初夜編 夢魅る少女じゃいられない04

 そこに刻まれていたのは、獣の聖剣の“その後”である。


 魔獣襲撃の被害は甚大であった。

 まず、物的損害。土壌汚染に始まり、米の収穫量の減少。品質低下

 土地強制収用による村人個人の資産消失。ならびに、その補填

 その他、枚挙の暇もない。

 次に、人的損害。トリトン村の人口は約半分まで減少した。

 生産労働人口は大幅減少。米の収穫量品質低下は生産労働人口減少が原因の一つに挙げられている。

 何も手を打たなければ、トリトン村は尻すぼみに消滅する未来が確定する。

 マルトは王都へ可及的速やかにトリトン村の復興協力 王都への納税額の減免を申請した。これに付け加え、村人への慰労の為、王のトリトン村来訪を要請した。

 けれども、領主マルトの要望は何一つ受けれられない。国からマルトへ出した返事は”現在、スナイル国はヨナンとの戦争で忙しい。些細なことで人員をそちらへ割くことはできない”というものであった。

 魔獣襲撃を受けた村に対する慰めの言葉も励ましの言葉も何一つない。

 ちっぽけな村の行く末など、国の威信と比べればどうでも良い事。

 トリトン村は王都から切り捨てられたのだ。この返事を前にし、領主マルトがどのような顔をしたのかなど、想像しやすい事であろう。


 

 王都からの返事をもらい、数日後の事である。

 太陽の領主マルトはヘーグを自室に呼び、トリトン村復興の為、ある方策を口にした。


「ヘーグよ。私は、偉大にして崇高 孤高 指導者が備えるべき風貌を完全に持つ親愛なる指導者。マルトである。太陽の領主 マルトは考える。この村を真に復興させるには人口回復が必要だと思う考える」

「そうですね」


 ヘーグは盤上遊戯に興じながら答えた。


「そこでだ。私は人口回復の為、初夜権を復活させようと思う」


ヘーグは、盤上遊戯に並べている透明なガラスを、自分の手持ちの駒であるすりガラスと取り替える。そして、領主を一瞥すると、次を促すように視線を動かした。


「それが村復興の一番手っ取り早い方法であろう」


 マルトは普段通りの表情をしていた。他愛のない雑談をするような面持ちで、手にしている杖を短く持つと、盤を指し示す。ヘーグは杖が示した場所に透明なガラスを置いた。ヘーグは顎に手を当て、長考の姿勢に変わる。盤をじーっと見つめ、小さく口を開いた。


「何故、今頃初夜権を?」

「人口を増やす為だ。確実に増やすなら、それしかあるまい」


 ヘーグは速攻の打ち手である。格下マルト相手に長考することはない。だが、彼は珍しくすぐに手を打たない。盤の局面を見ても、長考するような複雑な絵を描いていない。彼は、奥歯を噛み締め親指の爪を甘く噛んだ。眉間にしわを寄せ、唸るような仕草を見せる。答えを探すようにもう一度領主の顔を見た。初めてのことだった。ヘーグは苦しんでいる。攻めあぐねいている相手を見ても、マルトは表情を変わらない。ヘーグの顔を震わせ、盤面を睨みつける。彼の手が膝から上がった。腕も顔と同じように、震えている。だが、ヘーグの手がさしたのは、駒ではなく盤そのもの。両手で盤ごとをひっくり返し、彼はマルトの胸ぐらを掴み上げる。激しい音を立てて、ガラスが床に散らかる。カタンカタンと乾いた音を立て、床の上でガラスは華麗に踊る。机上の人間達のように熱い心はなく、与えられた幅を踊り終えると、そのままパタリと伏せてしまった。


