初夜編 サヨナラになる前の遊戯03

 王都に戻ると、筆頭侍従補佐オリヴァ・グッツェーの時間が再び動き始めた。

 真新しい制服に身を包むと、背筋がピンとまっすぐに伸びる。息を吸えば、ロサリオであった過去は薄れていき、息を吐けば自分が何をしなければならないかを思い出す。自分の机の上に山積された、仕事を見て、彼は安心した。仕事をしている間は、自分は、「オリヴァ」という人間に戻れた。と実感するからである。

  ただし、時折、彼に「ロサリオ」であった時の事を聞きたがる人間がいる。コルネールをはじめ多くの大臣達は、オリヴァ達を招集し、トリトン村について報告を求める。彼らが知りたがったのは、獣の聖剣の存在。オリヴァは「過去の話」であると付言し、ロサリオの過去を語るのであった。

 一方で彼は空白の時間を嫌がった。 

 何もない空白の時間、彼の頭の中ではコンラッドの死が頭から離れない。

 「死」という事実の先にある結末。驚愕と汚辱。群衆による叛逆。歯止めの効かない人間の集団心理。暴力の塊が、権力を飲み込み、無秩序となる過程は、背筋に氷嚢を貼り付けられるほど冷たく痛い恐怖であった。オリヴァの脳内では、コンラッドとキルクの顔が交互に入れ替わる。そして、そうならないよう、するために、必要なのが、「復権」だ。

 筆頭侍従に戻り、自分がキルクを補佐する。 


「初夜権について調べれば、筆頭侍従に戻す」


 口約束ほどあてにならないものはない。冷静になればわかるものの、彼は、コルネールの言葉を頼りに過ごしていた。約束が反故にされたどうする。と問いかける己がいるも、コルネールの口約束に頼らなければならないほど、「復権」は難しいのだ。

 オリヴァは仕事に打ち込んだ。沈痛な面持ちで仕事をする彼を見て、侍従達の執務室の中、年上の同僚達は、ヒソヒソとしたり顔で、何かを囁くのだ。

 

   一ヶ月の時が経った。

 オリヴァは、今日も他の同僚達と肩を並べ、並べられた星の剣の報告書 嘆願書に対する模擬回答を作成している時だった。。


「オリヴァ・グッツェー筆頭侍従補佐はいらっしゃいますか?」


 ノックもなしに、若い声が執務室内に響き渡る。皆、声の主 若い伝令兵をを見ると視線をすぐにオリヴァに戻した。オリヴァは目を二度三度瞬かせる。オリヴァは、「来たか」と思うと、すぐさま「私だ」と短く答えた。


「首席大臣コルネール様からの伝令です」


 彼はそう言う 、背筋を伸ばし敬礼をした。


「今すぐ閣議の間 来客控え室に参上すべし。との事です」


 それだけを言うと、敬礼を崩し、小さな体を90度に曲げ、オリヴァの答えも効かずに足早に去っていった。室内は、湖に岩石を放り込んだようにざわざわと浮き足立つ。

 閣議の間 来客控え室に参上すべし。すなわち、共王もしくは大臣達から何らかの「お言葉」を賜るという事。

 意味を悟や否や、オリヴァ・グッツェーが再び筆頭侍従に戻る。歳を重ねた同僚達は、たった一週間の出張で筆頭侍従に戻れるのか。という妬みの感情を隠さなかった。仕事をこなす素ぶりをしながらも、目だけを動かし、ジトッと陰湿な目でオリヴァを見つめる。久方ぶりに感じる王都の空気。オリヴァが鋭い視線を投げ返すと、彼以外の侍従達は、伸ばしていた首を引っ込め、忌々しげに自分の手元に視線を戻すのだ。

 オリヴァは、周囲の視線に背を向け、椅子にかけているジャケットに袖を通す。服の内側に隠していた真新しいメダルを外に出し、鏡に映る自分の姿を確認した。手ぐしで髪を整え、襟を正す。手で皺を伸ばし彼は、周囲の視線を向かった。やはり、同僚達の反応は変わらない。今度はあからさまな舌打ちが溢れた。


(妬みの感情でしか動かない奴どもめ)


 オリヴァは視線を荊を全て踏み抜き、執務室を後にした。






 閣議の間 来客控え室には、先ほどの伝令兵が立っている。足音に気づき、オリヴァの顔を見るやいなや、先ほどと同じよう敬礼の姿勢をとった。先ほどの侍従達とは違い、礼儀正しい若者に、オリヴァは文官式の敬礼で答える。


