初夜編 後ろの正面だぁれ

「どうでしたか? おじさまコンラッド様


 日は暮れている。トリトン村領主コンラッドは先ほど最後の執務を終えた。

 領主の疲れを癒すように、背後に立つ優男はコンラッドの肩を揉んだ。

 コンラッドはもまれる手を払うことはせず、口をへの字に曲げ、虚空を見つめる。


「私はとても良いお話だと思いますよ」

  

 優男はニコニコと満面の笑みを浮かべている。コンラッドが見つめる方向を見るも、この部屋には領主らしい重厚な調度品ばかりある。一体どれをみつめているのか皆目検討が付かない。

 

 トリトン村で一番洗練された屋敷。それが、トリトン領主 コンラッドの邸宅だ。

 暴漢に襲われぬようにと、邸宅の地下の更に奥まった場所にコンラッドの執務室がある。樹齢百余年の大木をくりぬいた深い茶色の執務机。厚みのある机に頬杖をつく恰幅の良い男。年は50歳に達するか。否かである。ハシバミ色の瞳。そして、明るい茶色の髭と髪。薄くハの字に垂れ下がった髪の毛と同じ色の眉。大型犬のような人に忠実そうな顔立ちをしている。残念ながら、その外見とは異なり、彼はとてもしたたかである。


「相変わらず、機嫌が悪いのですね」


 背後の声に嫌々そうに手を払う。すると、優男の肩を揉む手は止まった。


 スナイル国は血脈を重んじる。国の姿勢に違わず、コンラッドもトリトン村に脈々と続く領主の一族だ。聖剣の童話が生んだ希少な米。と云う謳い文句で、王都を始めとした都市で人気を得ている。

 先代の王イヴハップもトリトン村の米を愛した一人だ。その為か、王都からのコンラッドの評価は高かった。

 ところが、最近になり、イヴハップが禁じた初夜権を、コンラッドが行使しているという噂が立ち始めた。コンラッドは、自身も役人も含め、疑惑を否定した。しかし、王都は納得していない。王都は、トリトン村へ調査団を派遣したい旨要請があった。様々な理由を付して、要請に応じていない。以降、王都から返答は無い。王都が強制力を用いて調査を行うのは時間の問題だ。探られたく無い腹を探られる不快感。想像するだけでコンラッドの眉間には皺が寄る。


 そのような折に、新たな難題が振ってきた。また、彼の眉間には深い皺が刻まれるのだ。


「エイド、お前は何を考えているのかね」


 コンラッドは、難題の印象を述べる前に自分の背後に立つ提案者に顔を向け、不快感をあらわにした。


「大体、どうしてお前は単純に人を受け入れるのかね? えぇっ?」


 コンラッドの叱責にエイドは自分の頬を両手で挟んだ。口を「あ」の字に開け、喉の奥にある突起物をひょいっと持ち上げた。

 ひょうきんなエイドの仕草にコンラッドは床を踵から蹴り落とす。ダンッという荒々しい音の後、エイドはワンテンポ遅れてその場でジャンプした。


「王都からの駆け落ち? バカを言え。今時そのような話があるか」

「でも、本人達が言うならそういう話はあるのですよ」

「あいつらが、言う事が本当であればな……」


 コンラッドは体制を元に戻し、椅子に深く座った。フゥと息を吐いた後、始まれるように、椅子から立ち上がった。エイドの両肩を掴み、揺さぶりながら大声を上げた。


「そういう話ではないだろおおおおおおおおおおおおお。大体お前はあああああああ」


 顔を真っ赤にしたコンラッドにエイドは頬を両手で押さえたまま「ハハハハハ」と響くような笑い声を上げた。暖簾に腕押し。といった状態にコンラッドの怒気は一気に下がっていく。縋るように、今度は力なく彼の身体を揺さぶった。


「エイド。どうしてお前はこうも私を困らせるのかね」

「困らせようとか心外です。おじさまが困っていようが何しようが私は知りません。それはおじさまの問題です」


 そういうと、エイドは頬から手を話し、プクゥと頬を膨らませた。細い目を見開き、コンラッドの額と自分の額を「ゴツン」と音を立てぶつけた。自分の額に、ゆったりと伝わる上気したコンラッドの体温。人肌の優しい温度に、エイドは見開いていた目を細め、下がり気味の目尻を更に垂らした。


