初夜編:利己的な爪跡07

 脇腹は刺され、今度は心臓だ。


「たまったもんじゃない」


 トルダートは額を床に付け、ぜぇぜぇと息を吐く。

 不老の力が働いても、人間の枢要部心臓を一突きされれば、そうたやすくは修復されない。修復は約束されている。口から吐き出す血と、凍える指先。命の灯火が潰える可能性が見え隠れしている。


「分かったか人殺し。これが、痛みってやつなんばい」


 体を台形のようにひれ伏すトルダートの尻を、背後に立つコトウは蹴り上げた。トルダートは呻くと、みすぼらしく、うつ伏せになる。出ていた刃先は背中へと押し戻される。


―この刃物を抜け―


 脳からの指令に、トルダートは従う。左手を背中へ伸ばし、必死に心臓の裏に突き刺さる柄をどこだ どこだと探す。だが、彼のこのような行為をコトウは既に見越していた。


「ダメばい。いきなり抜いたら。血が噴出して死ぬっちゃけん」


 コトウは笑いながら、彼の左手を掴み、反対の手で彼の肩関節を掴む。


「ちょっ……」


 トルダートの顔は青ざめる。それは、鳥の手羽先を解体するで。腕をねじり上げ、関節を外した。


「うぎゃっ」


 メリメリッという関節が外圧で押し出される。

 ゴリッと骨が滑る音がした。

 ブチッと肩の肉 筋が断絶音がする。

 体の内側が破壊されたとシグナルが走る。

 トルダートの反応に満足し、コトウは手を離す。左腕は重力に従いだらしなく、バタンと音を立てて墜ちた。手の甲がジンと痺れる。

 トルダートの腰に下げている聖剣の鞘が光る。不老の力だ。けれども、その力は弱い。心臓の修復と、脱臼した肩の修復。1つの力を2つに分けているため、中途半端に作用する。十分な回復はすぐには期待できない。


「まだ死なんつか。本当に、聖剣使いは頑丈なんやね」


 興味深そうに語るコトウ。トルダートは、トルダートは口からこみ上げるものを吐き出した。吐くと気持ちが軽くなる。脳は痺れているが、多少の余裕が生まれた。例えば、今、自分が何を吐き出したのか。を確認することが出来るぐらいだ。赤い色の液体を吐き出していた。血液に映る自分の顔は、まるで基金のときにいた村人の顔をしている。


「でも、お前は人殺しや。お前のせいで母ちゃんは死を奪われた。この人殺し。なんか言えよ! この人殺し。人殺しこの人殺し。人殺しこの人殺し。人殺しこの人殺し。人殺しこの人殺し。人殺しこの人殺し。人殺し」


 トルダートはもう一度喀血した。吐く度、心は楽になる。体は重くなる。吐くごとに呼吸は変化する。今では、「ひゅーひゅー」と喉仏を通る空気の音がした。空気に混じり、言葉を呟く。舌が鉄の味で痺れ、上手く話せない。彼は、のそのそと動きだした。

頭に重心をかけ、もう一度膝を立てる。グリグリと緩慢な動きで背後に立つコトウを睨みつる。


「違う。お前の母親を――コろしたのは――あの人間だ」


 血まみれの中、落ち窪むような目がコトウを見据える。眼光は鋭い。射抜く鋭さに、コトウの体はビクリと震える。コトウの視線は反射的にトルダートから商人へ移る。

商人は膝を着き、二人を見つめる。だが、商店はうつろ。血と混じり、流れる砂を愛おしそうに抱きしめる。商人は耳を欹て、ニヤニヤと人の悪い顔で二人のやり取りを土産としていた。


