初夜編 利己的な爪跡02

 それから数日後、再び商人はやって来た。

 ただし、商人一人ではない。傍に2名。屈強そうな男と陰湿そうな男がいる。噂に聞く命の剣師団の人間なのだろうか。訝しがるコトウの視線を察してか、屈強そうな男の人は、胸からメダルを取り出した。

 桃色に染まった手のひら大のメダル。スナイル国の紋章 円を描く蔦が刻まれている。

 王族は金色のメダルを携え、王族に使える侍従は鈍色のメダル。兵士は黄土色のメダル。命の剣師団は桃色のメダル。役職ごとにメダルの色は変わる。

 コトウは、なかなかお目にかかることの無いメダルをまじまじと見つめ、「ほぇー」と気の抜けた声をあげた。


「信じてもらえますかな?」


 屈強そうな男は苦笑しながらコトウに尋ねる。彼にワンテンポ遅れて、陰湿そうな男もまたコトウにピンク色のメダルをかざした。


「信じるも信じんも。こげなもん見たことないけん。これが、噂に聞く命の剣師団の桃色メダルかぁ。えれぇもん見れたわぁ」


 コトウは間抜けな声を何度もあげ、二人のピンク色のメダルを凝視した。


「コトウさん。それぐらいでよろしくはないですか?」


 しびれを切らした商人が、コトウに声を投げかける。遠路はるばる、辺鄙な村までかの有名な命の剣師団がやってきた。商人は「連れてくる」という約束を果たした。ならば、コトウも約束を果たすのが道理。

 彼は、「おぅ」と声をあげ自室に戻る。ドタドタと慌しい足音は小さくなり、そしてまた大きくなる。再びドアが開くと、コトウはズタブクロを5つ抱えてやってきた。

 どれも手をつけていないようで、商人が渡した時のままだ。縊られた麻紐はきつく絞められたままである。

 まず、机の上に置かれたズタブクロに手をつけたのは陰湿そうな男だ。腰に下げていた短刀を手慣れた手つきで麻紐を切る。口を開き、中に詰まっている金貨を覗き込んだ。クンクンと中の臭いをかぐと、ガバッと顔を上げる。

 相方の屈強そうな男に中身を見せるよう、手にした金貨を自分の頭の高さまで持ち上た。手から金貨を話すと、重力に従うよう、まっすぐに落ちる。まるで金糸の滝のようである。

 ジャラジャラと下品な音を立てるズタブクロに屈強そうな男は鷹揚に首を2度、3度と縦に振った。


「本物である事に間違いないだろ」

「そうかい。それで。患者はどこにいる」


 二人の着眼点は違うようで、陰鬱そうな男はもう一度、ズタブクロの金貨を一枚一枚舐めるように見つめる。一方、屈強そうな男はコトウに、母親の居場所を責め立てる。

 背を突っつかれ、コトウは屈強そうな男を母の部屋に案内する。心配そうに、陰鬱な男に視線を送る。だが、コトウの視線はズタブクロに遮られるようで、陰鬱な男は、コトウの事に気が付かない。


「彼の事は良い。早く話を聞かせてくれ」


 屈強そうな男は、コトウに声をかける。狭い家だが、彼は足早に、母の元へ案内した。

 部屋の中では、コトウの母がベッドの上で寝息を立てている。昨日、トリトン村の医者の往診が終わったばかりだ。

 屈強そうな男は、コトウの話を聞きながら、母の手首の脈を取る。コトウの声と重ならぬよう、小さな声で数字をカウントしていた。

 そのような二人を背後から見つめる残り二人。陰鬱そうな表情は相変わらずだが、金貨遊びを堪能したようで、男がノソノソと寝室へ来た。


「ナレプシー症だろ」


 彼は、部屋に入るや否や、病名を断言する。


「脈と呼吸だけしかわからないが、息子の話しも重ねるとその線が濃い」


 驚くコトウに商人はゆったりとした足取りで部屋に入ってきた。


「コトウさん。驚いたでしょ。これが命の剣師団ですよ」


 ナレプシー症。トリトン村の医者も言っていた病名。メジャーな病ではない。と言っていた。

 食欲不振 不眠 下血。下肢はビリビリとしびれが続き、立つこともかなわない。下腹部は水が溜まり、ぽってりと膨らむ。原因不明。治療法も確立されていない。

 屈強そうな男は懐から短刀を取り出し、彼の母の右手首に当てた。淡い光を放つ。そして、刃は母の薄皮を裂いた。ぷっつりと途切れた血管から滴り落ちる血液。ゆったりと刃の流れに伝う。だが、柄には一滴たりとも血液は付着していない。

