初夜編 サヨナラになる前の遊戯06

「王はこの国の最も高いところから政を行います。しかし、我々とは違い、自由に動くことはできません。自由に動けず、閉じ込められた世界でどのように国を見るのでしょう。」


 オリヴァはまず、ニクラスを見た。彼は「当たり前のことを」と漏らすも、オリヴァは彼の反応に首を横に振る。


「王が政を行うために必要な目と耳。侍従達を使いを収集し纏めるのが筆頭侍従の務め。勿論、己の足で収集することもありましょう。王の目として王に必要な事を。王が望む前に耳として記憶し、集めること。これら一つでも欠ければ筆頭侍従たりえません。」


 オリヴァは視線を落とした。これらは、トリトン村に赴く際、コルネールがオリヴァに言った言葉である。彼もまた、知っている事を。とニクラスと同じ反応をコルネールに返した。オリヴァは「自分さえよければ」王の目と耳たりうると考えていたのだ。コルネールが指摘したとおり、オリヴァが集めていたのは物事の上澄みだけで、真価までは捉えきれていない。


「今回の任務は幸いでした。トリトン村。国の末端とも言える村です。そのような村は滅多と行けません。それだけではない。この村は珍しく王都に対する心証は最悪な村です。聞くところによると、魔獣の襲撃を受けた際、当時の領主が復興要請を王都に依頼したのにも関わらず、王都はヨナン国との戦争を理由に拒絶した事が理由」


 ニクラスは再び「過去のことだ」と漏らす。彼のいう通り、コトウの物語は過去のことである。現在を生きるニクラス達には関係のない話。ヨナンとの戦争は当時としては十分すぎる理由だ。


「仕方が無い。過去の事だ。そう言うのは簡単です。ならば、今を考えなければならない。断言します。あの時の王都の判断は誤りだった。もしも、王都がトリトン村の要請を受け入れれば、王都・王宮の信頼はここまで低くならなかった。弱い村は、強い王宮に助けてもらわなければいきていけない。この自明の理とも言える構図を理解せず、断った。王都に捨てられたトリトン村の立場から考えると、もはや絶望しかないでしょう。誰も助けてくれないならば、自分で身を守るしかない。減りゆく村人の未来を守るために考案された初夜権。前近代的で人の尊厳を踏みにじる行為であったとしても、持続可能な手段としては、彼らには、その道しかなかったのです」

「だからといって、イヴハップ王が禁じた事。それを、守らない理由にはならないだろう」

「えぇ。なりません。しかし、王都はあの村を守らなかった。守ってくれない国の命など、誰が従いましょう」


 村人の異常なまでの王都への偏見。「王都」という言葉で感情的になり、「王都」の来訪者には白い目を注ぐ。見捨てられた事への失望が生まれついた時から根付き、王都を見下す理由に、土の聖剣を持ち出した。そうでなければ、彼らは、自分達を保てない。弱者なりに編み出した生存方法である。


「国とトリトン村の理不尽な構図。それは、領主と村人も同じ。領主は、初夜権を持ち出し、無辜なる若い者の尊厳を踏みにじる。村人は、理不尽に抗い、死ぬに、理不尽を受け入れ生きる。子孫を残すのは後者。このような理不尽なる土壌の上で子々孫々と因習は受け継がれ、生きていく。理不尽な構造の果て。一体何がありますか? 何が残りますか? シュリーマン。よくご存知では?」


 オリヴァは「知らない」とは言わせなかった。ニクラスは現場を目撃している。この場にいる大臣達にもオリヴァは報告した。

 理不尽の果ての訪れる結末。それは下からの突き上げ反逆。オリヴァは今更ながらコンラッドの首を持ち帰ればよかったと後悔する。


「力なき者に理不尽を押し付け、異端なる者を迫害し、村のため 国のためという薄い大義名分の下、弱き者を粛清していく。そのような世界に、何が残るのでしょうか。美しいモノだけを手元に残し、汚れたモノを吐き捨てる治世は、本当に良き治世なのでしょうか?」

「それは言い過ぎだ。オリヴァ・グッツェー。貴君が王にのみ許された政について口を出している」

「いいや、それは違う。これは、筆頭侍従だから言わなければならない事。筆頭侍従は、王の治世を支える唯一無二の存在。目と耳は王と国王の耳を守るためにある。先を読まなければならない。ソレを理解しない限り、あのようなトリトン村悲劇を引き起こしてしまう。お前も見ただろう。領主の哀れな末路に。あの地面に転がった首が主に挿げ変わる事だってあるのだ。それに、何故気づかない。ニクラス・シュリーマン!」


