初夜編:利己的な爪跡08

「マルト様。まだですかー?」


 トリトン村の領主邸宅。三角屋根下の小窓。トリトン村一見晴らしの良い場所。この場所で二人の中年男がテーブルを挟みにらめっこをしている。

 テーブルの上には緑の養生が敷かれた正方形の盤。板には、白い格子が引かれている。格子の中には、親指の爪ぐらいの大きさの丸い透明なガラスと、すりガラスが敷き詰められている。盤の傍らには、透明なガラスとすりがらすがそれぞれ入った木筒が2つ置かれていた。


「マルト様。まだですかー?」

「えぇい。しゃーしぃ」


 マルト。トリトン村の領主である。は手の甲の上に顎を乗せ、右ひざを小刻みに揺らす。眉間に皺を寄席、板を睨んだまま。片手でガラスの入った木筒を手繰り寄せる。ジャラッ ジャラッと音を立て、透明なガラスを一つ取り出したが、なかなか盤上には置かない。


「マルト様」

「少し黙っちょらんね。今、人が考えちょるやろ」


 マルトは目だけをギロリと動かし、相手を睨む。二人とも、同じはしばみ色の瞳をしている。マルトは明るい茶色の髪。対戦車の町医者ヘーグは灰色。身長はマルトが細身の長身。一方、ヘーグは小柄である。


「マルト様。長考には時間が過ぎます」


 ヘーグは丁寧な口ぶりで正す。マルトは忌々しく舌打ちをし、掴んだガラスを「カチン」と音を立てて置いた。


「おやおや。はい。じゃぁ、私はこれで」


 ヘーグはしたりがおで、すかさず、すりガラスを置いた。マルトは彼の配置は予想していなかったようで、「むきいいいいいいい」と子どもじみた声をあげ、髪をわしゃわしゃとかき乱し始めた。


 テーブルゲームを始めて二日。この手のゲームは、プレイヤーのレベルが総じて高いほど、時間がかかる。マルトのように、お子様プレイヤーが相手ならば、1時間で十分なのだが。マルトの負けん気が災いし、ヘーグはこうして二日も付き合わなければならない状況だ。

 公務後とはいえ、村の領主を二日も独り占めするのは気が引ける。もしも、急病人が出たら。など考えれば、気が気ではない。

 ヘーグは先ほどのマルトの指してを見て、彼に伏しているハンデを3つから4つに増やし、ゲームのスピードを上げるべきだと考えた。


「それにしても、彼のお陰でこの村も裕福になりましたね」


 マルトは何も答えない。

 ヘーグが言うとおり、トリトン村は平和で裕福な村となった。

 このような生活は、土の聖剣使い トルダートがトリトン村に逗留しているお陰だ。彼のおかげで村の主産業 米の収穫量は大幅に増えた。国への納税は滞りなく行われている。余剰分の米は村人が個人的に商人に売りつけている。

 金の太い流れ。マルトは、村人の個人的名商売に特段口を挟むことはなく、「好きにしろ」と言うだけだ。それが本心であるかどうかを知るのは、本人と、彼の長年の友人であるヘーグだけだろう。

 

 屋根裏部屋に慌しい音がする。音は徐々に大きくなり、ヘーグが顔を上げると同時にドアが開いた。


「し、失礼致します!」


 ドアを開けたのは、都市若い兵士だ。頬を赤く染め、荒々しく肩で息をする。若者らしく、彼の声は大きい。長考に入っていたマルトには思考をかき乱す声で、とても不愉快だった。


「しゃーしい!」


 マルトは顔を上げず、一喝した。盤面を睨み、ギリギリと親指の爪を噛む。顔を赤くしていた兵士は今度は顔を青くし、唾液をゴクリと飲み込む。軽く深呼吸し、呼吸を整え、背筋を正して言葉を続ける。


「ほ、報告します! トリトン村領内に魔獣が出現しました。負傷者多数との事」

「なんだと!」


 兵士の報告に、ヘーグを顔色を変える。慌てて、席を立ち、窓辺に立つ。兵士は「あちらです」と指差し、方向を示す。ヘーグはその方向を見つめるも、この場所は見晴らしが良い分、物事は小さくしか見えない。眉間に皺を寄せて凝視するも、何が起こっているのかはよく見えない。

 緊迫した状況の中、マルトは相変わらず盤面を睨み、「うー」とうなり声を上げる。髪を何度かかき、ようやく顔を上げる。彼は目を細め、ヘーグの後姿しか見えないことを確認する。そして、その隙に、わざとらしいくしゃみと共に盤面をぐちゃぐちゃに壊した。


