初夜編 夢魅る少女じゃいられない03

 3階から1階へ。手すりを頼りに下りきる。そして、今度は窓から差し込む星の光を頼りに、執務室へ続く地下の階段の前に立つ。木の扉は閉ざされている。手に力を込めれば、扉は開き、底なしの闇が彼女を出迎えた。


(やってやろーじゃん)


 鼻息荒く、枝に火を灯す。不規則に並んでいる階段。踏み外さぬよう、壁に手を当てゆっくりと下っていった。

 最後の一段を降りると、目の前には赤く重厚な扉が待ち構えている。ベルは薄ら笑みを浮かべ、扉に手を触れた。すると、執務室の扉はゆっくりと開いていく。

 部屋は光を吸い込むと、唸り声を上げた。執務室は眼を覚ましたのだ。一歩、部屋の中へ入り、後ろ手で扉を閉める。どこからともなく感じる視線。光を頼りに、周囲に人がいないか探すも、この部屋には彼女以外人は誰もいない。だけど、視線だけははっきりと感じている。主でない者の侵入にありのままの敵愾心が彼女に向かっている。


(何よ? ケンカでもしたいわけ? いいわよ。買ってあげるから。少し我慢しておきなさい)


 ベルは誰もいない部屋に微笑みを投げかける。小悪魔的。いや、小動物を狩る猛獣の笑顔。猛獣は、一歩、また一歩と獲物が潜む執務室机との距離を縮める。


(そう。私はコンラッドからコトウの話を聞いたわ。この机の上でね)


 机の正面近寄る。火を掲げ、依然と変化がないか確かめるべく指先で表面を撫でる。


(冷たい)


 誰も触れていない証拠だ。人肌のカケラなぞ残ってはない。しかし、ポツリポツリと影のようなシミがある。シミは真新しく作られたもので歴史は無い。途端、余裕げな表情を浮かべていた彼女から笑みが消える。


(いやな汚物ね)


 片方だけブーツを抜き、そこへ火のついた枝を差し込む。机の背後に隠れ、腰を落とす。すると、ベルの身体は机の影に重なり、一つの影になっていた。光のおかげで先程まで見えないものが見える。人がすっぽりと入れそうな幕板下の長方形のスペース。独立した引き出しがあった。


(おまたせ)


 彼女の表情に再び笑みが戻る。引き出しを勢い良く引くと彼女のお目当てのものがやってきた。大きな引き出し。多くの短刀の中、底に眠っていたのは布に包まれた剣。布を丁寧に取ると、そこには多くの宝石が埋め込まれた豪奢な一振りの剣があった。


(これよ。お目当てのもの)


 交わりの中で、コンラッドがベルに突きつけたのは確かにこの剣だ。ゆらゆらと揺らめく視界の中で金色の鞘とちりばめられた宝石が二重三重と太い線を描く。コンラッドは何度もベルにこれがコトウの物語が刻まれている星の剣だと言った。


(見間違えるわけない。こんなダサイ剣。見間違えるわけないじゃん)


 彼女は、記憶と現物に間違いは無いと何度も言い聞かせる。だから、鞘を取り、中身を精査すべきであるのに、彼女の手は動かない。視線は金色の鞘に釘付けで、手はかすかに震えていた。滅多とお目にかかれないものを手にした興奮か。いや、違う。彼女の震えは動揺だ。コンラッドが手にしたものを触れ、感じた結果。証言と現実に齟齬が生じている。がこの剣は星の剣でない事を告げているのだ。先程からベルに注ぐ視線も、彼女の司剣としての腕を吟味しているようで、ニヤニヤといやらしい視線が注がれている。ゴクリと喉が上下する。


(落ち着いて。この剣はなんなの? 一体何なの? 本当に、トリトン村の歴史が刻まれている星の剣だっていうの?)


 彼女はもう一度鞘に触れる。光る宝石。光を浴びれば、眼を瞑りたくなるような輝きを発するだろう。宝石の光に負けるとも劣らぬ金色の輝き。手垢らしい汚れは見受けられなかった。

 その汚れていない柄を見て、彼女は小さく叫んだ。


(汚れていない……。歴史が……浅い?)


