初夜編:利己的な爪跡04

「コトウ。お前は母ちゃんの可愛い子ばい。辛いとき、苦しいとき、困った時。そん時は母ちゃんの胸の中でいっぱい泣くんばい」


 幼い頃、コトウは村の子どもにからかわれていた。彼には父親がいない。ただそれだけだ。どうしようもないことをコケにされ、幼いコトウの心は多くの爪痕が残された。からかわれる度、コトウは泣きべそをかきながら家へ帰る。母は、そんなコトウをしかりもせず、彼を抱きしめ、頭撫でる。土臭い母の体。鼻につくが、嫌いではなかった。こうして母に抱かれることで、彼は母に愛されていることを確信できるからだ。母に抱かれると ふと錯覚を覚える。まるで、土の聖剣に抱きしめられているようだと。


 コトウの下半身は、トルダートの返り血を浴び、赤く染め帰っていた。胸に抱えた剣を落とさぬよう、肩でドアを押し当て、身体を横倒しにするようにして家へ入る。

 ドアは開けっぱなしにし、彼は母の部屋へなだれ込んだ。

 部屋に入ると、母の体を中心に、商人と命の剣師団の2名がいる。

 母の表情は分からない。二人は、母の手首を持ち、命の剣を押し当てている。何かの治療をしているようだが、すぐには分からなかった。ただ、布団が規則正しく上下する様を見て、母が無事であることに安堵した。

 だが、安堵したのは彼のみである。

 商人と命の剣師団は、コトウが抱えている剣を凝視し、息を飲み込んでいる。

 血で染まっているが、世界を創った12本の聖剣の1振りが目の前にある。聖剣書の存在が現実にある。神々しさは感じ取れない。一方、興味がそそられる。職業故か、特に商人は自分の直感に正直である。


「コトウさん。部屋に入る前にそれを渡してもらいましょう」


 商人は、部屋の入り口まで歩き、「よこせ」と仕草をする。コトウはチラリと母が寝るベッドを見つめる。母のベッドと商人を交互に見つめ、憂いの表情を浮かべながら、剣を差し出した。商人は受け取ると、剣を掲げながら部屋の中へ入った。コトウは彼の後ろへ続き中へ入った。通り過ぎ様、屈強な男が、商人に2枚の白い布を渡す。彼の表情はまるで、ばい菌を見つめるようで、とても険しい顔をしていた。


「コトウさん。鞘はどうしましたか?」


 商人は剣に付着した血液を拭い取りながら尋ねた。コトウも服が染みにならぬよう、布をポンポンとリズミカルに叩きつける。


「鞘?」


 コトウの不安げな表情は更に濃くなる。商人はコトウに目もくれず、血のついた布を床に落とし、白銀の刀身を天井に翳した。


「コトウさん。剣だけでは聖剣とは言えないんです。剣と鞘があって初めて聖剣と言われるのですよ」


 刀身越しにコトウを見つめる。刀身の歪な歪みにならうよう、コトウの表情も歪んで見えた。商人は聖剣を下ろすと、首だけを動かす。


「聖剣使いには『不老の力』と『呪い』があることはご存知ですか?」


 そう言うと、彼は彼女の枕元付近をウロウロと動き始めた。曰く、聖剣使いには2つの特性がある。聖剣使いを生きながらえさせるための「不老の力」

 不老とは、心身の衰えを極端に遅くさせること。小さな傷であれば瞬時に治すことが出来る。これが不老の力である。

 一方、「呪い」これは、聖剣を持つ代償というものである。呪いの原因は火の聖剣と水の聖剣の不仲が原因。二振りの剣戟によって生じた熱は、呪いとして全聖剣に振りそがれた。聖剣に浴びせられた呪いは持ち主にも及ぶ。呪いは様々であり、持ち主によって変わる。

 不老と呪いの体現が聖剣の構造だ。聖剣本体(使い手)を癒し、守る鞘。聖剣本体(使い手)の無慈悲な力としての刀身。厳格な意味での聖剣は、本体と鞘が一緒でなければ意味が無い。


