幻影の影奉仕05

「男よ、一つ聞こう」


 ハシムの傍らに立っていた男は縛っていた口をほどいた。無表情を保っているが、内心呆れ返っている。この男にも、ハシムにも、キルクにも、である。


「スナイル国騎士規則では戦により死した者には慰労と敬服の意味を込めて弔慰金給付と終生免税を行っている。先の戦争が終り、かなりの年数が経っている。私もこの立場を得、長い年月が経つ。就任当初よりこの手の陳情を聞いてきた。もう世迷い言を聞くことはないと思っていたが、よもやもう一度紡ぐとは思わなかった。故に、義務として問おう。貴君は騎士団の弔慰金と税の免除を受けておきながら尚且つ、金をせしめる為に王の名を語ろうとしているのではないか?」


 男は顔を上げて、首を横に振った。両手を胸の前で重ね、祈るように答えた。


「申し上げます。確かに私は騎士団より弔慰金と終生免税の用意があると言われました。しかし、しかしです。私が欲しいのはお金ではありません。息子を生きて返して欲しいのです」

「やはりそうか。残念だが死んだ者を生きて返す事は出来ぬ。だから我々は貴君の息子の代わりに弔慰金と終生免税を行っておる。貴君の悲しみは理解できる。だが、ならぬだ。貴君は受け入れる権利を放棄し、自分勝手に叶わない願いを押し付けている。人はソレをと言う。貴君の主張はワガママしかり。貴君はワガママと通そうとイヴハップ王の名前を口にし、王子たちを誑かす。この所業、例え聖剣が許そうとも私が許さん!」


 ビリビリと空気を震わせる野太い声。ハシムやキルク。その場に居合わせた者の姿勢が糺される。

 だが、騎士団長の言葉こそ、この国の姿勢である。

 死んだ者は決して元に戻らない。目に見えぬ言葉・感情・誠意を相手に示す為には形のある金が最適だ。金は決して死した者と対等にはなれない。だが、国が哀悼の意を評するにはこの手段しかなかった。

 国から与えられた家族を渋々受け取る者がいた。転がり込んできた大金に諸手を上げて喜ぶ者もいた。そして、彼と同じように家族を返せと言い寄る者もゴマンといた。それでも国は「これで手打ちに」と頭を平に平に下げて金を与えるのだ。

 騎士団長の言葉に男の心は何を感じただろう。白く濁った眼に黒い油が一滴落ちた。ゆらゆらと揺らめく眼球はゆるりと自分に背を向ける王子を見つめている。黒い服に身を包んだ背中は、慣れない兵服を着た自分の息子の背中に重なって見えた。


「戦争で大将の首一つ取れば、父ちゃんは楽さできるけん」


 彼の息子はそう言って笑顔で旅立った。頼りないと思った背中に彼は喝を与え「父ちゃんを楽させておくれ」と返してしまった。その後、彼はどのように死んだのか、知ることは出来なかった。彼の死が事務処理の一環として扱われたことから察するに、国に使い捨ての駒のように使われたのだと確信した。死してなお、息子は男の夢に出る。自分は死にたくなかった。このように簡単に捨てられたくなかった。夜ごと現れる息子に彼は謝罪の言葉を投げ、大金の海に沈んだ自分を激しく後悔した。

 自分は間違っていた。手にした金と権利を放棄し親として何をなすべきだったのか。囁く声に身を委ね、彼は決意する。

 国は無限に金を作る力がある。それならば、その力で息子を返してもらおう。例え邪法と呼ばれる手段であったとしても、国には被害者へ贖罪する義務があるのだ。

 男の心に火が灯る。騎士団長に踏みにじられかけた決意(火)は感情をたっぷり含み帆柱を立てた。


「話はまだでございます!」


 男の言葉に王子たちの足が止まる。


「えぇそうでしょう。貴方たちは私の言葉を信じることが出来ない。わかります。しかしこの言葉を聞けば、貴方たちは私の言葉を信じるはず!」


 含み笑いを浮かべる男を見てコルネールは何かを察した。長年にわたる勤労戦士のカンか、聞かせてはならぬと告げていた。


「ハシム様、キルク様、聞くことはありません。このような与太を聞く価値などない」


 彼は丸々とした身体で体当たりをし、二人を王宮に押し込もうとする。聞くな聞くなと言うが、年を重ねた者の力なぞ若い二人には負ける。二人はコルネールの押しのけた。腕力ではなく、好奇心が押しのけたのであった。


「王の資格とは!」


 男は立ち上がり天に吠える。


「民の嘆きを飲み干す者なり。民の声を受肉し冠を戴く者が王である」


 明瞭に響き渡る声。「ほぉ」と呆けた者がいる一方、息を飲むのは二人の王子。彼の言葉はイヴハップ王から聞かされた帝王学の一端である。歴代の王が未来の王へ渡す言。誰も知らない言葉。誰にも知られてはならない言葉。何故その言葉を。と問いただすことすら許されなかった。男の声の後ろに、幽かな父の声が「聞くな」と告げていた。

 キルクは男に背を向ける。頭の声では感情と情報が入り交じっていた。何が正しく、何が間違っているかの正誤よりも自分は彼に関わるべきではない。との判断が勝っている。聞けば聞くほど、自分が不利になる。この場から離れようとしたが、あの男が「逃げる」ことを許さなかった。


