初夜編 夢魅る少女じゃいられない12

「あっ」


 1階のフロアに戻った時だった。ベルは何かに気づき、ブーツからマチェットをとりだす。口を「へ」の字に曲げ、常闇の天井を見上げた。

 このマチェットは ヨナン・スナイル国の10年戦争が刻まれた星の剣である。

 星の剣。それは、他の剣と性格を大きく異なる。星の剣は、「記す」剣だ。そして、星の剣は触れるだけで、知る事ができるのだ。

 例えば、星の剣に物語が刻まれていたとすれば、触れるだけで脳内に物語が飛び込み、読者は一歩引いた場所で物語を識る事が出来る。大衆娯楽的側面が大きいため、大昔から星の剣は人々に愛されていた。

 触れるだけで、人は現実から一時的に離れる事が出来る。であるならば、星の剣が有するマナ葉脈と己のマナ回路を融合さ星の剣を自分の身体に突き刺せれば、どのような事が起きるであろう。結果は、エイドが示している。

 星の剣が保持している物語が、己の体内へ流れ込む事で、読者は、あたかもその世界に転移したかのような錯覚をするだろう。愛する物語の人物と共に 冒険し 恋をし あるいは、世界を征服するだろう。そこは、まさに楽園である。現実では決してありえない事を経験した事で、強烈な万能感 爽快感 高揚感。

 強烈な心身への働きは、現実に対する不満・不条理・不平などありとあらゆる事から解放する。皆、この感情の高まりを一分 一秒でも長く味わいたいと思うはずだ。

 だが、長時間、己のマナを走らせる事はできない。動力が切れれば、物語は音を立て、終わりを告げる。楽園から手痛く追い出されるのだ。

 追い出されたのち、人はどうなるだろう。よく言われる事は、激しい脱力感 疲労感 倦怠感。楽園と現実の落差への不安・狼狽。楽園を楽しんだ代償は大きく、利用者は精神的・肉体的不安感から逃れるよう、再び星の剣に手を伸ばすのだ。

 星の剣の体内接触の依存性の高さから、星の剣を管理する役職「司剣」が創設された。

 まず、彼らが行ったのは、星の剣の細工活動である。星の剣との融合を測っても、強烈な心身の働きを阻害するよう、星の剣にちょっとした手を加えるのである。現在、図剣館に蔵剣している星の剣は全て細工済みの剣ばかりである。

 次に、彼らが行ったのは、貸し出し管理だ。誰が、何の物語を持ち出したのか。その情報を把握する事で、星の剣中毒者を炙り出すのである。


 ベルはまじまじとマチェット剣を見つめる。この剣は、実は細工が施されていない剣である。

 司剣に求められている第3の役目。それは、純粋な星の剣を用いて、他人に「」を強制的に見せる事である。

 司剣は、星の剣に精通している人物だ。故に、「どの場面を見せたらどのように反応するか」など、彼らはたやすく想像できる。手練れであればあるほど、その効果は絶大である。

 ベルは第3の役目を初めて行った。マチェット10年戦争は万が一の為、用意したものであり、この剣を選んだ理由も、「戦争には多くの人の死が陳列されているから」である。

 初めての実戦。マチェットを見つめる指先はかすかであるが、ワナワナと震えている。


「初めて……。初めてだったの」


 自分に言い聞かせるように彼女は言う。


「エイド先生。ごめんなさい。私、こういう事は初めてだったから……。見せる夢、間違えたかもしれない」


 当初、ベルがエイドに見せようとした悪夢は、スナイル国敗走兵の回顧である。密林に身を潜め、仲間の死体を踏み分け、泥水をすすりヨナンから逃げる。心臓を鷲掴みにする精緻な描写は精神的打撃を与えるのに適していると計算していた。


「うーん。まさか、義勇兵殺害事件を見せるだなんて。この私とした事が……」


 義勇兵虐殺事件。ヨナン軍によるスナイル国の義勇団の虐殺事件である。

 義勇団は、スナイル国軍医が立ち上げたものである。彼らは、禁じられている越境活動を行い、ヨナン国民を拉致しては生体実験を行っていた。この事実に激怒したヨナン国は、スナイル国に申し入れ、彼らの殺害に踏み切る。その手引きを行ったのが、義勇団の女性看護師。当時、彼等の拠点には、戦争の負傷者 生体実験被験者 様々な人間がいた。だが、ヨナン軍は、申し開きを一切受け入れず、スナイル国と思しき人物全て粛清したのである。

 ヨナン軍の怒りは尋常ではなかった。母衣で出来た拠点には血とも肉とも分からない液体・肉片が付着しており、首魁の軍医の姿は見るも無残なものであったと言う。


(いやぁ。義勇兵殺人事件も思いっちゃ思いけど。こっちは、暴力的な内容が濃いからねぇ。まぁ、私も慌ててたし。むちゃくちゃあの医者に腹たってたのもあるけどさ。まぁ。うん。これはねぇ……)


 彼女は、剣と執務室の方を交互に確認する。うーんと一言唸ったあと、彼女の答えは簡単だった。


「まっ。うっかりだもん。うっかりなら仕方ないよね。うっかりなら。見せちゃったんだもん。見せたからには、どーしよーもないよねー」


 そう自分に言い聞かせ、ブーツの中に再びマチェットを収納するのであった。


「おうおう。確かにうっかりなら仕方ないばい。せやけんど、うっかりはうっかりでもダメなものはダメやん」


 低い男の声がする。ベルは声がする方を振り向いた。周囲に人の気配は感じない。奥歯を強く噛み締め、暗闇のフロアを睨みつける。闇の中で輪郭が浮かび上がる。輪郭はとても大きく、そそり立つ山に思えた。

 彼女の言動が面白かったのだろう。絞り出すような笑い声が響く。声に合わせ、山は動き、ゆったりとした歩調でまっすぐ彼女に近寄る。ベルの足が一瞬後ずさる。元来た道を戻ろうかと考えるも、執務室は袋小路。エイドと「山」を抱え、大立ち回りを演じるほど、彼女は器用ではない。ベルは震える息を漏らし、身をかがめる。彼女の手は、のマチェットに伸びていた。


「そうカリカリしなさんな。お嬢さんよ」


 ベルの動きに気づいたのか、大きな塊は低い声で言う。ベルは目を見開いた。

 彼女の目の高さでぽっと小さな光が灯る。光は天井に引き寄せられるよう上へ上へと上がり、大きな塊の正体が明かされる。


「お前さんに会いたがったんばい」


 暗闇の中、口の端に浮かべた笑は不気味である。大きく鋭い眼光。 トリトン村自警団 団長 通称”親方”がそこに立っていた。



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