「むしろ、私は興奮しています。こんな素敵な事柄は滅多と無いのに……。おじ様がこんなにに苦慮する理由が私には皆目見当がつきません」


 コンラッドは2度目のため息をこぼした。ロサリオ・トラン夫妻オリヴァとベルの駆け落ち問題。直接二人を目にし、二人の言葉で事の顛末を聞いた。

 ロサリオオリヴァの覚悟を述べた。妻の体調不良に気付けない自分のふがいなさ。ふがいない自分を慰め、叱咤激励させたのはトリトン村の人物であったこと。王都で過ごしていた甘い自分を捨て去り、新しい人間として骨を埋めるつもりらしい。

 トランベルは、夫への愛。自分の幸せの為に、動く必要性があること。身勝手な理由であることは百も承知。愛あるコトウさんの物語に夢見、トリトン村で生活することが夢であることを述べた。

 コンラッドは彼らの言葉が表面的で浅く、説得力がない事。出自が王都であることも重なり不信感しかなかった。はっきり言えば彼らは、不穏因子である。話を聞いて、すぐさま領主として「村から出ていけ」と退去命令をを行いたかった。

 しかし、コンラッドは二人の申し出を保留し、空家と生活最低限の食料衣服などを宛がい、そのまま返した。

 

 コンラッドが思い通りにいかない理由。それは2つある。

 第一に、この話を持ってきた人物がエイドだ。村で唯一の医者である。エイドの手厚い治療に、コンラッドを含め村人が感謝している。代々続く医者の血筋であり、先祖と同じく昼夜を問わない診療。ひたむきな献身の精神は、村のほこりである。彼の両親は、エイドが医者になった事を見届け、イグラシドルの元へ旅立った。コンラッドは、エイドが医者として、良き人生が送れるよう、後ろ盾となるべく後見人となった。その縁で、彼はコンラッドの事を「おじさま」と呼ぶ。年が若いゆえ、幼い面が多くある。それに目をつぶっても、彼の医者としてセンスは光るものがあるらしい。多くの領主、隣国のヨナン国までも、エイドの事を欲しがっている。コンラッドはエイドと強い信頼関係が築けていると自負する。一方、彼が些細な事でへそを曲げやすい性分であることも認識している。万が一、エイドの機嫌を損ね、この事を理由にトリトン村を出て行くおそれがある。そうなれば、村は途端と立ち行かなくなる。エイドの機嫌を損ねないためにも、安易に二人を拒絶するべきではない。

 第二、村の実情だ。トリトン村の主な産業は農業だ。観光・卸売業など手がきれいな仕事は、この村では需要が無いため募集口は無い。地味で苦しく、汚れやすい。毎年の成果が保証されない。農業や一次産業を嫌い、多くの若者がトリトン村を離れ、王都などに流れていく。若者の流出が著しい昨今。労働力として、年若いロサリオ夫妻は魅力的だ。

受け入れる余地は十二分にある。

 彼らはコンラッドの中で危険因子であることは間違いない。一方、斬り捨てるには惜しい。なので、コンラッドは胸のうちの一端をエイドに見せた。


「エイド、私はあの二人が王都からの使者。若い王達の手先ではないかと疑っておる。それが不安だ。私は、あの二人が怖いのだよ」

「それの何が問題なのですか?」

「問題に決まっておるだろ。もしもあいつ達が王達の使者だった場合。初夜権について、ある事やない事を嗅ぎ回られたせいで、私の首が刎ねられる可能性がある。そうなってしまえば、私でトリトン村領主末代というのは嫌なのだよ」


 コンラッドは頭をかきむしるようにして抱え込んだ。コンラッドの脳裏にはサブリミナルのように、首だけになり、王宮の前に晒される自分の姿が映り込む。顔を青から白へ変化させ、大きな瞳はゴロンと音を立てて転がり落ちようとしている。追い詰められているコンラッドにエイドは面白そうにケラケラと声を立てて笑った。


「変なおじさま。二人が王達の使者であったって構わないじゃないですか。要は、二人をこの村から出さなければ問題はないですよ。外部と接触させなければ良い。私たちの支配領域に監禁し、監視して、ハナさなければ良いでしょう」

「それで。二人が王都に戻らないことを不振がられたらどうする?」

「知らぬ存ぜぬ。それでもダメならば……」


 エイドは口を閉じた。目配せをし、隠した言葉を目で伝える。細待った目からグラリと野性味溢れる光が溢れた。エイドの考えはコンラッドは把握できたようで、徐々に落ち着きを取り戻した。自然と顎に手が伸び、鷹揚にウンウンと頷いた。