 ベルはもう一度トリトン村の歴史のすべてを刻んでいるというワリには柄の金色に変色は見受けられない。鞘の金色は手入れされた光ではなく、目新しさゆえの光だそして、このような輝きは、宮殿内の図剣館で良く見る光景でもある。


(そう。違う。違うわ。これはコトウの物語が刻まれた星の剣なんかじゃない)


 気づけば、身体の震えは止まっていた。そして、値踏みするような視線もピタッと止まる。


(マジメに働いていて良かった。勤労戦士ベルちゃん。で、本当に良かったわ)


 金色の剣を引き出しへ戻し、ブーツをはく。星の剣探しは振り出しに戻ったのだ。


(コンラッドはニセモノを私に突きつけた。何故なのか。きっと、星の剣を私に見てほしくなかったから。何故か――。きっと、私が見ることで彼が損する……から?)


 ベルは一度そこで思考を止める。そこから先は完全に想像の領域。空想で判断したところで、今のベルの焼くにはたたない。むしろ、知的遊戯であり、じかんんの無駄だ。気持ちを落ち着かせるべく、呼吸を整える。そして、パンツのポケットから部屋で拾った鍵を取り出す。


(そんなモン。フツーは隠すに決まってるよね)


 彼女は火の光に鍵を当てる。どこにでもある普通の鍵。ただし、先端が少し黒い。彼女は鍵を手にしたまま部屋の中をウロウロと歩き回る。執務室にあるもの。壁に掲げられた無骨な剣 年季の入ったいくつもの壷。壁にはめ込まれた女性の油絵と馬の油絵。目立った装飾品はそれだけ。壁紙は花をモチーフにした幾何学模様。よくある田舎リョウすの部屋だ。ベルは幾何学模様が鍵穴ではないかと思い、時折、火を翳すも、鍵穴らしい場所は無い。グルグルと部屋の中を回り、肩を竦めて再び執務机に戻る。机の上に土足のまま座り込み、膝の上に顎を乗せた。


(でも、さぁ。これ、本当にここのカギ? 一体何のカギなのよ)


 思い返せば、ベルはこの部屋に難なく入り込めた。村の中枢機関 執務室であるというのにセキュリティーは、あまりにも緩すぎる。入り口も扉も、施錠はされておらず、彼女の力だけで開いた。


(あぁーもう。やっぱりこの部屋何かがおかしい)


 ベルは自分の尻の下に隠されたあの引き出しを思い返す。司剣の直感であの剣は獣

 カギと部屋の中を交互に見返しウンウンと声を漏らす。夜は更けている。朝日が昇るまでどれだけの時間があるだろうか。コンラッドはイビキをかいているも、彼の眠りがいつ覚めるかはわからない。彼女の残された時間は不鮮明。いや、少ないと判断するのが適切だ。カギで頭皮をかきむしり、ゴツン ゴツンと額に膝を叩きつける。

 ベルの苦悩をあざ笑うかのように、扉の隙間から風がオォンオォンと泣く。火の熱を帯び、少し生暖かい。おまけに、彼女の身体にズキズキと刺すような視線。誰もいない部屋なのに、そこには、彼女以外の人物がいるかのような気配を感じる。


(腹立つ。誰かに笑われてるみたい)


 プクッと頬を膨らませてむくれる。ふてくされる素振りの後、彼女は思い出した。


(そう。ここには人がいるような……)


 扉と机の中間地点。壁に埋め込まれた、若い女性の油絵。しかも丸い額縁に入っている。ぐるりと身体を捻らせている。若さ若しい仕草とは対照的に、表情は陰鬱だ。口角は左は下がり、右はあがっている。眼は底なしに暗く、光は無い。ただ、視線が合えば、睨むかあざ笑うか。どちらかの表情を見せる。薄墨色の背景が女性の屈折さをより引き立たせている。


(あの絵)


 ベルは机から飛び降り、絵に駆け寄る。絵の中の女性は、駆け寄るベルを睨んでいた。その絵は、ベルがこの部屋に足を踏み入れていこう、彼女を見つめている。ある時は睨み、ある時はあざ笑う。それは、俗に言う睨み絵に近い。睨み絵特有の神々しさはなく、ただただ人を不快にさせる絵。ベルが感じた敵愾心はこの絵から感じたといっても良い。


(馬鹿だった。あんたね。私にケンカ売ったの)


 ベルは少し立ち位置を変える。すると、女は笑っていた。


「クソ女」


 吐き捨てる一言に、風は鳴る。女は、声を出して笑っていた。


(本当に腹立つ。ただでさえ不愉快な絵で触れたくも無いのに。そんな絵に笑われたって。本当に腹立つ)