「兵士よ。詳しい話を聞かせろ」


 マルトは立ち上がり、ヘーグの傍らに立つ。手馴れた手つきで窓の施錠を解除した。


「はい。魔獣は村人コトウの家付近から突如として現われたと報告を受けております。魔獣の気配以前、コトウの家から不穏な音がしたとのことで、彼の家には多くの野次馬がいました。犠牲者の多くはその野次馬と思われます」


 小窓から、流れ込む空気。それは、彼らがトリトン村で生活している中で嗅いだ事のない匂いだ。発酵した肉の匂い。ぐちゃぐちゃに土と混じった血のえぐみ。不純物が混じった湿気。

 ヘーグは口元を手で多い、眉間に皺を寄せる。一方、マルトは、窓辺に手を書け、実を野良氏、村の景色を見つめる。ある方向から、灰色の煙が立ち上がる。耳を欹てれば、かすかにだが、悲鳴が聞こえる。

 マルトは、あえて息を吸い込んだ。肺に流れる空気は心臓をチクチクと刺激する。日常が非日常へ転換する空気をその身で感じた。変わる日常に、マルトの表情はキラキラと輝き始める。


「そうつか。それなら、詳しいことは外に出るしかないな」


 マルトは唇を舐め、足音を立て、部屋を出た。兵士とヘーグは彼にならうよう、部屋を出る。なお、ヘーグは緑色の盤面に禁じ手が為されたことをきちんと気づいた。


「マルト様」


 階段を駆け下り、頭上から叱責の声がする。マルトは表情を変えず、早足で階段を駆け下りた。


「マルト様」

「なんだ?」

「貴方様、あの盤面に――」

「あぁ。すまん。くしゃみをして崩してしまった」


 階段を下り終わると、平坦な廊下だ。使用人はマルトの姿を見ると、サッと廊下の端に寄った。


「くしゃみです? いつそんな事をしたのですか?」

「そりゃぁ、お前が窓にへばりついていた時ばい。まさかお前、気づか――」

「お言葉ですが、マルト様。くしゃみをしたならば、あのガラス石に飛沫がふちゃくしていなければおかしいです」


 ヘーグの冷ややかな視線。兵士はヘーグとマルトの背中を交互に見合わせ、投げかける言葉を捜した。



「その……。手も滑ったからなぁ」

「やっぱりわざとだったんですね」


 冷ややかなヘーグの視線にマルトは怯むことはない。それどころか、立ち止まり、くるりと彼らの方を振り向く。すばらしい対戦車の肩をがっちりと掴み、言い聞かせるように体を揺らした。


「ヘーグ。そう言うな。あんなんいつでも出来る。でも、今は魔獣が待っている。魔獣討伐など滅多にお目にかかれないもんや。こんな好機を前にすれば、あんな些細な事、目くじら立てるほうが時間の無駄――」

「マルト様。私が貴方にかけた2日間という時間は取り戻せないことはおわかりで?」


 二人の会話を傍らで聞いていた兵士はヘーグの言い分に小さく頷いた。そんな些細な仕草に、この領主は気づくことはない。笑顔を浮かべたまま「知らん」と返し、足早に邸宅を出た。


 邸宅からコトウの家までは少しばかり距離がある。一刻も早く、現場へ駆けつけるべく、彼らの足は邸宅内にの厩舎へ向かった。

 厩舎の入り口ではほとほと困り果てた顔をした顔をした初老の男性が石の上に腰掛けている。マルトが領主に就任する前から領主邸で馬の世話をしていた調教師である。複数の足音に彼は反射田的に立ち上がる。そして、マルトの顔を見ると困った顔を崩し、白色が混じる眉毛を八の字に垂れ下げた。


「マ、マルト様ぁ……」

「おぅ。アレを借りるぞ」


 マルトは、彼の表情を汲み取ることもなく、一目散に愛馬の馬房へ駆けていく。鹿毛色の愛馬。耳を神経質に動かす。馬といえでも、眼光は鋭い。そして、心なしか、不機嫌そうに見える。主人と世話人を見ても、フルルと鳴いた。


「仕事ばい。喜べ」


 マルトは、ニィと歯を見せ、顔の中央に白く筋の通った毛並みを撫でる。普段はこうすることで、ブルブルと心地よさそうに鼻息を鳴らすのであるが。どうしたことだろう。今日に限っては愛馬はわざとらしいくしゃみと共に、マルトの顔にペッと唾を吐いた。


「あっ……」


 ヘーグと兵士の声は同時だった。一拍の間をおき、調教師の腰を折り、謝罪は始まった。顔は完全に青白くなっている。涙を流さないのは、何例の賜物であろう。


「申し訳ございません。この無礼をなんとお詫びしてよいか……」

「良い」

 