 剣が、血液をすすったのだ。


「間違いない。ナレプシー症だ。最悪な事に末期型のな」


 命の剣から何かを感じたのだろう。忌々しい表情で屈強そうな男は短刀を振り払った。刀身を光にかざし、何も付着していないことを確認する。白い布で短刀全体を拭うと、鞘に戻した。


「末期のナレプシー症ならこんな村で治療するのは無理だろ」

「だが、頼まれて来た。可能な限りの対応をしたい」

「おいおい。俺たちは明後日には王都にいないといけないぞ。お得意さんが待ってるじゃないか。今日だってあちらさんに頭を下げて来たんだ」


 二人は喧々諤々と話し合いをする。コトウは蚊帳の外。専門的な事も、身内の話も何一つわからない。ただ、「なんとなく」母の病状は思っていた以上に悪く、トリトン村にいることで、病状に拍車をかけていることは分かった。


「私たちは命の剣師団だ。生きているものは可能な限り救う。それがモットーだ」

「建前はそうだな。だが、現実はどうか考えるんだよ」

「私は助けられる」


 屈強そうな男は断言した。命の剣師団が「助けられる」と断言する。それは、コトウにとってみれば、母の生存が確保されたことと同義だ。


「お願いします。か……。母を助けて下さい」

「私は、命の剣師団の一員だ。請い願う患者を見捨てるわけにはいかない。末期であろうが、私はこの人を治してみせましょう」

「あぁ。お前さんなら出来るだろうな。何人ものナレプシー症を治してきたんだ」

 

 コトウの心に強い光が差し込んだ。


「ただ、対価はつりあわないんじゃないか? ナレプシー症の治療費はこんなもんじゃないだろ」


 陰湿そうな男はコトウに視線を向ける。屈強そうな男もその言葉を否定しなかった。ズタブクロ5袋。トリトン村の米が有名になっても、簡単に手に入る金額ではない。さらにその上をいく金額の要求。コトウがジャンプしても、身を絞っても出すことはできない。


「ナレプシー症の治療は3年分の命を削る。削られた命の対価をコイツは、たったずズタブクロ5つ分と言っているのだ。仕事と対価。全くつりあってないじゃないか」


 金貨。スナイル国の最高額硬貨である。それが5袋。トリトン村の平均村人の平均年収に匹敵する。ある意味、5袋で1年分の命ともいえるだろう。治療として3年分の命を削る。1年分は補償できたとしても、残り2年分の命は何も補償できない。ただ、自分のために、命を削れ。と言っているのと同義であろう。


 屈強そうな男は口を真一文字に閉じる。そんな折、助け舟を出したのは商人である。命の剣師団の二人 コトウの間に入り、彼は身振り手振りで説明を始めた。


「金はなくとも、金より価値のあるものはありますよ」


 コトウは身震いがした。商人が言いたいことが何かすぐに判断できたからだ。仮に、コトウの母が起きていれば、商人の言葉に食ってかかっただろう。

 ニヤニヤと下品な笑顔を浮かべ、商人はコトウの顔を見つめる。


「この村に、聖剣があるんです。ね、コトウさん」


 命の剣師団の顔つきが一変する。彼らは王宮仕えの身。国内に聖剣が存在する。王のあずかり知らぬ所でだ。まさに、寝耳に水。世界を創った12本の聖剣。その価値は商人がいう通り、金とは比べ物にならない。変貌した視線は鋭い。二人はもう医者ではなく、役人。もっといえば、査問室の住人。一般市民が彼らの威圧に耐えることは出来ない。気圧されるまま、コトウはゆっくりと首を縦に振る。


「なら、話は簡単だ。その聖剣を持って来るんだ、君の母親は責任を持って我らが治療しよう。最優先に。最先端の治療で、最適な人材も宛がおう」


 陰湿な男は早口に条件を提示する。


「あぁ。それが良い。聖剣の力添えがあれば、どんな難病にも立ち向かえるはずだ」


 コトウは何も言えない。コトウは、一度村を裏切った。告げてはならない聖剣の存在を告白した。仮に、村人にばれたとしても、「告げたこと」は「無形」。証拠がない限り、事実と認定されにくく、言った言わないの水掛け論で終わる。

 「告白したこと」の罪悪感はあるが、逃げ切れる自信がある。

 けれども聖剣の収奪は違う。聖剣という形のある物の「ある」「ない」が問題となる。聖剣がなくれば、誰かが盗んだ事となる。村総出の捜索となる。そんな折、商人が「コトウが聖剣の存在を告白した」といえば、彼はきっとこの村で生きていけない。

