幻影の影奉仕04

 旅立ちの儀は終りを告げた。ハシムを先頭に儀に参列した者が王宮へ戻って行く。中庭から正面玄関へたどり着くと、門扉の向こう側より王子たちの名を呼ぶ者達がいた。既に嘆きの壁は壊れ、今は若き王子たちの姿を見ようと居残る野次馬の集団だ。気をよくしたハシムは声に応え、手をあげようとしたが、騎士団長はわざと視界に入り反応することを許さなかった。ハシムは人々の姿を見ようと、身をよじるも、また騎士団長は彼の視界に入った。


「団長、何故邪魔をする。国民の前だ。今、皆の期待に応えずいつ応えるのだ」

「ハシム様。ご理解下さい。あの声は貴方への期待の声ですが、明日はあなたを殺す声となるかもしれません。そのような声に応じる必要はありますか?」


 反論を許さない口調。騎士団長を前に、普段は傍若無人なハシムは借りてきた猫であった。咽喉仏で「クソッ」と零れる声を押し殺し、「不満だ」と態度で示す。


「王子、火の剣を」


 差し出した彼の手を、荒々しく払い一矢報いらんとにらみつける。青年のささやかな反抗なぞ、彼の前では児戯同然である。胸元を突くよう鞘の切っ先を向けて返すのであった。 さぁ、キルク様も。と声をかけた時だった。ツンの鼻につく刺激臭が辺りを覆った。


「ねぇ、オリーちゃん。何か匂わない?」


 異変を口にしたのはユーヌスだった。オリヴァは、スンと鼻翼をふくらますとすぐさま不快な臭いが飛び込んできた。咄嗟に口元を手で覆うとしたが、王子たちの面前で口を隠す事は、いかがわしいことを企んでいると思われるため、「失礼」にあたる行為である。上がった手を抑え、喉元で感情を抑え込む。誰かが礼を失していないかと上役の表情を伺うも渋い表情を浮かべるだけであった。

 一体何の匂いだと人々が口にする中、野次馬の壁から野太い声がした。


「ハシム様 キルク様」


 皆、声のする方を向く。一か所、ポッカリと人がいない。野次馬が散り散りと離れ、解れ、中からボロ衣を纏い素足の中年の男性が現れた。

 女のように伸ばした髪。十分な栄養が届かずやせ細り、色は抜けて毛先は割れてはねていた。浅黒く矮小な体。肌の色は、何年も熟成させた垢の色である。身にまとう服はボロ衣。茶色く黄ばんだ衣の元の色は皆目見当が付かなかった。ただ、その色を見るだけで喉元にせり上がるものがあった。


「イヴハップ王の約束を守ってもらいます!」


 彼は黄ばんだ歯からしぶきが飛ばす。自分の強い意志を見せつけるかのように王宮内に足を踏み入れた。しっかりとした一歩である。

 平民の無許可な立ち入りはご法度である。見つけ次第引き止めるのが平民のであるが、野次馬達に新しい王への忠義はない。汚物に触れたくない一心で誰も彼を止めることはできなかった。


「止まれ。許可なく入る―――ウボヴェエエエエエエ」


 仕事に忠実であろうとする守衛が止めに入った。勢いに任せた一歩は臭気と無防備であった。臭気は目に見えない細かな針である。無防備な眼球を針山のように刺し尽くす。臭気は、目に見えない侵入者である。堂々と鼻腔に入り込むと収穫を掻き乱し、体内の呼吸器官の自由を奪う。

 痛み、苦しみが脳へ「助けて」と救いの手を求める。

 脳は、痛み・苦しみの解放として、消化しきれなかった胃の内容物を大地にぶちまけた。

 背中を丸め、ゲェゲェと嘔吐を繰り返す守衛に、不審者は”ざまぁみろ”と言わんばかりに黄ばんだ隙っ歯を見せた。

 もう、彼を止める者はいない。

 騎士団長は王子達に王宮へ戻るように声をかけた。石の階段をかけ登れば安全な場所へ避難できる。にも関わらず、二人は数段上っただけで足を止めている。二人は初めて見る浮浪者に驚愕を隠せず、釘付けであった。

 発酵した体臭。汚れたぼろ衣を着用できる感性。他者を顧みない振る舞い。自分たちの生活の反対側に属する存在を見て、足許から常識が揺れ動かされるのであった。

 とうとう不審者は二人の前に到着する。

 彼は、階段下に膝をつき、「無礼を働いてしまい申し訳ございません」と落ち着きを払った声で頭を下げたのだ。


「ハシム様、キルク様!」

 

