初夜編:利己的な爪跡01

 馬車はガタガタと音を立てる。振動に合わせ、荷台に座るオリヴァの身体も上下左右と小刻みに揺れていた。


「すまんなぁ。整備はしちょったんやけどなぁ」


 馭者の男は、ゲラゲラと笑う。この男は、轍から僅かに外れ、馬車がガタガタとゆれると、子どものような笑い声を上げる。その度にオリヴァの内臓は持ち上げられ、ストンと落ちる。攪拌された胃液が迫り上げる。オリヴァは、「う゛っ」と声をあげ、前のめりになるしかない。

 日は登り、6日目の朝を迎えた。バケモノ退治に駆りだされるには、最悪のコンディションである。

話によると、その魔獣は何年も前からコトウさんが倒れていた広場から近い森に生息している。始めは、村の青年が食われた。その次に、バケモノ退治と息巻いていた益荒男が殺された。山菜を取りに来た老夫婦。行商人。役人。ただ、近くを歩いていた幼子。数えればきりがない。多くの村人が犠牲となった。人間の味をしめたバケモノ。最近は、村付近に姿を表すようになった。その度、親方を始め自警団が魔獣を追い払い、村への侵入を阻んだ。だが、残念ながら、一次しのぎである。ほとほと困り果てていた。

 そんな折、現れたのは王都から現れた男女の若者。男にこの仇敵を討伐させよう。そう思い、トリトン村は“ロサリオ”に試練としてバケモノ退治を命じた。


「期待はしていないんだろう」


 オリヴァの独り言は車輪の音にかき消された。村人となる試練をオリヴァに与えたのならば、相方のベルにも当然試練与えられる。

 内容は簡単だ。「領主の子供を産み落とす」聖剣の加護を持っている子を産めば、その子どもは自動的にトリトン村の一員として認められる。産み落とした母体は、“名誉村人”として扱われるだろう。

 ガラガラと木で出来た車輪が回る。耳障りな音を聞き、彼は思った。この車輪のようにオリヴァもベルも、コルネールに回されている。もっと広い目で見れば、スナイル国で生活する国民は、王宮で執政を執るハシムやキルクに振り回されている。

 車輪は回れば、簡単には止まらない。


「私も車輪か」


 自嘲じみた一言に、キルクの陰がかかったような笑顔が思い出された。



 馬車はだだっ広い場所へ出た。コトウさんの広場だ。


「コトウさんの広場、広いですね」

「あんた、やっぱり外もんやな」


 オリヴァの声は馭者に届いていた。驚き、オリヴァは馭者の男の背中を見つめる。

カラカラと回る車輪の音が止まった。馬は、嫌がるように首を横に振ると、ブルブルと鼻息を鳴らした。


「アイツの名前を『さん』付けで呼ぶんば、よそもんばい」

「それは、どういう意味ですか?」


 馭者は周囲を確認するように見渡すと、話を続けた。


「お前、コトウの話ばどこまで知っちょるん?」

「確か……。花を大切にして。聖剣使いと仲良くなった」

「お前、色々と飛ばしちょるばい」

「そ、そうですか?」


 呆れる馭者の男。その視線を見て、彼はこの場にベルがいないことを心の底から喜んだ。この場所にいれば、何を言われるか 何を言われ続けるかわかったものではない。


「そんで、続きは?」

「続き?」


 オリヴァは口を噤む。それ以上の事を聞かれても、トリトン村の物語はそこで終わっている。もしも、彼がそれ以上の話は、その話は妄想 二次創作だと思えた。

 キョトンとした顔のオリヴァに、馭者は声を潜めてる。


「あの話には続きがある」


 馭者は、伏せられた物語を語り始める。バサバサと力強く鳥が羽ばたいた。

 

 土の聖剣使い トルダートはトリトン村に逗留した。

 トルダートが持つ土の聖剣人ならざる力のおかげで、トリトン村の土壌は肥沃な大地へと変化した。

 彼らが昔から耕作していた米も、トルダートの作り変えた土壌のお陰で大きく変化する。まず、収穫量の向上。国に納めても、十分すぎる量が収穫できた。次に、米の質。以前、の米は丸く、磨いても輝くことは無い。ところが、米は細長く生まれ変わり、磨き、光に翳せばキラキラと星のように輝く。炊くと、米は水分を纏い、更に光り輝く。一口食べると、口の中で、甘さと程よい弾力が踊りだす。頬が蕩け落ちる美味しさに、「米のおかずは米」という言葉が生まれるほどだった。