 そう言うと、オリヴァの視線は、ニクラスからハシムに移動する。


「ハシム王。王は、シュリーマン殿という目と耳で強い世界を知っております。きっと、この国にはイヴハップ前王の以降が降り注ぎ、光るある世界が続いていると思っている事でしょう。しかし、栄光の裏には虐げられた者がいる。私は、あの村で虐げられた者として、虐げられた弱き者の怨嗟の声を聞いた。その恐ろしさは、魔獣の心臓を喰らう。という苛烈な仕打ちを受けなければ理解することが出来ませんでした。故に、王よ。覚えておいて下さい。虐げられる者を無視し続ければどうなるか。不条理の果てにあるものとは……。王とはいえ、死は免れません」


 オリヴァの力説にニクラスは口を閉じる。大臣達は何も言わない。皆、視線をそらし、オリヴァよりも大切な己のつま先を見つめる。未来は、大いなる意思以外誰も予想できないというが、それは嘘であろう。


「だから?」


 ハシム王がこのように冷たい返答するのは、地位ある者は理解しなければならない。王に説法する事が無駄なのではない。オリヴァの考えは、ハシムの対極にあることを皆知っているからだ。


(たとえお前がキルク様の有能な筆頭侍従であったとしても、ハシム様を理解できない限り、無能なのはお前だ)


 ニクラスは顔を下げ、笑いを堪える。その様子を一人の老いた大臣が見つめている。彼は、キルクに伝令兵を使わした男だ。長い服の袖の下に、皺だらけの握りこぶしを隠す。ズボンを捲し上げるように握り締めると、他の大臣と同じようにつま先を見つめ続けた。


「だから、何なのだ」


 再びハシムの声が響く。

 オリヴァの正面に立つと、自らの膝を曲げ、片足を前方へ突き出し、足の裏をオリヴァの胸板に強く押し当てた。胸部圧迫による呼吸の乱れ。不意に襲う暴力。オリヴァは思わずよろけてしまう。床に手をつき、ハシムの顔を見上げると、顔を真赤に、目を吊り上げた王がいた。王は、靴の一番硬い場所でオリヴァの肩を蹴り上げると高らかに吼えた。


「だから何なのだ。弱きものは死ぬ。弱き者は殺される。理不尽の中で死ぬのは世の慣わし。理不尽の中で死にたくなければ、目を瞑り、口を縛り、耳を欹てて生きておけ」


 言いたいことを述べると、二クラスから剣を受け取り、ハシムの手が再び動いた。顔を上げた老いた大臣は、きつく目を瞑る。オリヴァの顔に傷がついた。鋭い痛みの後、熱を孕んだ液体がジワリとあふれ出す。ハシムが斬りつけたのは、オリヴァの目の下。人の肌であった。


「我のニクラスは、我の心を知っている。それで十分だ。ニクラスの目と耳で知った事が我に必要な事。弱き者の目など、私の世界にはいらん」


 ハシムの宣言にニクラスは胸を張り、王の隣に立つ。武勲の誉れ高き男。異様なほど信用する姿は、端から見れば奇妙である。けれどもつい先日までは自分も同じだったのだ。


「ハシム様。貴方は……」


 オリヴァは涙のように滴る血を拭う。

 彼は確信した。トリトン村の惨劇は、遠くない未来、この国全体に生じる。と。そして、ツイ先ほどまで筆頭侍従に戻らないで良いと思った自分を恥じた筆頭侍従は王の「目」と「耳」にならなければならない。王の「目」に幸福のみを与えて何になるだろう。王の「耳」に心地よい賞賛のみを与えて何になるだろう。幸福も賞賛も、虐げられた者がいるから成り立つ果実である。果実のみ簒奪すれば、木はいづれ枯れる。木に潜む無数の毒蛇の存在に気づかなければ、果実を求めた手を失うことになる。

 そうならないために、王には、知らせる「目」と「耳」が必要なのだ。しかし、この場でキルクはその「目」と「耳」を拒絶した。


(キルク様。お許し下さい。私の声は、ハシム王には届かない)


「オリヴァ・グッツェー。私は気が変わった」


 剣がオリヴァの首筋に触れる。声を上げる者に、ニクラスは「静まれ」と一喝する。老いた大臣はしきりに扉の方をチラチラと確認する。その仕草もニクラスは厳しく断じた。

 ピリピリと痺れる目の下。瞼を閉じることは出来ない。何故なら、彼はこの現場を記憶するため、黒い瞳でハシムを見つめる。この現場と、トリトン村の答え合わせをするために。


「言い残すことはあるか?」

「はい。キルク様。良い治世を」

「あぁ。そうか。我達の素敵な世界を見れずに残念だな。オリヴァ・グッツェー」


 刃が首筋から離れる。勢い良く振り下ろされた。

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