 途端、不機嫌となる領主に、彼の後ろに立つ医者は笑い声をかみ殺していた。


「マルト様。これをくしゃみと言うのです。くしゃみと飛沫の関係性はわかりましたか?」

「しゃーしぃ。この陰険どぐされ医者め」

 マルトは忌々しそうに顔を歪め、鼻頭に付着した飛沫を拭う。鼻がムズムズするような臭気。飛沫はぬぐい落としているのに匂いばかりがまとわりつく。糞便に似た匂いに、マルトの口はへの字に曲がる。


「他の馬にする」


 マルトの低い声に、調教師は更に申し訳なさそうな表情を浮かべ、答えた。


「申し訳ございません。マルト様。他の馬もこの馬と似たような状態で」


 調教師は言いづらそうに、彼の機嫌が更に悪くならぬよう、祈りながら口を開く。


「村の住宅方面が騒がしくなり始めた頃から、馬が殺気立ちました」

「もしかして、コトウの家付近で現われた魔獣が現われた時か」


 マルトの呟き、その場にいた人物は何も返せなかった。彼らは、一様に厩舎を見渡す。馬の鋭い眼光。爛々と輝かせ、人間を見下すように見つめる。

 人の制御下にあると思っていた家畜。そう思っていたのは人間だけだ。水がたっぷりと入ったグラスに触れれば、水が滴り落ちる危うさ。人間のかすかな本能が野生の恐ろしさに警鐘を鳴らす。


「マルト様」


 ヘーグの声にマルトは首を縦に振る。


「あぁ。我々の力で行くしかないんやな」


 厩舎の上で鳶の高い鳴き声がする。死臭に呼ばれたのだろう。鳥の鳴き声までヒステリックであった。


「お前は邸宅に戻れ。今、感じた事を中にいる使用人ども伝えるんや」


 彼らは足早に厩舎を出る。マルトは、自分の腰に下げていた剣を調教師に押し付けていた。丸腰となる主に、ヘーグも兵士も慌てて、マルトの手を掴んだ。


「なりませんマルト様。彼が丸腰であったとしても、あなたが丸腰となって剣を与える必要はない。それに、屋敷の中には他の武器もあるのではないですか?」

「あぁ。武器はあるだろう。だが、違うぞ。ヘーグ」


 マルトはヘーグと兵士の手を振り払った。調教師の肩を叩きながら、3人の顔をそれぞれじっくり見つめた。


「この剣は私の腰に下げてあったもの。私の一部やった。と言っても過言やない。これをコイツに託すことは、私の一部を託すことになる。コイツが屋敷に戻れば、私も屋敷に戻れる。そして、私は。私を守ろうと、日々生活する者に対し、今、私は守る義務がある。守る責務がある。義務と責務は、今、果たさなければならないのだ! そのためならば、丸腰になることなど、なんら恐ろしくはない。私が恐ろしいのは、守るべきものを守る意思を示せず、皆を死なせてしまうことだ」


 マルトの声にヘーグも兵士も何も言わなかった。調教師は鼻をズズッとすすり、首を何度も縦に振った。


「さぁ、行け。お前と私で屋敷を守ろう」


 マルトは調教師の背中を何度も叩く。そして、調教師は走りながらも、なんども 振り返り、彼らを送った。

 ヘーグはマルトの隣で歩く。主の顔を横目で見つめる。幼い頃の弱気な彼とは別人だな。と思った。また、彼らの牛を炉歩く若い兵士。彼は目を赤くし、頬も同じ色で染めていた。目尻を何度も拭う。時折見える瞳はには熱いものが見え隠れしている。心の中でメラメラと音を立てる火柱は、伝播し、ヘーグの心にも燃え移る。

「年甲斐もない」と呟くも、決して悪い気はしなかった。



 そう。ここまでは――


「さて、コトウの家に寄る前に家探しやな」

「家探し?」


 二人の声は同時であった。


「そうやん。俺は丸腰ばい。適当な家から剣を借りないといけないやろ」


 当たり前のようにいいのけるマルト。ヘーグの顔から色はなくなった。心に燃え移った炎は見る見るうちにしぼんでいき、「ジュゥ」と哀れな音を立てていた。


「――マルト様。もしも、村人が貴方様から剣をられたと言えば、何と言うつもりですか?」

「そうやなぁ。お前の家にはこの剣はなかった。最初から俺のもんだった。いや、村にある物は全て領主のもの。あるべき場所に戻ったのだ。うむうむ。こっちの方が示しが付くな。ダーーーハッハッ」


 マルトは腕を組み、何度も首を縦にフリ、笑い声を上げた。ヘーグの手にかかる命の剣。若い兵士はその手を押さえ、「ガマンしてください」ととりなすのが精一杯であった。

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