初夜編:利己的な爪跡9

 マルトとヘーグ、そして若い兵士が訪れたのは魔獣の襲撃にほど近い村の住宅地。

 昼下がりとなれば、人々は世間話に花を咲かせ、時間を潰している。集落の長閑さを表すよう、さらさらと田に注ぐ水の音。青々とした苗が目に飛び込む。昔ながらの場所であった。

 しかし、彼らの目の前に広がる光景は180度異なるものだ。さらさらと田に注ぐ水の音は、人々のため息に変わる。青々とした苗は、茶色に変色し、頭を下げ、黒い砂に埋れている。穏やかな人の会話は、荒々しく、ヒステリックな口調に変わり、せわしなく動き回っている。

 人々の生活は奪われた。避難してきた者の為。ということで、住人たちの家は問答無用で取り上げられ、避難場所、食料備蓄庫、指令所と様々な役割が充てがわれた。

 そのような状況に置かれているせいか、マルトを見つめる人々の視線はとても冷ややかだ。逃げ延びたものは、「助けてくれ」と詰め寄り、家を収用された者は、「今後の生活はどうなる」と詰問する。彼は、流石に真面目な表情で「保障はする。しばし待て」と答えるも、誰も納得しない。

 人だかりが出来、押しつぶされそうになるマルトを体を張って守ったのが、若い兵士であった。

 一方、ヘーグは人々に責められているマルトから無事に逃げ出し、ある場所へ連れてこられた。

 家財を没収され、怒りの矛先が真っ先に向けやすい相手。それは、けが人だ。避難場所が設置されても、けが人の治療場所はない。その理由は、「村の医者がいないから」「死にゆく者に場所を与えるのが無駄だから」といったものばかりである。

 結局のところ、彼らに充てがわれるものはない。ただ、日当たりの良くない場所で薄汚いゴザを与えられその場に寝かされるのみだ。

 

「何ということだ」


 ヘーグは、それ以外の言葉が見当たらない。眼の前に飛び交うハエを両手で払い、けが人に駆け寄った。無情にも、死が近いものに蝿はたかる。ヘーグが真っ先に抱きかかえたのは、蝿が全身に止まっている女性の体だ。彼は、彼女の体をなぞるように蝿を払う。そして、彼女に声をかける。けれども、女性から返事はない。口元に手をかざすも、呼吸は感じ取れなかった。彼は、恐る恐る、女の瞼を開いた。


「あぁっ……」


 彼女の目は濁っていた。もう、光を取り込むことはないだろう。

 ヘーグは彼女の体をゴザの上に安置した。頬にふれると、柔らかさはなく、ゴツゴツと固くなっていた。


「遅れてすまない」


 ヘーグは絞り出すように声をかける。そして、自分をこの場所へ案内した者へ声をかけた。


「治療に当たりたい。人手が足りないので、手伝えるものを集めてほしい」


 ヘーグの言葉に、その者は何も答えない。困惑した表情で悩ましそうにヘーグを見つめる。この者は、逃げ延びたものだ。服はところどころ破け、自信なさげに不安そうに彼を見つめる。不安の一つに、住宅地にもともと住んでいた住人の怨嗟に気が引けている部分がある。無論、ヘーグもそれは十分に理解している。


「私の名前を出せば良い。そうすれば、名乗り出るものはいるはずだ」


 そう言うと、ヘーグは首から下げている桃色のメダルを投げた。案内者はメダルを受け取ると、興味深そうに空にメダルを掲げた。そのメダルには蔦の紋章は刻まれていない。尻尾を食べる蛇の絵が書かれていた。これは医者の証であるメダルだ。


「これを見て、私がいることを否定するものはおるまい。手伝いを名乗り出る者がきっといるはずだ」


 案内者はメダルを大事そうに受け取ると、その場を後にした。そして、彼の言葉は現実のものとなる。ヘーグが来た。という一報は多くの耳に入り、避難民が主であるが、手伝いたいという申し出があり、案内者は多くの者を連れて戻ってきた。