「イヴハップ王もかわいそうなお方だ。素晴らしい名声を築き上げたとしても息子二人がこのような体たらくであれば、王の名声は先代限り。いや、ハシム王子はまだ自分から手を差し伸べたのでまだしも。キルク様、貴方はそこで立ち止まり、背を向け興味ないと逃げ出そうとする。そのような人が王になるなんて……。そんな人が王になる未来のために、私の息子は死んだのですか? 私の息子が死ぬぐらいなら、何の役にも立たない貴方が死ねばよかったのに」


 男の冷ややかな視線はキルクへ向けられる。一言「私の息子を返してください」とキルクへ言った。ハシムの時は皆こぞって彼に助け船を出す素振りを見せたが、少数派のキルクに誰も手を差し伸べない。

 この場でキルクに手を出せば、ハシムやハシムに組する者多数者から何をされるか分かったものではない。

 彼は一人、この場を切り抜けなけるしかないのだ。

 キルクは空を見上げる。遠く透き通る空。大声を発し彼のように狂えばこの場は冷たい視線と共に静まる。だが、彼は発狂したい感情を抑える。彼には立場があるのだ。国民に問われた言葉に、答える義務があるのだ。


「私は、死ねない」


 低く透き通る声は人の隙間を縫って男の元へ届く。


「貴方の息子が亡くなり悲しい思いでここに来たのは理解できる。しかし、それまでだ。貴方が父の言葉を語っても、私は父王から貴方のことを継いでいない以上、貴方の言葉を真実とは認められない。仮に、貴方が父王から我々を頼るように言われたのならば、残念ながら虚言。彼は、自分の帝王学を貫くため、『貴方の気持ちは理解できる。だが、自分は武力しかない。だが、息子は違う。彼らには知恵がある。だから死後息子を頼れ』とでも言ったのでしょう。ですが、彼は貴方の息子を生き返らせるつもりは全くない。最初から貴方をだますつもりでした」

「……」

「彼は貴方より長生きすると思っていたのでしょう。貴方が先に死ねば、貴方の難題は無かったことになる。だが、結果は外れてしまいこのような始末です」

「……」

「彼は、私たちに言いました。民の嘆きを飲み、受肉せよ。それは彼の王道なのでしょう。けれども、叶うわけもないものを叶う。と言うどこに王道があるのか。残念ながら、貴方は父と邪道を歩かされたのです」

「……」

「貴方の怒りは理解できます。殺す矛先は兄様では無く私でしょう。私を殺そうとするならば殺せばよい。貴方には私を殺す権利がある。だが、私は死なない。殺されない。剣を手にし、国の為に生きると決めた日より、私は生きることを決めた。その道を貴方が遮るのであれば――」

「お言葉ですがキルク様。一つ、男の願いを叶える術がございます」


 混沌とした空気を絶つ様に済んだ声が響いた。二人は声をする方向を向く。そこに佇むのは一人の男。涼やかな顔立ちをした彼の目には火の穂が立っていた。


「オリヴァ」


 キルクは彼の名を呼ぶ。オリヴァは足音を響かせ、男に近寄った。男の顔をじっと見つめた。


「お前の息子に会わせてやろう」


 背筋に冷水を浴びせるような低い声。手が動いた次の瞬間、銀閃一刀。オリヴァの頬に紅が塗られていた。

 帛を引き裂くような女の悲鳴。刺激臭、腐乱臭。脳みそを鷲づかみにする死の匂いがあたり一帯を漂った。顔をそむける臭気の中、血の水たまりに手首が二つ落ちていた。血だまりにボトボトと血液が注がれていく。男は水たまりと腕を交互に見つめる。脳髄を焼き切らんばかりの痛みに咆吼をあげ、仁王立ちのオリヴァを睨む。


「男よ、私は感動した。貴君はイヴハップ王の死を悼み、樹の聖剣 イグラシドルへ無事にたどり着けるよう旅路の同伴を申し出るとは……。王を愛する国民の模範ぞ」

「お、お前は何を――」

「そう言うことなのだろう? 息子を生きて返せ。あぁ。生きて返す手段はこれしかない。貴君の息子は先に聖剣イグラシドルの下で眠っている。王と共にイグラシドルの下へ行けばと出会えるはずだ?」

「貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様あああああああ」

「息子に出会えばついでにイグラシドルに言えば良い。息子と共に現世に還せと。イヴハップ王は、貴君の忠義の褒美として陳情に口添えをしてくれるかもしれん」

「違う。違違違違違違違違違違違。違宇違得違卯違得」


 男の呪詛を一顧だにせず、彼は狂人の首を撥ねた。コルネールは「これ以上旅立ちの儀を血で汚すな」とオリヴァを叱責したが時すでに遅し。コロンと首が天を恨む前、騎士団長は心臓を先端が針のように細い剣で突き刺し、止めを刺していた。


 水を打ったように静まる玄関前。忌々しくオリヴァを睨むハシムとその者達。

 やり場のない感情を飲み込むキルク。

 喜劇を堪能したユーヌス。

 三者三様。思い思いのまま事切れた亡骸を見ていた。


「イヴハップ王、貴方が課した課題はこれだったのでしょう? 自分を仇なそうとする者は殺せ。自分の手か、他人の手で」


 オリヴァの呟きを聞きながら、騎士団長は剣についた血液と脂肪を振り払い、騎士が差し出した布を受け取った。


「あの方らしい」


 儀式用のエペを磨き、若き筆頭侍従に同調し言葉を締めた。

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