初夜編:利己的な爪跡05
「どういうことなん?」
コトウのといは、商人以外、皆の疑問だ。商人は黒い砂から離れると、再び公爵を垂れ始める。
「人は死ぬとどこへ行くかわかりますか?」
「樹の聖剣 イグラシドルの下」
「そう。我々にとって、死とは肉体的な死ではなく、イグラシドルへの旅路を含む」
イグラシドルは11本の聖剣を飲み込み、世界の土台となった。イグラシドルは、マナを受け入れ、世界を支えている。人間は、ある種マナの塊であり、同時にマナをイグラシドルから借りている。。自分の中にあるマナを用いて、様々な剣を使っている。
肉体的な死が訪れても、体内には残留したマナが存在する。マナは、イグラシドルと共にある。マナをイグラシドルへ返そう。その趣旨で人が死ねば火葬を行うようになった。
燃え残った塵芥は、風に乗り土へ還り、イグラシドルの下へいく。イグラシドルでは先に逝った親兄弟親友仲間がいる。イグラシドルは亡くなったマナの道しるべと言うべき存在だ。還るべき場所を知っているから、人は心置き無く死ねる。
では、火葬されずに朽ちた場合はどうなるのか。火葬されなければ、塵芥も出ない。イグラシドルも歩めない。道しるべも見つけられず、みげんに無為に止まる無価値な存在へ変わる。
商人の言う「人から死を奪う」とはそう言う意味だ。
コトウの母の亡骸は、黒い砂に食い尽くされて亡くなった。彼女は「死」を迎えることはできない。彼女は無限に 無為に 留まるのだ。
「あんたの読みは当たっている。ただ、他人に向けられた呪いって言うのは違うかも」
トルダートは自嘲気味に笑う。
「それはどういうーー」
「自分の身体をもって経験すればわかるよ」
「土の聖剣によって殺された者はイグラシドルの下へ行けない」
トルダートの動きは早かった。「動いた」と彼の目の前にいる二人 商人と屈強な男が気づいた時にはすでに遅い。トルダートの右脇腹にぽっかりと穴が相手いたように、屈強な男の身体に穴が空いた。
彼は、恐る恐る自分の身体を見た。商人の自分のわずかな間、連結するように剣が刺さっている。
「あ……アアァッーー」
彼は、剣を押し返すことも引き抜くこともできない。
彼の脳裏では、コトウの母の姿が映る。黒い砂に飲み込まれ、死ぬことができなかったコトウの母。彼女の姿に自分が重なる。
トルダートは柄をねじりながら剣を抜く。水っぽい音の後、彼が予想したように、血に混じるような黒い砂が現れた。
「い、イヤだ」
屈強な男は、黒い砂がこぼれ落ちぬよう傷口を抑える。すぐ近くに自分が使っていた命の剣があることも忘れ、彼は前かがみになり、血と砂を受け止める。だが、無情にも、指と指の隙間から血と砂はこぼれ落ちた。
雨季に入ろうとしているこの季節。汗ばむぐらいに暑いはずなのに、上着を欲したくなるほど寒い。寒いため、床に腰を落とす。外気との接する面を減らすためだ。
寒い。とても寒い。歯の根は会わず、ガタガタ震える。全身が震える。
胃も頭も、見えない手が乱暴に自分の体を振り回す。とても気持ちわるい。自分の意図しない震えが精神的・肉体的に気持ち悪い。
胃が振り回され、痙攣する。ビクビクと胃袋全体が痙攣すると、胃液が逆流し、嘔吐した。胃のムカつきはおかげで忘れられた。だが、すっきりとした気持ちは長くは続かない。また、胃は痙攣し、オエオエと胃の中にあるものを吐き出す。
体内で醸成され、ホカホカの湯気を立てる吐瀉物。彼は、立ち上がる湯気をみて、なんの違和感も覚えず、暖を取ろうと手を差し出す。けれども、ちっとも体は暖かくならない。寒い体は湯気を受け取らない。おかしいおかしい。と思うとまた寒くなってきた。彼の目尻に涙がたまる。
寒さも 頭痛も 脱力感も 気分不良も これらの症状は重度の貧血。それはそうだろう。血がこれほどドバドバ出ているのだ。何も処置がなされなければ……。
「イヤだ、こんな終わり方はイヤだ」
彼は命の剣師団の一員。自分の中で何が起き、どのような結末を迎えるのか知っている。吐瀉物に混じる、黒い砂。血液と混在する黒い砂。ゆらゆらと漂っていた砂は、彼の足元に忍び寄っていた。
