初夜編 サヨナラになる前の遊戯05
ハシム達がいない閣議の間、キルクと一部の臣下達は、残された議題について整理をしていた。雑務と押し付けられ、何一つ物言わぬ王。そのような王の行動に足元を見る者はいるが、こうして話し合いに参加する大臣達も存在する。
「キルク王はいらっしゃいますか!」
ようやく一息。といったところで、高価な皿を割り慌てふためく若者の声が響き渡る。あまりにも甲高く、落ち着きがないため、「何事だ」とコルネールが咎めるように答えた。
彼は、オリヴァを呼び出したあの伝令兵である。彼は慌てて、は背筋を正し敬礼の姿勢をとる。二度三度、大きな深呼吸をし、心を落ち着け、大きく口を開いた。
「報告します。ハシム王が閣議の間来客控え室にて抜刀。オリヴァ・グッツェー筆頭侍従補佐が負傷」
伝令兵の報告に、その場にいた者はザワザワと浮き足立つ。何故、ハシム王が抜刀を。と皆、口にするも彼の性格を知る者だ。これらの言葉は影をさす王への慰めである。王の変化に、すかざすコルネールが伝令兵に問いただした。
「オリヴァ・グッツェーがハシム様に謀反の意でも示したのか?」
「違います。そのような事ではなく、ハシム様の興味と……」
コルネールは乾いた笑い声をあげ、眉間に皺を寄せる。キルク以外の者達は、もう表情すら隠さない。ハシム王がそういう理由でけんを抜くだろう。と諦めを思わせる空気。そのような中、口数の少ない者が伝令兵に声をかけた。
「オリヴァ・グッツェーは無事なのか?」
腹の底から絞り出す王の声。珍しく自ら口を開く王に、皆驚いた。そして、王がオリヴァをどれだけ深く心を寄せているか理解する。
「あっ」
王が口を開くのは珍しい無口な王。その事実は、大臣のみならず王宮で働く者は周知の事実。また、例え王が口を開きたいと思っても、彼らの意思を代弁するのが侍従の役目。故に、王と言葉を交わせるのは大臣といった指折りの職位の人間のみ。ほとんどの人間は王から声をかけらえる事はほとんどない。
「若者。王の問いにーー」
「良い。わかる範囲で答えよ。貴君の身の保証は私がしよう」
伝令兵は生まれて初めて聞く王の声に目を見開く。凡庸なる人間が王という国のてっぺんから声をかけていただく事など夢のまた夢。よもや声をかけてもらえるなど思ってもいない。それだけではない。「身の保証をする」という言葉まで授かった。青年は、足をガクガク震わせ、深い黒色をした王の目を見つめる。膝だけではなく、顎もだらしなく震え出す。
王がいる。
王が言葉をかけた。
伝令兵はカラカラに張り付いた喉に道を通すよう、唾液をゴクリと飲み込む。皮をはぐような痛みは、立ち上がる痛みに似ていた。
「生きております。私は、グッツェー殿の声をこの耳で聞きましたっ」
彼の答えに、キルクは「そうか」とだけ答える。王は、コルネールに耳打ちをする。コルネールは何度かキルクに問いただすも、コルネールの意見は通らなかった。念を押すように「良い」と言うと、コルネールは王の言葉を伝令兵に伝えた。その内容は、伝令兵の予想を大きく超えたもので、彼は大きな目をさらに見開らきとコルネールに腰を曲げる。コルネールは彼の肩を叩く。すると、伝令兵は敬礼の姿勢を取る。まっすぐに伸びた背筋をゆっくり、曲げていく。綺麗な敬礼に、王は王らしく顎を引いた。そして、伝令兵が顔をあげると、そこには違った表情が浮かんでいる。若者らしく眩しく明るい表情。兵士には似つかわしくないあどけない笑顔を浮かべて、その場から去っていった。
コルネールは薄ら笑いを浮かべ、キルクの近くに寄る。この男程、あの伝令兵の笑顔が似合わない男はそういないだろう。
「アレは、ハシム王に近い大臣の使いです。王宮内での人傷沙汰。事を大きく見たのでしょう」
「ハシム王の目もあるだろうに。よく伝えてくれた。その大臣の動向を注視しておけ。あと、伝令兵にも多少の褒賞と、身の安全の確保。これらを確実に与えておくように」
そういうと、キルクは立ち上がる。服の裾を手で払い、歩き始めた。
「キルク様。理解しているかと思いますがこれはハシム王の嫌がらせにございます」
