初夜編 供物としての結婚式 1

 貧村に似合わぬ芸術だ。

 式場を見た彼の第一印象がそれだった。

 通された結婚式場。もとい宴会場は式の荘厳さより村の権威を知らしめるような造りである。

 コンラッド邸宅に作られた宴会場。黄色味がかった多くの畳。

 そして、部屋の四方には、ウェルラン山を描いた水墨画の襖絵があった。乾期と雨季の風景画豪快な負で裁きで表現されている。

 それだけではない。眼を見張るのは天井絵だ。


「驚いたかな? 先代が作らせたのだよ」


 驚くのは無理が無い。平屋が広がり、特産物が米しかないこの村に、不釣合いな芸術品があった。素人目からしても、その天井絵はすばらしいの一言に尽きる。


「この部屋の中心に描かれているのが、樹の聖剣 イグラシドル。左右にあるのが火と水の聖剣。それから……」


 コンラッドは壇上から、指を指し示しながら天井絵を説明した。

 描かれているのは、天地創造。聖剣書の創剣記。第一章の説話だ。ウェルラン山へ行き、岩石を砕き、描いたらしい。色彩豊かな天井絵に、オリヴァは息を飲み、口を閉めて見上げる。


「これを描いた画家は油絵の大家ではない。だが、先代は彼の絵画を好んでいてな。邸宅改装にあわせて、彼に天井絵を依頼したのだ。だがな……」


 コンラッドは惜しむように顔をゆがめる。彼はまた違う方向を指差した。彼が指差す方向に極彩色の絵はなかった。天井そのものがむき出しになっている。天井に描かれている聖剣の数も9本と創剣記の数とあわない。

 つまり、この天井絵は「未完」なのだ。

 彼は、溜息を零すと話を続けた。


「画家が不慮の事故で亡くなってしまった。中途半端な絵故、わが邸宅に飾るのは不吉だ。という意見が多かった。それでも、先代は押し通した。彼の才能に惚れていたのだろう。その先代の気持ち、私は理解できる」


 オリヴァも同じ気持ちだった。彩り鮮やかな色彩をを置きながら、筆さばきは、襖絵とは違い繊細。未完の部分があっても、「そこに何を描くつもりだったのか」という想像が掻き立てられる。不思議な作品である。

 コンラッドが感慨深そうに天井絵を見つめる横顔も、オリヴァが見つめる横顔も同じだ。身体は違えども、芸術に対する思いは、変わらない。


 どれだけ、オリヴァは天井絵を見ていただろう。流石に、同じものをずっと見続けるのは首が疲れる。天井絵から襖絵。宴会場の来客へ視線を移す。領主の前というわけか、参列者は誰もおとなしく身なりを整えていた。皆、一様に「黒」の衣装を身にまとっている。結婚式の執行人コンラッドでさえ黒い服だ。

 黒以外の服を着ているのは、白い一張羅を見に包んだ、オリヴァと、奥の襖から出てきた花嫁のベルだ、

 ヴェールを頭からすっぽりと被り、エイドに手を引かれて現れた。畳の上に敷かれた細長い赤い絨毯の上をしずしずと歩く。


「美しい花嫁だな」


 コンラッドの言葉に、オリヴァは何も答えない。参列者から「美しい」という声が阿賀手散るが、彼は彼女に苦手意識を有している。どれだけの彼女への褒め言葉を投げかけても、そもそも響く心が無い。作り笑顔を浮かべて、会釈するのが精一杯だ。

 ベルがオリヴァの隣に立ち、エイドに白い木綿の手袋を渡した。エイドは手袋を受け取ると、コンラッドの後ろに控える。

 凛としたベルの眼差し。コンラッドと重なると、式は始まった。


「これより、ロサリオ トランの結婚式を執り行う」


 皆、居住まいをただし、領主を見つめる。コンラッドも、参列者に声が響き渡るよう、腹の底から声を上げた。


「人は、愛によって導かれ、愛によって惹かれ、愛によって結ばれる」


コンラッドの右手には、白い布で包まれた星の剣。「聖剣書」と呼ばれる剣が握られている。左手は人差し指を立て、天井を指す。


「世界は12本の聖剣によって作られた。11本の聖剣は互いの存在の為、いがみあい、傷つけあい、憎みあった。原初の剣 樹の聖剣 イグラシドルだけは違った。イグラシドルは、誰も憎まず 傷つけず、誰も恨まなかった。いがむ心、傷つける心、憎む心。それは全て心の奥底にある満たされぬ心から生まれるもの。イグラシドルは彼らの心を全て受け入れ、慈しみ、思いやり。そして、彼らを一つに纏め上げ、世界を作り上げた。これが、イグラシドルが教える愛。つまり、この大地は愛の産物。愛の上で生まれ、愛の上で行きえる私たちは、愛によって人に惹かれ、愛によって結ばれる。われわれは、愛無しでは生きていけないのだ」


オリヴァはコンラッドの言葉を心の中で笑った。彼は、この世界が12本の聖剣で作られたなど全く、信じてはいない。仮に、聖剣が世界を作ったとしても、物に感情はあるのだろうか。感情とは、情緒的過程の事を言う。物に情緒的過程など存在しない。彼の言いぶりはまさに噴飯ものである。