「それはだめだ!」


 ヘーグは何度もマルトの体を揺する。


「何を考えているんですか。あなたは。あなたは自分が何を言っているのか! わかって口にしているのか!」


 細い虫食いだらけの体は、中年のヘーグの力でもガクガクと面白いぐらいに揺れる。何も言わず、冷ややかな侮蔑を注ぐマルトの視線に気づき、マルトが床から落ちないよう、ゆっくりと手を離した。咳払い一つ落とし、気分を落ち着けるように、ヘーグは口を開く。


「初夜権は、旧時代の遺物にして悪しき慣習。国は初夜権撲滅に動いております。つい先日も初夜権廃止の命があったばかりではないですか」

「それが何だ。バレなければいいだろう。バレなければ」


 マルトはヘーグの行為を咎めない。何事もなかったかのように鼻で笑って見せる。その仕草に、ヘーグの心は再びカチンと音を立てた。


「マルト様。お言葉ながらバレます。確実にバレます。犯罪は、証拠がなければ見つかりません。ですが、初夜権には必ず証拠が存在する。あぁ。それにあなたの事だ。一人や二人では絶対に飽き足らない。あなたの手足の指の数より多い女を抱くはずだ。確実に証拠は積み重なる。必ず、王都の耳にも届わるはず。王の耳に入れば、いくら貴方様とても無事とは言えませんよ」


 ヘーグの言い分に寛大な領主マルトは何度も頷いた。


「ヘーグ。お前の言い分もわかる。だがな。例え証拠があったとしても……。証拠を潰せば良いあぁ。そうだ。証拠なんぞ壊してしまえばいいだろう」


マルトは床にばら撒かれた透明な石を杖で叩き弾き飛ばす。そして、透明な石があった場所にすりガラスの石を移動させた。


「私と初夜を過ごした事実があったとしても、真実にならなければよい。それだけの話だ」

「具体的には? どういう事ですか?」


マルトは杖で床を叩く。リズムを刻むようにガタガタと、自分の興奮を目の前の相棒に伝えたいと言いたげに、床を叩いた。不安定な体が揺れる。歪んだ口の端からポロポロと笑いが溢れ出した。


「金だぁ」


歯と歯の間から溢れた言葉。崇高な領主の見せた笑顔に、ヘーグは首を横に振った。


「金だ。金で証拠の口を縫いつけろ。金で証拠の頬を叩け。金で穴を塞げ。金で潰せ。あぁ。金を積ませろ。金なんぞくれてやる。だから、新婚初夜は、私に抱かせろ」


 彼は続けざまに言葉を放つ。


「恋愛だぁ? 恋愛の自由意思ダァ? 実にくだらん。あぁ。反吐が出るぐらいにくだらん。そんな軽い理性で、一体何が残せる。そのようなくだらん若者をガキの頃から保護していた考えただけで頭が痛いわ。そのような事を言う前に、村に子供を還元するという考えはないのか。村の人口が減った。補填のために、己が種馬となって腰をふり、子供を生み出す。と言う事を考える頭もないのか」


 偉大な領主は荒々しく杖を叩きつける。彼は顔を真っ赤にし、とても喜んでいた。


「あぁ。そのような頭がないから戯言を言うのであろう。だから、仕方がない。私が種馬になるしかないのだ。私が抱く。初夜の日に、女が確実に孕めるよう、俺が抱いてやる。俺が種馬として、男達の先頭に立ち、女どもの子袋に子種を注いでやろう」


 マルトの杖先がヘーグに向いた。


「私も鬼ではない。大義を果たした女にはそれ相応の褒美を与えてやる。あぁ。それが金なのだ。一晩で、あいつらがすぐに手にすることができない金を積ませろ。きっと喜ぶだろう。大金を前にさせ、女どもに喜ばせろ。自分は、領主に抱かれたのではなく、金を抱いた。と思うような金をなぁああああ」



 ヘーグも顔を真っ赤にしていた。だが、彼の感情はマルトとは180度異なっている。自分に突きつけられた杖を払わず、陽炎のような目で領主を見据えている。


「本気で……。本気でおっしゃられているのですか。それが……。それが、領主の言うことですか! 村人の悲しみに添い遂げる事もせず、前途ある若者達の未来を踏みにじり。女の尊厳を汚す。そのような初夜権を貴方は本当に行おうとするのですか。貴方が体を犠牲にして守った村を、どうしてあなたは自分の手で裏切るのか!」