 コルネールは二人の一段下より二人を見上げ、鋭い声を放つ。


「見てはなりません! アレは、身を不潔に保つことで、我が国の苦難を避ける事を勤めとするものです。国の禍を一身に背負いし者でございます。しかしながら、不浄の身。人の目につく場所にいる事は許されておりません。もし、アレに軽々に触れてしまえば、災厄が移ってしまう。ましてや、高貴な貴方達。アレより禍が移ってしまえば国が傾いてしまいます」

「何を言うか。ソレはお前達が飼っているだけであろう。私はそのような者ではない! ですが、ハシム様、キルク様。あなた方はそのような存在を知らないのでしょう? ならば、知っておくべきです。国にはそのように犠牲になるべき人がいるということを」


 男は顔を上げ、二人を見据えた。


「おそばせながら。ハシム様、キルク様、私はイヴハップ王との約束を果たしてもらうために参りました」

「約束?」


 臭気は停滞し、嘔吐も連鎖を始めた。侍女の一人は王宮の影へ駆け込み背中を震わせた。一人、また一人。王と不審者の約束を耳にできるものは選ばれた者のみとなってしまった。


「約束とはなんだ」


 ハシムは騎士団長とコルネールを押しのけて階段を降り、男に質問した。長兄の問いに男は頬を染め、黄ばんだ歯を見せる。前のめりになり、両手を拡げた。脇の裂け目から生えっぱなしの黒々とした腋毛が見えた。ムワッと醸し出す生臭さに、ハシムは半歩後ろへ下がった。コルネールは顔をしかめながら「戻るように」彼の腕を強く引いた。


「私には一人息子がおりました。ですが、先のヨナン国との戦争で亡くなりました。国は、息子を勝手に取り上げ、殺しておきながら『お前の息子は死んだ。名誉の死だ』というだけです。自分たちは奪っておきながら、死ねば形だけの名誉で知らぬふり。おかしいと思いませんか?」


 顔の中央、自分の存在を主張するギョロッとした目が若い王子を見据えた。目は特別な意思を持ち、二人が自分から目を離さぬよう監視しているようにも見える。

 ハシムはキルクを振り返り目配せをした。彼は首を横に振ると、理解したのか、ゆっくりと頷いた。

 政務に関して、二人はコルネールから指導を受け模範的回答を識っている。だが、模範解答は模範。この男には模範は通用しない。模範とは、単純一面の感情の発露の場合に生きる。

 彼は理性的と思わせる口調で二人に話しかけている。しかし、言葉の端々からは強い怨恨が伺える。「国の不作為」対する模範回答を差し出すことは火に油を注ぐ結果となる。だから、「今」は何も言わない。彼の感情をなだめるよう、沈黙を保ち言い分に耳を傾けるのだ。


「王子たち、何故何も言わない。何故答えないのですか? 答えられないのですか? 答えたくないのですか? それとも、答える度胸もないのですか! 

 あなた方のどちらかは王となるべき存在。国民の名前の声を聞かなくても良い。という考えはただちに捨てるべきです。逃げてはなりません。国民の声を前にし背を向ける軟弱者など、イヴハップ王の次なる王とは認めません。イヴハップ王はどのような声を前にしても戦いました。そのような王をあなた方は継げるのですか!」


 彼の演説に野次馬は押し黙る。あれだけ二人を称え職棒のまなざしを奥ていた者たちは顔つきを変えて二人の王子の値踏みを始めた。

 場の空気の変化にオリヴァは気づく。一刻も早く男に退場してもらうべく視線をユーヌスに送った。


「ユーヌス」


 オリヴァの呟く一言にユーヌスの目は動いた。


「なに? オリーちゃん」

「仕事だ。頼めるか?」

「いいけれど、それで事は片付くのカシラ?」

「キルク様の命には変えられない。をいちいち聞いては仕事にも支障が出る。さっさと引きずり出してハシム様がそれらしい言葉を言えばこの場は収まる」

「あら? キルク様には言わないの?」


 ユーヌスの意味ありげな質問には答えない。オリヴァの目が男に戻るのを見計らい、「高くつくワヨ」と返した。黒い痩躯は人の隙間を縫うように飛び出した。


 男の視線は二人の王子に釘付けだ。ユーヌス達はの姿は階段付近にある。皆、黒いローブを着用しているおかげでユーヌスが身体を屈め、大回りに近づいていても誰も気づかない。彼の靴が布で出来ていることもあるが、軽やかな動きは音一つさせないものである。