「この結婚式もまた、愛の産物である」



 オリヴァはもう一度心の中で嘲け笑った。愛と云う疑似餌によって作られたこの結婚式はどうなるのだろうかと。愛を持たぬ二人が上げる指揮。それは「児戯」に等しい何かであろう。

 オリヴァはベルの横顔を見つめる。彼女は俯き、唇を軽く噛み締めていた。目尻を拭うような仕草をしていた。残念ながら、手袋に水滴が付いた様子は伺えない。

 その仕草を見て、彼は安堵した。彼女もまた、彼と同じ意見であると確信したからだ。


「新郎 ロサリオ」


 オリヴァは顔を上げる。体格の良いコンラッドは眼を細め、身体をロサリオを向いけている。一方、視線は、オリヴァではなく、新婦のベルにチラチラと動いていた。


「貴方はここにいる、新婦トランを妻とし、

 病める時も、健やかなる時も、

 富める時も、貧しき時も、

 妻として愛し、敬い、

 不埒な事があっても、貞操を守り

 慈しむ事を誓いますか?」


 答えは「はい」しかありえない。オリヴァは今一度ベルの横顔を見つめる。ベールに隠れた彼女の横顔は透ける様にしか見えなかった。


「はい。誓います」


 オリヴァはコンラッドの投げかけに誓った。


「新婦 トラン」


 ベルは俯いた顔を挙げ、コンラッドの顔を見上げた。凛と澄んだ瞳に、コンラッドの顔が映る。瞳を見つめているのに、反射するコンラッドの顔が見つめ返す。自分の顔と認識した時、コンラッドの脳裏に布が擦れるような違和感があった。

 心の不穏を隠し、彼は口上を続けた。



「貴方はここにいる、新郎ロサリオを夫とし、

 病める時も、健やかなる時も、

 富める時も、貧しき時も、

 妻として愛し、敬い、

 不埒な事があっても、貞操を守り

 慈しむ事を誓いますか?」


 彼女は小さく微笑んだ後、「はい。誓います」と呟いた。直後、万感の拍手が響き渡る。調子の良い村人は指笛を吹き、二人の門出を祝福する。オリヴァの胸にもベルの胸にもズキンと鈍い痛みが走った。

 たとえ、作られた結婚式であったとしても、この結婚式の為に多くの村人の協力があった。衣装、祝宴会場の準備、客人をもてなす為の料理の下ごしらえ。全て、二人のためになされたのだ。

 ベルに化粧を施した老婆が言うように、心から祝えない者もいる。それでも、彼らはこの場でその感情を隠し、出席した。

 考えれば考えるほど、2人は、祝福の声に反応できなかった。

 俯く若い二人を、照れ隠しに見えただろう。その初々しさに村人はまた拍手でこたえた。

 コンラッドは二人の手を取り、自分の手と聖剣書を重ねた。コンラッドに高々と持ち上げられた手。見なさいと顎をしゃくると、視線の先には、樹の聖剣の天井絵 鋭利な切っ先が2人に向いていた。


「ここに、1組の夫婦がトリトン村に生まれた事を宣言する。樹の聖剣の下で交わされた誓約。誓約に違わぬよう、清く生きなさい」


 コンラッドの言葉にもう一度、皆が湧いた。だが、声のトーンは先ほどまでとは違っている。はやる気持ちを抑えるように声である。


「では、二人は誓いの証拠を」


 コンラッドはオリヴァにベルの顔を覆っているベールを顔からあげ、後ろへ垂らすように指示をした。その指示に従い、オリヴァはベルの顔からベールをあげ、後ろへ垂らした。ベルの顔ははっきりと見える。心なしか、唇に引かれていた紅は落ち、頬に散らしていた朱も薄くなっていた。その差に男のオリヴァが気づくことはないだろう。


「誓いの証拠とは?」


 オリヴァの問いに、コンラッドはニィと口角を上げ、答えた。その答えに、二人は同時に目を見開いた。互いの顔を見合わせたが、スゥッと視線を外す。念のためとオリヴァはもう一度尋ねた。


「誓いの証拠は――」

「だから言っているであろう。接吻だ」


―なんと下卑な! ―


 オリヴァの頭にカッと血が上った。

 ベルは、手汗を拭う素振りで、ドレスの裾を握り締める。

 「接吻」という言葉が脳内で反芻され、彼の喉仏が大きく上下に動く。ドクドクと脈打つ心の音は「接吻」と持て囃す参列者の声に重なる。

 コンラッドは、声を上げる村人を諌めない。参列した男女は、好奇の目で今か 今かと2人を見つめる。

 オリヴァの喉仏がもう一度動いた。

 何故、村人が此処まで多く参列しているのか。その疑問が氷解したからだ。

 コンラッドの要請もある。祝福の気持ちもある。その根底にあるのは出歯亀の気持ちだ。見知らぬ2人を公衆の面前で接吻という破廉恥行為を見たくて見たくて仕方が無い。公衆の面前で憚られることが、儀式という理由で赦される。「恥」が「興味」へ変わり、満たされるこの儀式を皆待ち遠しくて仕方が無い。


「どうしたのかね?」


 コンラッドもその気持ちを有しているのは確実だ。

 彼に促されるように、オリヴァはベルの手を握る。彼女の指先は冷たい。凍えるような冷たい手は、オリヴァの手を壊さんばかりに握り返す。


「二人とも、誓いの接吻を。樹の聖剣に愛の証明を」


 オリヴァの喉仏は3度 大きく動くのだ。

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