教育を行った。

 その他の村人に対しても、自分の立場を分からせるべく「トリトン村は取り残された村」「時代遅れの村」「改革が必要な村」「取り残された自分」との思想教育を行う。

 「土の聖剣に愛された村」というプライドを打ち壊し、所や県を黙認していた自分に自己批判を広場の中央で行わせる。

 恥辱にまみれた教育に、大人たちは顔真っ赤にして自己批判を行う。

 心の中では「違う。自分はそう思っていない。全てはコンラッドの命によるものだ」と叫びながら「自分は罪深い人間」「慈悲深い新領主の元で生まれ変わる」などと批判と自己批判を繰り返す。最初は子供だましと思っていたことも、時間が経つと共に、疑惑へと変化する。自分は「土の聖剣に愛された村人」なのであろうか。本当に愛されているのならばなぜ助けられないのか。と自己が足元からグラグラと揺れ動いていく。

 自尊心が崩れていく現実に、皆恐怖を覚えた。腕に出来た痣は教育の証。傷つけられた自分を慰めるようのために必要なのだと言い聞かせるのであった。



「エイド先生、あんたは酷いことばされとらんね?」


 エイドにすがりついた老人が彼の手をさする。冷たい肉ヒダの手はエイドの美しい手に重なる。


「私は大丈夫です。酒気<精神的>にこたえることはあっても、まだまだ」


 新領主も多少の知恵はある。この村での彼の立ち位置については割と早い時期に気づいていた。

 コンラッドが権力で村を支配する一方、村人の鬱憤を抑え込んでいたのはエイドであった。医者の立場で人々の不満を掬いあげ、やんわりとコンラッドに渡す。不満を全て解決することは出来ずとも、要を抑えガス抜きをし、コンラッドの権力行使を認容させた。

 結局のところ、コンラッドは村の寄る辺である。一つの寄る辺を失い、戸惑う村人が縋るのは第二の権力者エイドだ。

 新領主はエイドを自分と村の交渉人かすがいとし、手荒なことは一切行わなかった。この集まりも「エイドが主催」「エイドの診療所」であるから許された。


「明日、領主側へみなさんへの対応の改善を進言してみます。自分が思っていないことを強要されるのは、医師の立場として是認するわけにはいきません。心の破壊行為に一歩を見逃すわけにはいかない」


 静かで心強い言葉であった。若い男の染み入る声に、男達は不覚にも目に薄い膜を貼った。


「先生、本当にすまん。わしらが、力がないばかりに」

「いえ、違います。私ができることだから、するのです」


 老人の目に薄い膜が張られる。「頼む」と言いたげに浅黒い腕がエイドの肩を力なく叩いた。


「ほんまエイド先生は若いのにえら――」


 老人の言葉が途切れた。そして、マジマジとエイドの顔を見ると再び口を開く。


「エイド先生、あんたぁ、本当に年を感じさせんねぇ。アンタもワシも同じよう年とってるはずばってんっがっさい、アンタ、老けた感じせんけんが。どげんしたらそんな外面ばよくできるとね」


 彼の言葉に皆エイドの顔を見る。リーゼロッテが死に長い年月が経った。壮年の自警団飲の男は今では五十路を過ぎている。

 しかし、エイドだけは二十代後半の男性にしか見えない。何人かがエイドの隣に立ち「俺達同い年ばい」と言っても、この村人以外は冗談にしかとらないだろう。それだけ、彼の顔身体は若いままである。


「コンラッド様は昔からフケ顔で、年を重ねて丁度良くなったけんど、エイド先生は違うばい」

「せじゃな、どげんしたらこんなに若くしておられるとね」

「そんなことはないですよ。みなさんの勘違いですよ。私だって年を重ねています。見えないだけで、顔だってどこだって若い頃と比べればハリもツヤも無くなってきています。本当に、年をとってるんですよ」


 苦笑いを浮かべるエイドに、皆声を押し殺して笑った。

 そう、それは何かの冗談であると認めたように気にすることもない瑣末な一点のように流れていくのであった。

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