初夜編 深い眠りから覚めたなら20

祈念式は大成功の後に幕を閉じた。参列者は、口々にリーゼロッテに感謝の言葉を投げかける。「知らなかった事が知れた」「聖剣書の教えをもっと知りたい」「火の剣と水の剣は仲が悪いと知っていたが、他の剣はどうなのか? まだ火と水は仲が悪いのか」「大いなる意思とは何者?」 など、村人は思い思いの言葉をリーゼロッテにぶつけていく。リーゼロッテは、彼らの疑問に可能な限り答えていった。即答できない質問に関しては、後日必ず伝えます。と付言し、祈念式の後も根気強く彼らに付き合った。

 そして、彼女の誠実さと参加者の思いは、「寄付」という形に集約されていくのであった。


 夜遅く、リーゼロッテは、「寄付」が詰まった布袋を机の上で開いてみた。ジャラジャラと金貨が飛び出し、ゴロンゴロンと野菜が顔を出す。重い布袋だ。とは思っていたが、中身は彼女が思っている以上に詰まっていた。自分の成果物を見て、彼女の顔がほぐれていく。強張っていた今までの感情がドスンドスンと重たい音を立てて消えていった。

 リーゼロッテは、しばらく自分の成果を見つめ、金貨と食料を別々の袋に仕分け始めた。


「長い一日だったわ」


 リーゼロッテの声に、机の下にいるアヌイは大きなあくびで答える。つまらなさそうに、ケッとツバを吐く。今夜も開かれるであろうトリトン村乳首識別講習会。コンラッドの乳毛があまりにもリアルすぎて、アヌイの心は荒んでしまっている。本日の犠牲者を思うと、哀れな。という被害者への気持ち。そして、耳年増の妄想に付き合うぐらいならば、もう少しきれいなものを見たいという欲求に駆られていた。


「信仰の証は経済力とは言うけれど、本当よね」


 リーゼロッテは、金貨の入った袋を紐できつく縛ると、貴重品が入っている箱の中へしまいこんだ。


「でも、これでようやく私は、聖職者としての一歩を歩めたのよね」


 彼女は胸に手をやり、服の下に隠している聖職者のメダルを掴んだ。

 清純であれ。清廉であれ。清貧であれ。この3つの"清”を大いなる意思に誓い、修道者は聖職者になるのだ。聖職者となった暁には、"清”の証として、3本の百合が描かれた青いメダルが授与される。青百合のメダルはプライドの証。聖女バルバラは、リーゼロッテにメダルを授与する際、そう言葉をかけた。


「私の。聖職者のプライド……かぁ」


 リーゼロッテは、口の中でバルバラの言葉を反芻する。目を閉じ、本日の祈念式で、何が出来たかを1日を巻き戻すように思い出す。村人の笑顔。寄付を依頼する口上。聖剣書の朗読。説法。どれもこれも、祈念式を無事に成功させる為、彼女の努力がもたらした結果だ。


「努力……。これは、私のプライドになるのだろうか」


 リーゼロッテは目を開く。野菜が散らばった机に歩みを戻す。机の上には、赤いリンゴがあった。机の下で伏せの体勢をしているロバは、不服そうな顔をしている。


「アヌイ」


 リーゼロッテは、アヌイの名前を呼ぶ。すると、ロバは、渋々といった具合で、滑るように、リーゼロッテの足元へ走り込んだ。彼女の手には、先程の赤いリンゴがある。途端、アヌイの顔がパァァと輝く。求めていた乳首よりも遥かに美しいモノが目の前にある。ロバはよだれを垂らし、ツルツルピカピカ 油でコーティングされているようなりんごをおすわりの体勢で見つめていた。


「ほぉれ!」


 リーゼロッテは、りんごを下手で投げた。アヌイは足をばたつかせ放物線を描く、りんごの落下点に入る。大きく口を開け、そのまま落ちてきたリンゴをキャッチした。


「お見事」


 リーゼロッテは、ロバの奇術に拍手で送った。しかし、ここのロバは拍手にお辞儀をして答えることはない。アヌイは、もうリンゴを食べるのに夢中だ。体を震わせるように、ガツガツと頬張るロバ。リーゼロッテは、拍手を辞め、後姿を嬉しそうに見つめた。