「エイド。君の気持ちはわかった。だがな。村人は外部の者には厳しい。その意味はわかるな」


 エイドは困ったような笑顔を浮かべる。彼の頭の中ではコンラッドの言う人物に心当たりがあるようだ。

 トリトン村は、とても小さな村である。村人の吉報 悲報は瞬く間に村全土に伝わる。幼い頃から「人の目があるから」と言いつけられた子供は、窮屈な村人の目を嫌がり村の外へ逃げ出す。そして、村に残されたものは「あの人が村から出た」という話で1日を過ごしていく。逃げ出した者を口汚くののしり、残った者を同胞として信頼する。同胞は裏切らないという不文律を押し付けることも忘れない。

 一方、村人は、同胞でない「外部」の者には厳しい。外部のものは得たいが知れない。だから、拒絶する。例え、外部の者が村の一員になりたい。と願った場合であってもそう簡単には村人は受け入れない。それでも、望むのであれば、村人が外部の者に望むことは唯一つ。「内部の者」になってもらうことだ。外部から内部へと変容する儀式を求めるのである。


「彼らは外部の者だ。内部の者になってもらわなければならないだろう」

「そうですね。内部の者となっていただければ、きっと私たちは分かり合えます」


 エイドは何かを想像したようで、落ち着いていた体が落ち着くなく震えだした。ドッタンバッタンと四肢を震わせ、うなるような声を上げる。いてもたってもいられず、コンラッドを横切り、机の上に飛び乗った。オゥオゥと奇声を上げ始めた。目は細いまま爛々と光っていた。髪の毛をかきむしり、ダンダンと足踏みをしては歓喜の声を上げた。


「私は、女を担当しよう。お前は、夫の方を任せても良いか?」


 コンラッドはエイドを見上げた。互いに浮かべあう笑顔。コンラッドの提案にエイドは一際大きく、怪鳥の鳴き声を上げる。コンラッドが執務室を地下に作ったもう一つの理由でもある。


「えぇ。私は彼を担当します。しますよおおおおおおおおだって、彼は私に興味がある。って言ってくれたのデスデス。この私個人に。医者ではなく、個人に興味があると。ロサリオさんが私に向けて興味があると言ってくださったのです。」


 エイドは机の上から高くジャンプした。ドンッと腰を落とし、四肢を深く沈める。ジィーンと足から這い上がる痺れる痛みに、エイドの顔は紅潮していく。


「ロサリオさん! 待っててくださいね。あなたの期待に答えられるよう! 私は! 私は! その好意を受け止める覚悟はできています。ですので、見ていてください。感じてください。掴み取ってください。あなたが村人になるための試練を!村人としての栄光おおおおおおおおおおおおお」

 

「そうか。お前はあの男が良いのだな」


 コンラッドの問いに、四つんばいになったエイドは首を縦に振った


「それでは明後日決行。詳細は追って伝える。以上だ」


 コンラッドの命令に、承知の意味を込め、エイドは四つんばいで歩き、領主のクツをベチャベチャと音を立てて舐めた。唾液でテカテカになった靴を満足そうに目を細めて見つめると、人間の進化の過程を見せるように、四つんばいからゆるゆると二足歩行へ変わった。ドアに肩から体当たりをするように開け放つと、転がるように階段を駆け上がった。ドタタタタと足音を立て、走っていく。その足音も、すぐに止まった。地上と地下を隔てるドアの前に到着したのだろう。ガチャリと開錠の音がした。落ち着きを払った足音が聞こえた。


 コンラッドは、エイドが開け放ったドアを閉めた。誰もいないことを確認するよう、部屋の中をグルゥリと歩き、自分の机の前に立った。床に最も近い一番下の引き出しを開けた。引き出しの中には、鞘に入ったククリナイフと木の鞘で縛った黒く変色した欠けた刃があった。


「そうだ。われわれは、恐れることは何もない」


 コンラッドはククリナイフを手にした。ずっしりと感じる重み。彼もまた限界だった。堪えていた笑いがこみ上げてくる。エイドと話している途中から、彼の頭の中には一人の女性の姿があった。一糸纏わぬトランベルの姿。涙と体液で汚した褥の色。想像するだけで彼は法悦の境地へ達していた。

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