「皆さんの協力に感謝する。本音を言えば、彼らをすべて私の診療所へ移動させたいが、現実的ではない」


 ヘーグの言う通り、この場所からヘーグの診療所までは距離がある。患者の中には、傷の状態が芳しく無い者もいる。傷を悪化させぬためにも、極力異動は避けるべきだ。また、正直なことを言えば、簡易的な治療施設が欲しかった。だが、協力的でない住人たちの様相を鑑みると、ヘーグができることは、この場で最善を尽くすことが最適解。ということである。


「なので、ここで治療をする。それにあたり、まずは患者を重傷・軽傷と分けたい。そして、重傷の者には、目印として足首に布を巻いて欲しい」

「ヘーグ様。足のないものはいかがしますか?」


 ヘーグが先程看取った女性は、右足を失っていた。そして、ここで寝かされている重傷者の患者は、五体満足という状況ではない。足を失っている者も当然いる。


「それであれば、手首。それでもだめな場合は頭。必ずひと目で分かるようにして欲しい。後は、火の剣と水の剣を沢山準備し、お湯の確保を。湯を切らさぬよう、気をつけて下さい」


 ヘーグはそれを伝えると、腰に下げていた命の剣を取り出し、治療を開始した。手始めに、ひと目見て、重傷とわかる老人の治療を始めた。

 彼が必死に治療をしても、命が消える者はいる。それでも、彼は、一人で彼らの治療に当たる。絶望的な数に弱音を吐かずに立ち向かった。このような姿をマルトはきちんと見つめていた。


「マルト様」


 声をかけたのは、若い兵士ではない。マルトと同年代。自警団の団長だ。

 彼は、片膝をついたまま胸に手を当て、作法に乗っ取り、言葉を発する。


「そろそろ本部へ移動しましょう」

「あぁ。分かった」


 団長は立ち上がり、膝についた土を拭わず、その場所を後にする。草をかき分け、歩く団長にマルトは声をかけた。


「治療施設を作れ。移動が可能な者・軽傷者はそこへ集めるのだ」

「はっ。では、その為に家を収用致しましょう」

「そうだな。その家の者には、新築で返すと伝えてやれ。いや、違う。収用された者全員にそう伝えろ」

「皆にですか」


 マルトは首を縦に振った。


「犠牲の上で成り立つ協力だ。その協力には全力で答えたい。だが、そうでない者にはそこまでする必要はないだろう」


 マルトの指示に、団長は短い言葉で返した。

 マルトは、トリトン村の住人に犠牲を強いた。その一言に、団長は唇を軽く噛みしめる。異を唱えるつもりはない。だが、やるせない気持ちだけがあるのだ。


 再び、住宅地へ戻る。団長はすぐに先程のマルトの命令を他の兵士に伝えた。兵士は一瞬、嫌な表情を浮かべたが、すぐに引っ込め、視察を開始した。


「こちらです」


 団長の表情が再びこわばったのが見えた。普段の落ち着き余裕のある表情とは異なっている。それはまさに、日常が非日常へと変化した証だろう。人々の不安げな表情は、恐ろしい事が行われている証拠。家の収用に泣き叫ぶ声は、不条理が行われている証拠。自警団の者たちが、「落ち着いて行動してください」と口酸っぱく言う姿は、人々の不安が伝播している証拠。

 本部へ続く道を歩く中、マルトは人々の変化を嬉々として受け入れた。自分は非日常の中にいる。そう思うだけで。彼の心は、遠足に行くが如く、ワクワクしていた。


 団長がマルトを案内した本部。そこは、住宅地の中でやや広めの家であった。

 部屋の中では、自警団の兵士たちが右へ左へてんやわんやと動き回っている。領主マルトの姿を見て、一礼をすら返さない。そのような反応に、礼儀ににうるさいマルトが快く思うわけがない。まさに、遠足当日の朝に大雨が降るような所業だ。