「イヤだ。死にたい。きちんと死にたい。イグラシドルの下へ行きたい。イグラシドルの下には皆がいる。皆が待っている。俺は、皆と会おうと約束したんだ。それなのに……。それなのにーー」
大きな体がビシャリと音を立てて吐瀉物の上に倒れる。嗅覚と痛覚が曖昧になってきた。筋肉がパンパンに張ったご自慢の太ももは形を無くした。
「ナゼ、こんな終わり方……」
吐瀉物に混じっていた黒い砂がわさわさと彼の顔に群がる。
「燃やしてくれえええええ。俺の体を燃やしてくれええええええ。今なら、俺はイグラ――」
彼の声はここで途切れた。黒い砂は全てを包み、そのまま彼の存在を食い尽くした。
彼は死ぬことはできない。彼の一部である塵芥がないからだ。
その様は二人の男が見届けた。
「私に末路を見せたいが為にしたのか?」
商人は彼の一部始終を目を細めてみていた。消えた男ほど、深い傷はない。
しかし、彼も服は裂け、赤く滲むシミがある。シミに混じり、ボロボロと砂が吹き出している。
「さぁね。君はここまでしないとわからない人間かもしれないって思ったのは確か」
「私は何がわかっていない。と思うのかね?」
「聖剣なんかを持つ馬鹿らしさだよ」
トルダートの答えに、商人は大きな声で笑った。笑えば笑うほど、血と砂が吹き出る。満足した。事足りた表情。それはまるで、良いものを卸せた。と言いたげに。
「あぁ。馬鹿らしい。君が言う通り馬鹿らしい事だ。そのような呪いのある聖剣を王に卸すなんざね」
商人は両手を上げ、「降参」のポーズをとった。何に? と言う問いよりも「これだ」と言う答えがでた。
トルダートの胸からひょっこりと現れた四角の刃。刃こぼれが激しい。赤茶色の錆も見える。しばらく使われていない刃物だ。
本日2回目。刺された1日の回数では自己最多を誇る。トルダートの口元が歪む。聖剣に不老の力があるとはいえ、心臓を突かれるのは致命傷。残念なことに、遠慮なく、まっすぐに刃は入っている。故意は阻却されない。
「そんな聖剣でも仕分ければ王に卸せる」
トルダートは何も答えない。いや、彼の声はトルダートに届かない。胸に突き刺された刃を抜くことなく、彼はゆっくりと首を動かし、背後を振り返る。
陰鬱そうな男は、小さくヒヒヒと笑う。そりゃ面白いだろうな。とトルダートは思った。
刺した張本人 コトウは、血に濡れていない1本の刃を手にしている。それは、彼の母が愛していた三徳包丁だった。
「お前のせいでお前のせいでお前のせいでお前のせいでお前のせいでお前のせいでお前のせいでお前のせいでお前のせいでお前のせいで」
コトウは唾を吐きながら猛然とトルダートへ襲いかかる。振り向くトルダート。固く握り締められた三徳包丁は彼の左脇腹をえぐるように刺しこまれる。コトウは三徳包丁を離さず、刃を寝かせ、魚のサクを切り落とすように脇腹の肉を削ぎ落とした。
肉が抉られる痛みに、トルダートは唸るような声をあげる。不老の力で削がれた肉はいつか戻るとしても、痛みが癒えることはない。
「コトゥー……。刺したり突かれたりするのは好きじゃにゃー」
たたらを踏み崩れ落ちる身体を支えるよう聖剣を杖にする。
「コトゥー。誇れ。俺を1日2回も殺しにかかったんは君が初めてだ」
「黙れ。お前が来たせいで村はおかしなことになった。お前がいるせいで、変なやつが来るようになった。お前がいなければ、母ちゃんはきちんと死ねた。お前のせいで母ちゃんは死ねなかった。お前のせいで、色々な人が迷惑をしている。お前なんかいなければ。誰も不幸にならなかった。お前なんか初めから存在しなければ。誰も泣かずに済んだんだ」
コトウの罵声は雨のように降り注がれる。トルダートは目を細めコトウの罵声を一つも漏らさず聞き続ける。コトウは胸が痛い。物理的に刺されているから痛い。聖剣の力で自分の体を修復しようとして痛い。自分が侮辱された心が痛い。存在を否定されたことが痛い。張り裂けんばかりに痛い。
トルダートはとうとうこらえきれずに涙が溢れ出る。ボロボロと涙をこぼすのはいつぶりだろう。
トルダートはとうとう膝をついた。
「コトゥー」
トルダートは震える声でコトウに声をかけた。
「出会ってしまってごめんなさい」
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