 ヘーグの激昂を、マルトは心底面白そうに笑った。ゲラゲラと体を揺らし、白い歯を見せ、友人の頬を何度も何度も叩いた。マルトはヘーグの激昂を気に入った。いや、彼はヘーグの言葉を期待していたのだ。彼ならば、きっとこのように言うだろうと。

 マルトは、盤上遊戯でヘーグに勝ったことはない。いつも、ヘーグをギャフンと言わせるつもりが、自分がギャフンと言ってしまう。やり返したいと常日頃願っていた。よもや、そのような日が本日訪れるなどと。違う、彼はそうなる事を予期してた。今日、この日、ヘーグはマルトの言葉に必ず激昂すると。盤上遊戯で歪める友人の顔。初夜権で激昂する村医者の表情。どれもこれも、股間がいきり勃つ程の快感なのだ。


「おぅよおぅよ。私は本気さ。本気も本気。こんな壊れた体で種馬になる。なんて事、一体どこのどいつが冗談で言うか」


 マルトは喉を震わせ、けけけと笑った。


「言っておくぞヘーグ。人は平気で愛を売る。愛が形になるのならば、身体を捧げるぞ。キョーびそんなことは珍しくない。愛で人を語るのは、脳みそのない聖職者どもでジューブンだ」


 彼は、上半身を机の上に乗せる。下から、友人の顔を見上げる。爬虫類を思わせるいやらしい表情。チロチロと見え隠れする舌は友人の思考をねぶっていく。


「価値観を壊せ。金に抱かれる事は素敵な事だと植えつけろ。道徳なんぞは肥溜めに捨てておけ。村の復興のためには子供が必要だ。子供を畜生のように作るのが必要だ。子供は成長すれば労働力になる。良いか、ヘーグ。倫理を捨てろ。村を復活させるためには、腰を振るしかない。これは命令だ。トリトン村領主マルトの命令だ。全ては、このマルトが決め、マルトが行う事ダァ」

「……。冗談も度を超えています」


 ヘーグの淡々とした答えにもう一度マルトは笑った。そこに浮かべる表情は腹を決めた男の表情である。


「そうかぁ? まぁ、初夜権に例外はないわけではない」

「例外?」

「あぁ。初夜権は、初夜でなければ意味がない。子袋にすでに先客がいるのならば、それはまた違った未来だろう。ん?」


 偉大なる領主マルトの視線がヘーグに届く。ヘーグは偉大なる領主の偉大なる思考を理解した。腹を決めた男。どんなに口汚く物事を言おうが、その後ろに抱えているのは一抹の弱さだった。

 ヘーグはより、マルトが許せない思いである。これほどまでに近くにいる自分に本音を語らない。他に探るべき道があるはずなのに、その道をあえて自分で潰し、獣の道を選ぶ。それが最適解だと自分に言い聞かせ先頭に立つ。


「マルト様。やはり、私はあなたが許せません」

「はぁん? それなら、お前はこの村から出ていくか?」

「いいえ。それはしません。あなたが初夜権を復活させ、村を蘇らせる。と言うのであれば……」

「お前も片棒を担ぐのか?」


 マルトは床を叩く。短くヒステリックな音が聞こえた。足元に散らばるキラキラとした光。再び、二人が合間見え、盤上遊戯に興じるのはまたしばらく先の話になりそうだ。


「あなたが再び泥をかぶるのであれば、私は傍で見つめましょう」


 ヘーグは静かに目を閉じた。彼もまた泥をかぶる。ヘーグに託されたのは偉大なる意思の伝達。そして道徳の破棄であった。


「そう。あなたの人生のともし火が消えるまで」


 これにより、初夜権は復活したのである。

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