 母の死より、自分の死のほうが早く訪れる可能性がある。コトウは慌てふためき、胸の高さに、腕を挙げ、手を左右に激しく振る。


「そ、それは出来ん。そ、そもそも。聖剣であるかどうかも知らんし。お、俺は聖剣を盗むとか――」

「そうですか」


 商人の言葉は冷淡だった。彼の目に先ほどまでの光はなかった。商人は、彼の母の口の中に手をツッコミ、そのまま左奥歯を引っこ抜いた

 突然の襲われる痛み。何の前触れもなく、自分の身体の一部が消えた。消失の違和感に、精神はけたたましいベルを鳴らし、コトウの母をたたき起こす。彼女が気づいた頃には、抜かれた歯根に赤黒い血が付着し床に転がっていた。

 誰の歯と思う前に、自分の歯と認識した。左奥歯の欠落感。顎から頭にかけてバランスを崩し、痛みとしてズキンズキンと顔の輪郭を揺らす。響く痛みを伝えようと、声帯を揺らす。しかし、おかしなことに声は上がらなかった。

 何故 何故と身体をよじるも、身体は言う事を効かない。

 痛み 動転 混乱。

 欠落した痛みと、ナレプシー症の鈍痛。そして、足元から這い上がる線の細い鋭利な痛み。

 恐る恐る、足元を見つめる。彼女の足首には、音の小刀が突き刺さっている。柄を握るのは陰鬱そうな男だった。彼は引きつった声をあげ、笑う。


「他の患者さんの事を思って持ち歩いているんですよ」


 音の剣は、耳に聞こえるもの。聴覚に作用する肉体・精神の刺激を司る。彼のように、耳に聞こえる「はず」の声を極限まで押さえ込むことも可能である。


「コトウさん」


 商人は、声をかけた。コトウは口をあけたまま答えない。


「すいません。奥歯じゃ不満でしたか? それなら、前歯をいきましょう」

「あ、あんただん。何を考えちょるんや」

「私は普通です。おかしいのは貴方です。天下の命の剣師団があなたのお母さんの病気は治せると豪語している。ただ、対価が足りない。いえ、足りないのではなく、出さないのだ。自分の身可愛さのあまりに」

「そげなこつな――」

「貴方の母は、貴方を育て上げるために、その身を傷つけてきた。手塩に育てた貴方からこのような仕打ちをされるなんて、彼女はかわいそうですね」

 

 商人は話しながら、上の前歯を容赦無く抜いた。声は出せずとも、痛みは走る。のたうち回り、ウーウーと唸る母の形相。涙を流し、鼻水とよだれを垂れ流している。病気の痛みでも苦しいのに、更に上乗せされる痛み。頭と胴体を切り分けるような所業に、商人たちへの怒りより、自分の無力さが先走る。


「対価は、聖剣。貴方の母の命は聖剣より軽いのか」


 コトウは言い返せない。母の命と聖剣。どちらが大切か。と問われれば、前者と即答できる。母一人。トリトン村の冷たい視線を彼女は笑ってはねのけ、負い目を感じさせぬように育て上げた。

 母への恩義がある。今が恩を返せるチャンスなのだ。

 死の淵にいる母を救えるのは、目の前にいる命の剣師団のみ。その対価は、トリトン村にある「土の聖剣」


「お前は村の裏切り者。裏切りがバレてしまえばもうこの村では生きていけない。だが、お前が聖剣を持って来れば、我々は、貴方と母親の生活と身の安全は保証しよう」


 命の剣師団の二人ははっきりと、首を縦に振る。

 コトウの母は首を横に振り、ウーウーと呻く。口の端からダラダラと流れる。唾液と血液。どす黒い血液が、母の病床を伝えている。彼女がこれから生きる為に、主治医として縋るのは命の剣師団。

 コトウは床に膝をつく。


「約束します。聖剣は必ずお持ちします。ですから。母を……。母をこれ以上苦しませないでください」


 コトウの額がぴったりと床につく。うずくまった姿に、商人は満足そうな表情を浮かべた。

 ベッドの上に横たわる母の目尻からツゥと一筋の涙が走った。屈強そうな男は、陰鬱そうな男を押しのけ、彼が刺した音の剣を抜き取る。滲むし血液を白い布で拭い取り患部に自分の命の短刀をかざした。

 ほんのりと暖かい光は、傷口に入り、彼女のマナ回路を伝い全身に走っていく。足元からぽかぽかとぬるま湯に浸かる心地良さ。昼に注ぐ柔らかい日差しをいっぱい浴び、満腹のままの午睡。痛みは上書きされ、瞼が重くなる。

 彼女は目を閉じ、スゥスゥと寝息を立て始めた。

 母の日常の一コマ目に戻る。蹲るコトウの目は、涙が滂沱として流れ落ちた。

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