 急激な変化を遂げたトリトン村。噂を聞きつけ、村には多くの商人がやってきた。商人たちは、村人が考えたこともない高値を提示し、買い付けた。村人は、高収入を得、貧相な生活から脱却が出来た。生活は変化しても、村人は一同、トルダートに感謝する気持ちは忘れなかった。


 そのような変化を遂げれば、訝しがる目もある。


「私は、王都からやってきた商人です」


 四角の輪郭に鷲鼻にわずかばかりに生えた黒い髭。角刈りに剃った中年の男が、ヘラヘラと笑いながらやってきた。


「トリトン村は素晴らしい。あのような美味しいコメはそうそう食べれる物ではありません」


 やけに早口では耳障りの良い事ばかりを言う。大げさな身振り手振りで、いかにも「人懐っこいです」とアピールし、村人に話しかていった。


「美人は一日にしてならず。うちの嫁にも言っていますが、『美人になったら、永遠に美人じゃ』と言って殴ってくるんですよ。まぁ、うちの話はおいても。あのような米を皆さんが、作れるようになったのか知りたいものです」


 男の目は笑っていた。だが、彼の小さな目が時折見せるけわしい目つき。その場にいた村人は、不穏な予感を覚えた。商人の特有のカネモノの嗅覚に反応した顔はなく、カネ モノではない別のものの嗅覚を探っている気がしたからだ。


「我々の努力の賜物です」


 短く答えると、村人は彼から離れ、買い付けにも応じようとはしなかった。

 商人は村人の不評を買い付けてしまった。そうなれば、諦めるのが得策だが、この商人はしぶとかった。一戸 一戸、「米の専売依頼」を頼み込む。

 村人はあきれ返るしかない。あまりのしつこさにと胡散臭さに、何と言えば良いだろう。彼らは作り笑いをし、口では何も言わず、無言で扉を閉めるしかなかった。

 それでも、優しい人間は存在する。

 コトウだ。

 コトウは農作業以外、家を出ることは無い。この商人が村へ来ても、彼は部屋に篭り、村の空気など露知らず。

 コトウは「米の専売以来」と頼み込む商人を部屋の中にホイホイと招き入れた。


「いやぁ。皆さんどう言うわけか、私のことを毛嫌いしている人が多くてですね。困ってしまいますよ」


 コトウは、相槌を打ちながら、商人の話に耳を傾けた。商人の口は滑らかに動く。また、コトウも気づかないほど、目も滑らかに動いていた。


「コトウさん。何故、この村はこんなにも米が発展したのですか?」

「そりゃぁ、私たちの努力やからなぁ」


 コトウは笑いながら答えた。これは、村の符丁だ。

 トルダートがこの村に逗留する理由。それは、彼は、トリトン村の風景、人々の素直な心を愛しているからだ。そして、逗留するだけでは申し訳ないと、彼らの力になれるよう、聖剣の力を与えた。

 その一方で、トルダートはトリトン村人へ2つの約束を求めた。

 1.自分が聖剣使いであることを外部へ伝えないこと。

 2.聖剣の所在を明かさないこと。

 である。

 この2つの約束を守る限り、トルダートはトリトン村に逗留し、聖剣の力を貸す。とした

 村は、提案を断る理由はなく、トルダートと約束は守ると告げた。

 村人はトルダートの存在は外部に伝えない。それは、村人の義務だ。


「血の滲むような努力だったでしょう」

「そうばい。村のみんな、血ぃば吐く思いをしちょった」


 コトウは胸を張った。自信に満ち溢れたコトウの目を、商人はあの陰湿そうな目で見つめる。


「それはそれは……。でも、コトウさん。あなたも含めて、みなさんの手、すごく綺麗ではないですか?」


 商人の一言に、コトウは自分の手を見つめる。コトウの分厚い手は土で汚れ、爪の間には土が埋まっている。草で切られた小さな切り傷が脛まで無数に赤い線を描く。指の節を伝い、ぱっくりと口を開ける。