 彼の目は、男を把握した。自分の支配領域内を入り込んだと確信すると、ローブの下から十字形状の短剣スティレットを取り出した。

 つま先を蹴りあげる。身体を沈め引きをひそめる。足音も存在感を全て殺し、黒い風は背後から男を襲った。


「ゴメンナサイネー」


 足の間にはユーヌスの長い足が入り込み左ひじで首を抑え込む。逆手で柄を握り、針のような切っ先を顎に突きつけた。


「お仕事だから、許してネー」

「なんと。この国はに頼らなければならないほど弱っているのか」


 糞肌。肌が黒い者に対する蔑称だ。限りなく禁句に近くユーヌスのような有色人種が聞けば怒り狂う事は間違いない。不審者は、ユーヌスが怒り狂う事を願っていただろう。


「そだねー。否定しないネ。それより、早く謝罪ナサイ。今なら命までは取られないネ」

「じゃぁ、命以外の何が奪われるんだ。俺の白い肌がお前に奪われるのか?」


 ユーヌスは「うーん」と声を上げ、サディスティックな笑みを浮かべた、


「何も奪わないネ。ずーっとお仕事できるヨ。今より良い服も貰えるし、貴方のようなマンマも食べれるネ。寝る場所もあるネ。それ以外、必要なものあるカ?」

「私の息子を返せ」

「あ、ソレ知らない。ドウデモイイ。やっぱり私は仕事するだけネ。あんたを引きずり出す。でも、私もスルね」

「何を。これは、私と王子の問題だ。部外者は――」


 男の言葉は途切れ、「ングゲェ」とカエルをひねりつぶすような声が上がる。彼は首を締める力をさらに強くした。細い二の腕に贅肉はない。ほぼ筋肉である。男の顔が赤くなる。熟しすぎた赤い果実のようだった。けれども、彼はこれでも手加減している。オリヴァの許可さえ出れば、もう一つ別の色へ変色させるつもりでいた。

 ユーヌスが作った時間をコルネール達はありがたやと活用する。コルネールは野次馬を散らそうと指示を与え騎士団長は王子たちの安全を確保した。オリヴァは男から目を離さず、兵士を携えユーヌスに近づき男の確保を指示した。

 事態の収拾を量ろうとしている時だった。


「ユーヌス女官補佐、彼の者を話しなさい。彼は父王との約束を果たすためにこの場へやってきたのだ。客人だ。客人に無礼を働く事は私が許さない」


 ハシムは騎士団長の身体に自分の身体をぶつけ、肩越しに叫んだ。


「コルネール。父王は彼にどのような約束をしたのか、私は聞きたい」

「しかし、ハシム様、御身が……」

「コルネール、父ならこのような時どうしたかわかるだろう?」


 ハシムの問いにコルネールは何も言い返せなかった。近くの兵士に「皆を戻せ」と命じると野次馬を散らしていた兵士は不承不承戻ってきた。


「オリーちゃん?」


 ユーヌスの力が緩んでいく。オリヴァはすぐにキルクへ視線を送った。顎を少し引く合図を確認すると、ユーヌスに「解放しろ」と指示を出した。


「騎士団長、命令だ。私を離せ」


 騎士団長の目が糸のように細まった。だが、命令だ。道を作るとハシムは進んで男のもとへ歩み寄った。


「自己紹介が遅れて申し訳ありません。私は、ハシム・ペイトン。イヴハップ前王の長兄です。貴方のご子息が我が国の礎となったとのこと。寡聞にして存じませんでした。亡くなられたご子息に深く哀悼の意を示すと共に、あなたに対しては国としての対応に不備がなかったか確認させていただきます。確約は出来ませんが、相応の対応は致します。今日はこれにてご納得戴けませんか」


 ハシムは風格に似合わず柔らかく語りかけた。穏やかな口調であるが、頭は下げなかった。同時に「保障を行う」とも言わず、「調査する」と述べるのみ。言葉を知っているであろう騎士団長に視線を送り。「良いですね」と声をかける。彼はとりたてて表情を変えることなく「分かりました」と答えた

 

「ハシム様、違うのですよ」


 男は額を地面にこすりつけ、おんおんと泣き叫ぶ。まるで幼児の駄々のこね方である。ハシムは一瞬表情をしかめたが、すぐに先程の顔に戻す。


「イヴハップ王は約束してくださいました。私の息子を生きて返すと。イヴハップ王は自分は力が足りないが、二人の王子は作を持っている。だから、王が死んだあと、ハシム様とキルク様を頼るようにと私に言い『息子を生きて返す』と約束して下さったのです」


 男は地面を叩いた。垂れた頭。仄暗い影の中、カラカラに干からびた目尻は大きく見開かれていた。息子の死を嘆き流す涙は枯れ果てていた。涙の代わりに見せる感情を誰もうかがい知ることは出来なかった。

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