「そして、コトゥー。お前も悪い」


 トルダートははっきりとした口調で はっきりとした視線で はっきりとした意味を持ちコトウを断罪した。


「ひっ」


コトウは目を見開き、胸に自分の握りこぶしを当てる。腕はかすかに震えていた。


「そ、そんな事……」


コトウは自分に問いただす。自分の行いは正しいのかと。彼の心の天秤は安定せずグラグラと揺れる。

 左の皿に、自分の行いを乗せた。天秤は左へ傾く。そして、反対の更に、自分の過去を乗せた。

 自分が何故このような事になったのか。自分の言い分を分銅に見立て、皿の上に載せていった。

① 自分がこのような立場になったのは、聖剣の力をもって母を助けなかったトルダートのせい

② 母の病に真摯に向き合わなかった村の医者のせい

③ 母子家庭の自分達を守らなかった村のせい

④ 自分達を見捨てた父親のせい

⑤ 死者以外を治せると豪語する命の剣師団を囲う王宮のせい

⑥ 自分にこのような生活を押し付けた国のせい


 分銅は乗り切った。1:6.天秤はコトウの言い分へ傾く。その様を見て、彼は確信した。

 自分は被害者だ。被害者であるから、少しぐらい良い目を見るべきであり、周囲も多少の事には目をつぶるべきだ。


「黙れ! 俺は悪くない!」


 コトウは叫ぶ。わざとらしく足音をドタドタを立てた。

 トルダートの削ぎ落とされた左脇腹にコトウは踵から蹴りを入れた。


「俺は被害者ばい」


激痛がトルダートを襲う。痛みを逃すよう、モゾモゾと体を動かす。その様は、地面にたたきつけられた芋虫のよう。


「加害者のっ。お前がっ。知った口をおおおおおおお」


無様なトルダートの姿に、間髪入れず、同じ場所を蹴り上げる。うつぶせ気味になっていた彼の体は、勢いに任せて、仰向けとなる。

視界が変わる。天上とコトウの顔が見えたとき、次に自分の身に何が降り注ぐのか理解した。

 包丁の刃は再びトルダートの胸から現われた。

 切っ先は赤く染まり、血の塊がボロボロと体を中心に濡らしていく。


「まぁだ死なんつか。どげんしたらいいんか。これ」


 コトウの視線は、強い光を放つ鞘へ移る。光は、トルダートの体を治療する。持ち主が治療の痛みにもがき苦しんでも、お構いなしだ。トルダートの心臓に淡い光が包み込む。優しい光は、筆舌尽くしがたい痛みを与える。


「苦しいやろ。トルダート」

 

 コトウは放置されている土の聖剣を拾い上げた。


 商人は、顔を挙げ、コトウを見つめる。目は見えずとも、彼が何を欲し、何をしようとしているのか。心の目が見抜いていた。ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべ、「壊せ」と呟いた。


「人間の痛みはもっと辛いんばい」


 コトウは迷うことなく、手にしていた聖剣をトルダートの脱臼した左肩に突き刺した。

鋭い切っ先は、肩の筋肉を切る。筋を断ち、次に繊維に沿ってグチャグチャに壊されていく。肉を切っ先で砕いた後、突き当たるのは骨。切っ先が触れれば、コツコツとノックのような音がする。脱臼はさせても、剣で骨を断つのは難儀する。

コトウは鋤で意思をどかすよう、剣で骨をイタズラにガチガチと押しのける。やはりといったところか。骨はびくともしない。


「やっぱり、骨は石と違うんやんな」


コトウは溜息をつき、角度を変え、刀身を半ばまで押し込んだ。それから、全体重を聖剣にかける。聖剣の刀身はコトウの力にあがらえず、キィキィとなき始める。刀身はしなる。緩やかな曲線を描き耐えられない。耐えられない。と叫ぶ。トルダートは聖剣の叫びが聞こえた。


「見らんね。トルダート。これが、聖剣が。聖剣が折れるばい。これが、聖剣が壊れる音なんばい」


 興奮するコトウの声が響く。彼が言うとおり、聖剣が折れるのは時間の問題。彼の頭の中は痛みでぐちゃぐしゃになっていた。

 痛みで流れる涙は枯れた。

 痛みで、叫ぶ声はどこかへ消えた。

 痛みが 痛みが。痛みが枯れの頭を塗りつぶす。

 どうして、こうなった。どうしてこうなった。と問いかけてもどうしようもない。

 コトウは、怒り、憎しみに溺れた。彼は聖剣使いとなり、豊饒の大地を与え、人を救えても、友人と思った人間の心を救えなかった。

 彼は、右手で自分の目を押さえる。嘆かわしい。だが、これが現実。これが、聖剣の呪い。人ならざる力の代償だ。


「世界は残酷だ」


 トルダートの言葉の後、部屋の中を包んでいた空気が変わった。外からの風は受けていないのに、部屋の中で、風邪がびゅーびゅーと音を立てて吹き荒れる。コトウの母や屈強な男を包んだ黒い砂も舞った。


 トルダートは目元を拭い、天を睨んだ。


「世界よ」


 トルダートの声に、天から、「オォン」と声が響く。


「土の聖剣をお返しします」


 トルダートの言葉の後、コトウの手で握られていた聖剣がパキリと音を立てて割れた。彼の腰に下がっていた鞘は砂上の楼閣のようにサラサラと音を立てて消えていく。トルダートの足元から聖剣の加護 不老の力が薄れていく。


「世界よ! 我は力を欲す。わが手に。新たな聖剣の力を――」


 トルダートの叫びは喀血とともに途切れた。自分の体に降り注がれる血。彼は手を伸ばす。世界に繋がる一本の筋が部屋を飲み込んだ。

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