 段々と不機嫌になるマルト。その様子に気づいたのは、彼のそばを離れない若い兵士だ。どうしようかと、口に手を当てる。歩いている団長に声をかけようにも、きっかけが見つからない。一方、マルトに機嫌をとるためだけに直接声をかけるのはおこがましい。そわそわと落ち着かない足取りのまま、総司令部である応接室に通された。

 領主の登場に、先に詰めていた兵士たちは慌てて壁に寄り、背筋を正した。


「マルト様。おかけください」


 団長の言葉を最後まで聞かぬまま、マルトは冷ややかな視線で椅子に腰掛けた。綿の弾力を失った椅子は、マルトのような中年男性の尻を丁寧に扱わない。ドスンと勢いよく座れば、ゴチンと尻の骨に衝撃が走る。ここに至るまでの不愉快さ。マルトの低い沸点はあっという間にメーターを振り切った


「それでは、報告です。まず」

「その前に私の話を聞けっ」


 彼は大声で叫び、机を蹴り上げた。椅子の硬さと同じよう、机も硬い。つま先に走る痛みに、小さく「はぅっ」と声が漏れる。しかし、それで凹たれる男ではない。不機嫌な表情を隠すことはなく、彼は応接の間の壁にぐるぅりと敷き詰められた兵士の顔をにらみつける。


「なんじゃなんじゃ。お前ら。私の顔を見て、何故挨拶をしない」


 団長は、慌てて、周囲の者に「礼」と声を発したが、時はすでに遅し。マルトは「もう良い」と苛立ちを顕にし、左手で空を薙ぐ。


「はっきりと言おう。きちんと挨拶をし、礼をしたのは、団長と、この小童だけばい」


 マルトは、喚くように叫び、団長と若い兵士を交互に指さした。

 怒りで赤くなった顔。おまけに、目尻もきっと吊り上がり、ヒステリックな様相である。周囲の兵士たちは直立のまま傾聴の姿勢を取る。だが、マルトの怒りはそれだけでは収まらない。


「良いか。魔獣が現れても、私に対する礼節を忘れるな。礼節があれば、人は冷静でいられる。冷静でない場合、それは礼節を失っているときだ。あぁ。冷静でいなければ、人は必ず失敗をする。今、この時における失敗は、村人・貴様たちの命にかかわる」


 マルトはテーブルの上に手を叩きつけた。気づけば、立ち上がっていた。前のめりの態勢のまま、握りこぶしを作り、ダンッ ダンッと激しい音を立てながら机を叩く。顔を右へ左へ振り、唾液を飛ばし、檄を飛ばし続ける。


「貴様たちは、領主である私がっ。スナイル国から。トリトン村から預かり与えられた所有物だ。私の関するところで貴様たちは生き、死ななければばならない。それなのに、私の関しない。貴様達が冷静さを失っての死というのは私に対する最大の侮辱である」


 部屋の中でビィーんと張り詰める空気。ビリビリと震える空気に数人の兵士は米神のあたりから、つぅーと汗を垂らす。

 マルトは、方言と標準語が入り乱れている。自分の感情が高ぶっている事に気づきつつも、気持ちは抑えられなかった。


「肝に銘じろ。礼節を忘れるな。礼節は、貴様たちに、冷静さを与える。いいな。死ぬならば、冷静に死ね。私への侮辱で死ぬことは許さん」


 マルトの唸るような低い声。睨めつける視線。その場にいた兵士は一斉に踵を2度鳴らした。これは、トリトン村自警団の作法。領主への肯定・了承を意味する。そして、彼らは同じタイミングで握りこぶしを作り、胸を叩いた。胸を叩く音にずれはない。ポンという空気が押し出される音。不敬を払い、忠誠の音だ。

 これら一連の作法。領主演説の際、求められる作法である。

 マルトの口角が僅かに上がった。そのような変化に、皆気づくだろ。だが、誰も気は抜かない。

 マルトはゆっくりと腰を落とした。目配せをするような団長への視線。団長は握りこぶしでもう一度胸を叩き、声高に叫んだ。


「報告します」


 マルトはあえて不機嫌そうな表情を壊さず、彼の話に耳を傾けた。



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