「コトウさん。本体だけでは意味が無い」


 商人の説明に、がっくりと肩を落とすコトウ。彼らの要求は、厳格な意味での聖剣の用意だった。コトウはもう一度トルダードに会う必要がある。血の海の中で事切れたトルダートの姿がフラッシュバックする。目を見開き、倒れているトルダート。腰に下げていた鞘。死体を物色し、窃取するという行為は夜盗のように思えた。また、コトウの中に不安がもう一つ生まれる。死ぬ間際に発したトルダートの声。コトウが彼の家を出るときは、村人は誰も来なかった。しかし、声が気になり、村人が不振に思いトルダートの家にやってきた。というシチュエーションは否定できない。

 万が一、コトウがトルダートの腰に下げている鞘を窃取する現場を村人に見られれば。

 そう思うと、彼はその場で頭を抱えた。


「しかし、コトウさん。ご安心ください」

 

 商人の言葉に、コトウの顔が上がる。


「聖剣とは引かれあうもの」


 その声の跡、家の前で荒々しい音が聞こえる。ガヤガヤとした喧騒の跡、ドアがピシャリと閉まる。振り返ると、閂で二重に施錠する男が家の中にいた。全身を血で染め上げ、右脇腹は拭くが破れている。傷口にはドットのような赤黒い血の塊が付着している。

 男はまっすぐ、皆がいる部屋へやってきた。


「コトウさん。あれが土の聖剣使いですね」


 コトウは声が出ない。剣は深々と刺した。手に残る肉を絶つ感触。ドロドロと流れ落ちる血液。ぐぐもるように吐き出した血混じりの唾液。縋り落ちる力をなくした体。死の階段をトルダートは上がりきっていた。それが「始めの一歩」に戻る。人間ではたどり着けない、人ならざる力。これを聖剣の持つ「不老の力」とは言わず何と言うだろう。それゆえ、コトウは確信した。


「彼は、土の聖剣使い。トルダートばい」


 コトウに紹介されると、トルダートは日ごろからのキメポーズ。 自分の両方頬に左右の人差し指を当て、「トルちゃんです」と返していた。


「まぁ。それにしても、コトゥー。一言言っておく。トルちゃんは生きるのやめへんでー」


 そう言うと、トルダートはその場で文字通り地団駄を踏む。ダンダンと荒々しい足音を鳴らすと、床をバンバンと叩き出した。

 コトウ以外の3人は、トルダートの奇行に目を白黒させる。伝承名高い聖剣使いがよもや、このような人間 このような人物だと想像できただろうか。いや、出来ない。

 冷ややかというより、困惑の表情である。

 一方、トルダートは自分が思ったようなリアクションが返されず、プクゥと頬を膨らませた。


「で、茶番はここまで。聖剣早く返してくれない?」


 トルダートは商人に手を差し出した。彼がコトウにしたように、トルダートも同じ行動に出ている。


「自分、コトゥー以外あんた達は誰かは知らない。言っておくけど、自分スッゲー潔癖症なんだ。知っている人以外に所有物を触れられたくない。家のトイレも使われたくないし使いたくない。そうそう。君達の入った風呂にも入りたくないぐらい。まぁ、入るなら、風呂の水は全部入れ替える。だから、返して。汚いでしょ」


 トルダートは一歩、前に出る。近くにいるコトウに目もくれず、商人が手にしている聖剣のみを見つめていた。


「一つ聞く。我々。コトウとコトウの母と共にスナイル国の王都へ来る気は無いか? 王は君に興味がある」


 商人の申し出にトルダートは即答した。


「断る。土いじりができない場所に興味は無い」


 商人は彼の返答は織り込み済みである。一抹の期待もかけていない。そのせいだろうか。彼は自分が手にしている聖剣がとても惜しく思える。希少価値のある聖剣であること。これを王に献上すればどのような生活が遅れるかという青写真。聖剣使いとなる自分の夢物語。縦糸と横糸のように、脳内の機織が願望を織り上げる。これらの夢が叶うためには、聖剣の刀身だけではなく、聖剣の鞘が必要。目の前にいるトルダートを組み伏すか、説き伏すしかない。