 潤いのない手は深い年輪を刻んだようだ。そんな手を、商人は綺麗な手だと言った。


「僕の手、こげん汚いっつん、あんたぁおかしな事言いよる」

「いえ。私も商人ですからね。農家の方々と色々とお話をしますが、血の滲むような努力をした。という人の手で、そんなに傷の少ない手は見た事ありません」

 

 商人はコトウの手を取り、米の産地として有名なある地方の話をした。彼にあった傷がコトウにはない。手練れにはない傷がコトウにはある。肌の色、キメ、つや。色々なことを商人はコトウに話した。どれもこれも、コトウの手が綺麗だという理由となっていく。


「コトウさん。私、知っているのですよ」

「なんがね」

「この村に、聖剣使い、いるんでしょ?」


 コトウは口を真一文字につぐんだ。コトウの脳裏に、まず、トルダートの顔が浮かんだ。その次に、村人の顔が浮かんでいく。

 コトウと商人を挟む、テーブルの上に、ずたぶくろが置かれた。

 重たいものが置かれる音と、中から、チャラチャラと明るい音が聞こえた。


「お話をしてくださった方も、これを受け取りました」


 コトウはズタブクロに手が伸びかけたが、その手は止まる。トルダートの懇願するような顔が頭から離れない。


「コトウさん。ドアを挟んでいますが。私、見てしまいました。部屋の奥にいるのは、あなたのお母さんではないのですか?」


 コトウの顔は引きつった。商人の言葉の後、咳き込む母の声がする。

 トルダートが村に逗留して以降、彼の母の容体は芳しくない。喋ることがやっと。足は棒のように細くなった。

 村が栄え、金銭が増えても、彼の母を治療する医者はたった一人。医者の見立てでは、母の病気は難しい病気だ。治療方法も複数あり、トリトン村で治療をするのは困難である。トリトン村の町医者が治療として出来ることは、定期的に家にやってきては、命の剣を使って、彼女の痛みを和らげるだけだ。


「顔色も優れない。咳をする音に不吉な音が混ざっている。近くで物音がしても、そちらを向く気配はない。コトウさん。お母さんの容体はあまりよろしくないのではないですか?」

「か、母ちゃんば、関係なか」


 商人は、自分の袋の中から、小さな袋を取り出し、ズタブクロの隣に置いた。そこからも、またチャラチャラと明るい音がする。


「聖剣使いもひどい人間だ。彼らは本気になれば、病気を治すことはできる」

「そ、それは本当のコツなん?」

「えぇ。本当ですよ。嘘だと思うのなら、彼らに問うと良いでしょう」

「そげなごつ……」

「コトウさん。これだけの金があれば、きっと王都にいる有名な医者はやってくるでしょう。それこそ、王宮仕えの命の剣師団だって来れます」

「い、命の剣師団もっ!」


 コトウの声は裏返った。「死者以外は全て治す」と豪語する王宮仕えの命の剣師団。病人の希望の星。金さえ払えば、命の剣師団はスナイル国どこでも行く。

 コトウは机の上に置かれたズタブクロを凝視する。あのズタブクロにはそれだけの金がある。


「はい。王都にいるので、命の剣師団にはツテがあるのですよ」


 コトウの目の前には大金がある。そして、ツテもある。必要な事は、トルダートの事を商人に伝えなければ鳴らない事のみ。


「ですが、コトウさんが聖剣について知らなければ、他の人にあたるしかないですね。知らない人に聞いても、申し訳ない。米の専売についても、またの機会という事で――」


 商人は、手早くズタブクロを自分のバッグの中へ放り込む。チャリンチャリンと金がこすれあう音がした。

 商人は、トリトン村の誰かがトルダートの事を話したという。コトウはその場所に同席していない為、真実かどうかを判断する事は出来ない。


「村の誰が話したと?」

「それは約束で、お話できません。ですが、その家の方ははっきりと聖剣のおかげ。と言っていました」


 村人一人ではなく「家」単位での告白。コトウの母は「イタイ イタイ」と子どものように痛みを訴え始めた。

 コトウの中で、カタンと天秤が動く。


「待ってくれん?」

「何ですか?」

 コトウは顔をあげ、商人を見つめた。


「ちょっと話しば聞かんね」


 母一人子一人で生活しているコトウにとって、母は無二の存在。母が彼の為に、悪魔となってきたように、彼もまた母の為なら、鬼になることはできる。


「この村に、聖剣使いはおる」


 コトウはトルダートの事を話した。聖剣使いはトルダートという名前であること。土の聖剣を持っていること。土の聖剣によって、トリトン村の土壌改良されたこと。洗いざらい、無我夢中で話した。