「ねぇ……アヌイ」


 リーゼロッテは、相方を呼ぶ。リンゴに夢中なロバは鳴き声すら返さない。彼女は少し寂しそうに喉を鳴らすと、そのまま言葉を続けた。


「今日の祈念式にね。ジェフさんが来てくれたの」


 嬉しそうに体を動かしていたアヌイがピタリと止まった。口の周りにリンゴの果肉と皮をたくさんつけ、恐る恐る、怖いものを見るようにして顔だけ振り返った。


「ジェフさん、たった一言。『とてもわかり易かった。また来たい』って言ってくれたの」


 気づけば、リーゼロッテの白い頬に、アヌイの瞳と同じ色が灯っている。腰まで伸びる黒い髪。彼女が体をくねらせるように動かせば、髪もしゃらんしゃらんと動いていく。彼女の手が、胸に伸びる。そして、服の下に隠している青百合のメダルを握りしめ、自分の心情を吐露するのだ。


「聖女バルバラが言っていたの。青百合のメダル。それは、聖職者のプライド。これから先、私が聖職者として生きるのならば、ジェフさんのような事を皆さんにも言って欲しい。わかりやすかった。また来たい。って言って欲しい。私が行う祈念式は、そういう人たちの為にやっているんだ。っという矜持を持って勤めていきたいの」


 アヌイは激しく顔を振る。動物の本能がそうさせている。エイドとの会話が思い出される。あの時、ロバは何故あそこまで主人が馬鹿にされなければならないのか。意味がわからなかった。

 しかし、今の若い聖女の言葉は、エイドが彼女を馬鹿にする、理由が十分に含まれている。彼女の本音は、ただ、「ジェフに褒められたい」ただそれだけである。

 だが、清純が求められる聖職者。自分が清純であることをアピールするために、秘めたる思いすら、聖職者の仕事に置き換える。そうすれば、誰も彼女を責めることは出来ない。そう思っての事だ。故に、彼女の一言は、取り返しのつかない恐ろしさを孕む一言である。アヌイは、ようやく、恐ろしさの輪郭に触れたような気がした。

 だが、肝心のリーゼロッテは気づいていない。ロバが激しく首を振るのは、リンゴを喉に詰まらせたから。ぐらいにしか捉えていない。自分の気持ちを見て見ぬふりをし、「良き聖職者」を演じるために生きている。

 ロバの必死さなど、つゆ知らず、彼女は、ロバの姿に笑った。


「光なき場所に光を。光なき者に光を。あの方が私に課した使命。私の使命は、ジェフさんのような一言を重ねることで初めて達成されるのよ」


リーゼロッテの瞳は、ギラギラと輝いている。明るい未来の為に希望に満ちた光は消えていた。彼女の強すぎる瞳の輝きは、そうせなばらなない。と心地よい強迫観念にによるもの。彼女の狂い始めた言動を指摘出るのは、きっと、聖女バルバラのような女性。むしろ、彼女のような存在でなければ、リーゼロッテを諭すことは出来ない。


「だから、私はこの村で最期を迎えるまで頑張るわ。アヌイ」


 アヌイは、自分がどうすれば良いかわからなくなった。止めたくても止められない。ロバは人間の言葉を話せないのだ。だから、再考を促すよう、アヌイは濡れた鼻をリーゼロッテの服の裾につけた。

 主人は、ロバの顔を柔らかいてで包み込む。たまり始めた目やにを指先で取り除くと、口づけをするように、鼻頭に顔を寄せる。


「私の使命。大いなる意思から課された使命を果たすまでは、死ぬことは出来ない」


 アヌイは静かに目を閉じる。今の彼女の視線を直視することは出来ない。

 ロバは、主人に自分の気持ちは伝わらないとようやく悟るのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る