コルネールの声がキルクのつま先に突き刺さる。コルネールの言葉など、皆理解している。ハシムが凶行に走るのはそういう意味だ。キルクが大切にしている者が傷つけられて王宮に戻ってきた。その者を壊してしまえばどのような反応をするのか。ハシムが求めるのはオリヴァを通したキルクの反応だ。
「わかりきっても、行くのですか?」
「あぁ。ハシム王に問わなければならない」
「行けば、あなたの冠は無事であるとは限りません」
「あぁ。そうであるな」
そう答えると、キルクは再び歩き始めた。コルネールはもう一度、言葉で静止を促す。彼は、もう一度立ち止まり、コルネールを見つめた。眉間に皺を寄せ、口を真一文字に縛る王の表情。何も知らない人たちは、キルクの怒りに触れた。と勘違いしたに違いない。だが、幼い頃よりキルクを見てきた人間は、彼が考えている事など手に取るようにわかる。年配者として、彼は目でキルクに問いかける。何故、ハシムはあのような行動に出るのかと。言葉をかわさぬ問答である。
(兄様は、共王といえども序列を作りたいのであろう)
キルクはそう考えた。イヴハップ王の死の際、旅立ちの儀を含め、全ての公的行事に監視、ハシムは率先して前に出た。まるで、自分にのみ王の冠が与えられ、王にふさわしい人間であると誇示するかのようにだ。しかし、ハシムの願いは、コルネールをはじめ、老獪なヒヒ共に崩される。ハシムの頭には、半分に割られた冠が被せられた。見下している弟と共にだ。
前王が死に、二つに割れた王の冠を一つに戻そうとハシムは考えあぐねいたに違いない。キルクより、有能、腹心も有能である事を示せば、王の冠が戻るとでも思っただろう。王の序列を前にし、権力の動きに嗅覚が鋭い大臣また、その椅子を狙う者達がどう動くかなど、ハシムもキルクも十分理解している。
(コルネール。兄様は、王になりたいのだ)
キルクはコルネールに目配せをする。しかし、彼からは手応えのある反応はかえってこない。終わった問答に、見切りをつけ、キルクは今度こそ扉に向かいだした。
「問うて帰ってくると良いですね。しかしお言葉ですが、あなたの腹心。グッツェー殿はもう筆頭侍従には戻れない。これは、閣議で決まった事。例え、王であっても、覆すことができません。そのような彼に救いの手を差し出すのは、いささか酷な事では」
王は扉に指が触れると、足を止める。コルネールは、あえて自ら王の虎のしっぽを踏みにいった。
「彼は私の部下だ」
王は振り向かない。ただ、静かな声はよく響く。
「大切な部下一人守れず、この国の民を守れるものか」
「キルク様。繰り返しになりますが、グッツェー殿はどうにもならない。もはや、特別扱いはできません」
「コルネール。確かに人を平等に扱う事は大切だ。だが、私の右腕が切り落とされそうになっている。自分の身を守る事と、人を平等と扱う事とは話が違うっ」
低く威圧する声。王の影を踏むことを、一度目は許せども、二度目はない。王という冠をかざす事のない人物から、明確な警告である。流石のコルネールも、チキンレースが過ぎたことを反省する。形式上、謝罪の意を示し、片膝を床につけた。
「二度は言わせない。私は、ハシム王に尋ねる」
そういうと、キルクは部屋を後にした。その場にいた臣下は、ハシムと同じよう王の後をついていく。その場に残されたコルネール。彼は立ち上がると、膝についたゴミを手で払う。顎に手を当て、何やら物憂げな表情を浮かべ、部屋の中をグルグル周り出した。彼も良い年齢だ。一周 二周したところで休憩が欲しくなる。彼の視線に、ちょうど良い休憩スポットが目に入る。先ほどまでキルクが座っていた椅子。王の人柄を示す、木の椅子。背もたれには、職人が手彫りしたレース思わせる彫り込み。肘置きも、蔦の葉が彫り込まれていた。
彼は、そんな意匠を気にすることなく、机の上に肘をついた。丸い顎を手背に乗せる。彼は、その場所から見える景色を強く焼き付けた。
開け放たれた扉。こもった空気が流れ、生暖かく鮮度のある空気が部屋の中に紛れ込む。
風の動きはハシムとキルクの動きによく似ている。
「青いな」
風がコルネールの体を撫でていく。王座から見える景色は予想以上に低かった。
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