 商人の頭の中にあるソロバンがパチン パチンと音を立てる。利は莫大。手中に収めるべきか、一つの賭けに出た。


「残念だ。それでは、持ち主の言うとおり、これは返そう」

「待っちょくれ。そげなごつしたら、母ちゃんは――」


 コトウの問いは商人が返すことは無い。商人は聖剣を名残惜しそうに見つめ、手放した。

 だが、手放した場所が最悪だ。彼は、コトウの母の顔の上で落としたのだ。抜き身の剣は重力に従い真っ逆さまに落ちていく。周囲の人間が気づいたときはすでに遅い。聖剣の切っ先は、彼女の額にずっぽりと沈んでいた。

 聖剣は骨に穴を開け、脳を貫く。剣の柄が留め具となり、まるで彼女の墓標のように佇んだ。コトウの母は、反射的に目をあける。全身をビクビクと数度痙攣させる。グルゥリと黒目が上を向く。彼女の瞳は、もう光を通すことは無い。


「か、母ちゃん? 母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃん」


 突然の出来事。さよならも言えずに、コトウは永遠の別れを強要される。脳内の回路は追いつかず、心を上下左右に揺さぶる。

 人の血が通っていた温かみが失われる。彼女の体は寝具の残り香のような温かみを纏う。顔に触れても、皮膚のたおやかさはこわばりへ変化する。固く、触れる者の熱を拒絶ようだ。


「アーーーーーー。なんで? なんでなん? なんでなんなんでなん?」


 コトウの慟哭は、治療に当たっていた屈強な男にも移る。「絶対に治せる」患者を目の前で破壊された怒り。腸は火の剣を蓄えたお湯に、グツグツと音をたてていた。


「お前っ」


 屈強な男は立ち上がり、商人の胸倉に手を伸ばす。


「何故、あのような事をした」

「何故って、あの聖剣使いは言ったじゃないですか。返してくれないか。だから、返しましたよ。別に、彼は私に対し、自分の元へ届けろとは言っていないじゃないですか」

「常識的に物事を考えろ。それぐらいわかるはずだ」

「常識ですか」


 商人は呆れたような。いや、人を小馬鹿にするような笑顔を向ける。小さく口の中でモゴモゴと呟くと、話を続けた。


「良いですか?常識とは、偏見のコレクションです。常識が成り立つのは、同じ偏見を持った時。うん。では、人の体の上で剣を落としてはいけないという偏見。それは、貴方だけの偏見ではないですか?」

「そのような事あるか!」

「いやいや。そもそも、貴方は命の剣師団の一員ではないですか。人間の体の上で剣を振ったり、落としたり突き刺したり。色々な事をしているじゃないですか。それなのに、常識云々言って否定するのは矛盾したことでは?」

「屁理屈をこねるな」


 激昂する男に、商人はニヤニヤと笑う。そして、笑いは化学反応のように陰鬱な男は伝染する。陰鬱な男は引きつった笑い声を上げた。甲高く癪に障る笑い声。

 それもそうだろう。この男にしてみれば、今目の前で生じていることは面白い事他ならない。


「おっほぉ」

「ひっ……」


 商人とコトウの声は同時だ。母の身体を揺さぶっていたコトウはしりもちをつく。彼女の額から、黒い砂がにじみ出ている。

 トルダートは諦めた表情で彼女の亡骸から聖剣を抜く。額にポッカリと空いた縦に細長い穴。人間であれば、体液が零れ落ちる。ところが、彼女の赤黒い穴から零れ落ちるのはサラサラとした黒い砂。それは、蟻のように小さな羽虫が意思を持つようにサァサァと耳障りな音を立てる。黒い砂は彼女の顔を覆う。黒い布がかかったような。と思うと、パァンと破裂する音がした。音とともに、顔のふくらみ 高さが忽然と姿を消した。黒い砂は、空中を舞うと、首、肩と付着する。質量を増やし大移動をしているようだ。


「コトゥー」


 トルダートはコトウを彼女の体から引き剥がすと、文字通り部屋から引きずり出した。トルダートの表情に余裕は無い。

 背後から聞こえる耳障りな高笑い。


「土の聖剣使い。それが、君の呪いか」


 トルダートは口を真一文字に結ぶ。コトウの色を無くした表情は、商人の次の言葉を待つ。


「人から死を奪う呪い。自分ではなく、他人へ向けた呪い。これは、最悪だ。そして、自己中心的だ。今までこのような聖剣使いはいたものかね」


 トルダートは否定しない。コトウは食い入るように残酷な背中を見つめた。


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