「オリヴァ・グッツェー筆頭侍従補佐。コルネール筆頭侍従殿の命に従い、馳参上致しました」

「オリヴァ・グッツェー筆頭侍従補佐、お待ちしておりました。控え室内で待機するよう。との事です」


 言い終わると、二人は同時に敬礼の姿勢を崩す。伝令兵は、慣れない手つきで控え室のドアを開いた。

 国外の来客に失礼がないように。と配慮された豪奢で嫌味たっぷりの部屋。

 粘り気のある粘土の中から足を引き抜くよう、ゆったりとした動きで足を進める。


「ごゆっくりお過ごし下さい。オリヴァ・グッツェー筆頭侍従補佐」

 

 彼の体が室内に入りきると、伝令兵はドアを閉めた。外界と隔絶された部屋。調度品は、先ほどの同僚達のように妬みの視線。あるいは値踏みするかのようにオリヴァを見るのだ。

 

(人を試すような部屋だな。)


 オリヴァが、この部屋で一番大きな絵画が掲げられている場所を確認する。控え室を何周かし、扉に近い椅子に腰を下ろした。

 虚空を見つめ「あっているか?」と問いかけると、彼を値踏みするような視線は止んだ。


(全く)

 

 太ももに手を置くと、布ごしに湿り気を感じた。手を太ももから話すと、ズボンに手形のシミが描かれていた



「ハハッ」


 太ももの表面にじんわりと伝わる湿気。オリヴァは、自分が緊張している事にようやく気づくいた。


(俺は、筆頭侍従に戻りたい。戻って、キルク様の一番近い場所でお仕えしたいのだ)


 嘘偽りのないオリヴァの本心だ。一方で、もう一人の自分がオリヴァに投げかける。

 オリヴァ・グッツェーはトリトン村で何を得たのか。初夜権については、全てベルが成し遂げた事。

 彼がやったことといえば、村の言いなりになり、無謀ともいえる魔獣退治を行い、トリトン村の暴動を人ごとのように見つめていた事。この結果に、誰が納得するだろうか。それだけではない。筆頭侍従 ニクラスの問いにまともに答えられていない。


「俺は、一体何を成したのか」


 オリヴァの問いに答えはない。痛い沈黙が、証左であった。




 どれだけの時間が経った事だろう。例え、短い時間であっても、オリヴァには長い時間であった。

 扉が開く。音を聞くや否や、顔を上げた。彼の人物の姿が目に入ると、オリヴァは椅子から下り、頭を垂れ、片膝をついた。心臓が不規則に暴れ出す。強弱も適当で、時折痛みが走る。慌てふためく心臓を落ち着けるよう、文官式の敬礼で、掌を胸部に押し付けた。


「オリヴァ・グッツェー」


頭上に声が降る。低く人を威圧する声。主人の声ではない。もう一人の共王 ハシム王の声だ。


「その場では不便だ。我の前へ寄れ」


 ハシムの命に、オリヴァは「仰せのままに」と答えた。立ち上がり、すぐにハシムの表情を伺う。彼は無表情であった。オリヴァの視線は己の主人を探す。残念ながら、彼の姿はない。その代わり、ハシムの背後には、見知った大臣達の姿がある。彼らの存在を記憶に止めた。最後に、オリヴァはハシムの表情をもう一度伺う。

 今度は、口を「へ」の字に曲げ、どこか呆れた表情を浮かべている。オリヴァはとっさに顔を下げ、ハシムの正面で片膝をついた。


「オリヴァ・グッツェー。コルネール・ラ・ドログリー首席大臣よりトリトン村での報告を受けた。我が国で例を見ない魔獣との対峙。そして、魔獣とはいかような生き物か。命がけの働きに、スナイル国の国民を代表し、礼を言おう」

「勿体無いお言葉。恐悦至極にございます」

「死の淵に立ちながら、歴代トリトン領主の蛮行を我が耳に届けたのは、貴君の働きの賜物。貴君の勇敢な働き敬意を表し、オリヴァ・グッツェー。そなたをーー」


 オリヴァの喉仏が上下に動く。掌で押さえつけている心臓は、ハシムの言葉を遮るように人一倍大きく飛び跳ねた。 


「貴君を、筆頭侍従補佐のママとする」

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