 全てを話し終えると、陽は傾きだしていた。商人はコトウの説明に満足な表情を浮かべ、「ありがとう」と告げる。テーブルの上には、ズタブクロを4袋置いた。どれも重たい音がする。


「商人さんは、俺の話を信じてくれるん?」


 商人は、ニコニコといかがわしい笑顔を貼り付けて、首肯した。


「どうして信じてくれたん?」

「そりゃぁ、一番はあの渓谷ですよ。今までなかったものがある。あんなスケールの大きいものは聖剣以外不可能ですよ」

「他の人も言っちょったやろ」

「……。私は、目にした物しか信じませんので」


 商人は最後にズタ袋をもう一袋、テーブルの上に置いた。商人はさよならも告げず、コトウの家を後にする。他の家に専売交渉を行う事もなく、村の外へ消えていった。

 コトウの心の中で、「しくじった」という思いが鎌首をもたげる。良心の天秤は、左右に神経質そうに動いた。「他人も言った」という理性と「ばらした」という本能。心証は、本能に傾くも、感情は理性を選ぶ。


「どげんしたとね」


 部屋の奥から、母の声がする。コトウは震える喉仏を抑え、母に心配させまいと、痛々しいほど無邪気な表情を浮かべ、母の部屋へ入った。


「母ちゃん。聞ちょくれ。うちん米ば、王都で売られる事になったとよ。えれぇ高値で売ってくれるっち。そんでぇ、商人さんがさっきまでおったとよ」

「そげぇかい。えれぇ良かったなぁ」

「金ば入ったら、母ちゃんを立派な医者に見せるけんね」

「ほぉ」

「母ちゃん、安心しぃ」

「そげんね。母ちゃんはそげん金より、あんたが頑張って他人様に認められた方が嬉か。それがよか薬ばい。あんたが、立派になっても、どげんなっても。あんたが、あんたでおってくれれば、母ちゃんはそれだけでよか」


 コトウの母は、いまにも泣きそうな彼の頬に手を添える。骨と皮だけのやせ細った手だ。幼き頃、抱きしめてくれた肉厚でふくよかな、暖かい手は記憶のどこかへ消えてしまった。病魔に冒されても、コトウの母の目は変わらない。何かを見透かすような目に、コトウは耐えられず、母の胸の中でおんおんと泣いた。

 母は何も言わず、コトウの頭をなで続ける。

 コトウの胸は、ズキズキと太い釘で突き刺されていくのだった。





「少し休んでもよか?」


 馭者は、オリヴァの答えを聞かず、腰から竹筒を取り出し、グビリグビリと水を飲み出した。オリヴァは足を抱え、昨日のエイドの話を今一度思い出す。

 オリヴァに課された試練。そして、コトウの物語の続き。

 思いがけぬところに接点があった。

 仮に、コトウの物語も、馭者の話も本当にある話ならば、トリトン村は、本当に聖剣の加護を受けた村だ。


「信じられません。僕の知っているコトウさんからあまりにも大きくかけ離れています」

「王都では、なんち言われよるか知らん。でも、俺達にしてみたら、コトウがした事は理解できても、許すことはできん」


 馭者の口ぶりは険しい。気持ちを落ち着かせようと馬のたてがみを何度もなでる。馬は気持ちよさそうにブルブルと口元を震わせた。

 馬の表情に多少、心は癒されたのだろう。馭者の口元は優しくなっていた。


 「話の続きばするばい」


 森の中、ホッホッホッと鳴く鳥の声がする。

 生きている鳥の声を久方ぶりに聞いた気がした。オリヴァは荷台に背を持たれ、耳を攲てる。

 話はまだまだ長いようだ。

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