 女は笑ったまま。ベルは口を「へ」の字に曲げ、火を彼女の前に突き出した。危険な火を目の前に突き出され、絵の中の女性はとても不服そうな表情を浮かべる。だが、女が不服そうな顔をすればするほど、ベルの表情は明るくなる。


「不平不満を溜め込んだブスのお姉さん。私ね。性格ブスの女に笑われることがすっごーく嫌いなの。私はね、性格がすごーく優しくてね。よく聖女みたいって言われるから、教えてあげるぅ」


 そう言うと一息つく。鍵を握り締め、拳を彼女に突きつけた。


「テメェを今からイジメてやる。これは決定事項。泣いて泣いて。私の機嫌を取り戻しな」


 女の顔が引きつっていた。ベルの口上が癪に障ったのだ。

 ところで、何故ベルは自分以外に「人がいるな」と言ったのだろうか。絵画の女性を一人の人間としてカウントしたのか。いや違う。彼女は“睨み絵”と呼ばれる絵画の特性。どのような位置にい手も、必ず視線を合わせる。この特性がベルに「人」がいると思わせたのだ。


(あんた、フツーの絵なら良かったのにね)


 睨み絵とは、この世に降り注ぐ邪気をはらえば良いもの。だが、あの絵は、人を睨み、威圧し、人を笑い侮蔑する。あの絵の視線の支配領域にいる限り、この場にいる人間は居辛さを覚えるだろう。少なくとも、この部屋に腰をすえている領主と関係者以外は。あれは、人払いの睨み絵と言ってよい。そう判断すれば、自然とカラクリが見えてくる。


「ブスの睨み絵。いいや、ブスのしたり顔。まぁ、どっちにしろ汚物ね。糞便に負けず劣らずの汚物。そんなもんがあれば避けるのは必死。私だって、あんたの近くにいたくないわ。そんな顔をされればね」


 火の影で女の表情が変わる。風邪の低い唸り声。近くでこだまする声を耳にし、彼女はポツリと呟いた。


「アンタ、笑顔であればこんな災いを招かなくてもよかったのにね」


 再び火が揺らめく。ニヤニヤと底意地の悪い表情を浮かべていた女の顔は変化する。笑みは無い。冷たい視線が、火の隙間から見え隠れしていた。


「人払いの睨み絵。誰もが忌避したくなる絵。そうね。隠すならココが良いわ」


 ベルは女の目の高さに鍵を掲げる。すると、今度は女は驚いた表情に変わる。


「趣味の悪い絵に近寄る人はいないわ。ましてや、領主の絵。絶対に触ることはしないわ。絵を傷つけたら命どころか家まで取り上げられちゃう。でもね。ざーんねん。私は近寄るわ。もちろん触る。だって、私もココに隠したいって考えてるんだから」


(触れられたくないものは、触れられたくないものに隠す。鉄則ね)


 ベルはブーツを脱ぎ、もう一度、枝を差し込む。空いた手で女の右目に人差し指を突っ込む。黒目は上下にパカッと開き、ぽっかりと明いた空洞が現われた。


「良い声で泣きな。ブス女。アンタの面の皮。剥いでやるわよ」


 開ききった右目にベルは容赦なくカギを差し込む。遮るものはなにもない。心地よい感触が伝わってきた。


「だぁいじょうぶ。女はね、顔を皮を一枚剥げばみーんな同じ顔よ」


 彼女は愉快に笑う。そして、スープをかき混ぜるような手つきで手首を回す。女の目玉がギュルリと動き、執務室に、途切れ途切れだが、声が響いた。拷問の痛みに耐えかね、泣き叫ぶ声にも聞こえる。そんな鳴き声をベルは笑った。

 女の絵の反対側には馬の絵がある。馬は笑っていた。人の憎悪をパンパンに孕んだ女が、人間に壊されていく。人間は、たやすく女の存在意義を壊していった。人に愛されるために描かれた馬は今にも踊りだしそうな勢いで風を振るわせる。笑い声は二つ。嘆き声は一つ。


 笑うイキモノ

  と

 嘆くイキモノ。


「言ったでしょ。イジめてあげるって。うらむなら、書いた人と作った人を恨んでね。私はイジめてるだけなんだからぁ」


 かくして、闇の中に白い手が潜り込んだ。

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