初夜編 花嫁は彼女なのか 2(潜入5日目)

 誰もいない貴賓室。生成りのベールを被り、うなだれるベルがいた。指先をくるくると動かし、手遊びに興じている。

 幼き頃、手遊びに夢中になり、大人たちからよく注意を受けた。それでも、彼女は手遊びを止めなかった。自分の肌の温もりが心地よかったのが理由である。そんな遊びもある日を境に人前ですることをやめた。

 「誰か」も思い出したくない。その人物は、ベルの手遊びを叱責した。叱責の度は時間と共に、超えていき、気づけば烈火のごとく怒り狂っていた。彼女は、当初、何故、その人は怒るのか理解できなかった。謝罪をしない彼女にその人は更に怒り、腰に下げていた刀に手をかけ、ベルの両手を斬り落とすと言い出した時、彼女は「何か悪いことをした」と認識しざるをえなかった。悪いことをしたので、ベルはひれ伏すように謝罪し、二度と手遊びをしないと申し出た。

 今思えば、その人は彼女に指遊びをやめさせる口実であのような行為に出たのだろう。幼きベルにとってはたまったものではない。

 それ以降、人前で手遊びをすることはやめた。ただし、一人の時は、どことなく感じる疎外感や淋しさを埋めるため、自分を慰めるように指遊びをするのだ。


 ドアがギィィト軋む音がする。回想を止め、彼女はとっさに手を膝の上に置く。「気をつけ」の体制をする。しおらしい顔を作ると音のする方へ顔を向けた。ドアと戸あたりの間に、少女の顔が2つあった。目をパチパチと瞬かせる。口はあんぐりと開け、興味深そうにベルを見つめている。偽らない好奇心に、ベルの口元は自然と和らいだ。


「おいで」


 二人を手招きする。少女たちは、互いの顔を見合わせた。すると、二人同時に、ドアと戸当たりの隙間に身体を捻じりこませ、部屋に入ってきた。


「花嫁さんだぁ」


 二人は感嘆の声を上げた。ベルの周りをぴょんぴょんと飛び、裾の長いレースやそこらへんに施されているリボンに触れていた。2人は、最低限の清潔感が保たれたシャツとほつれが目立つスカートを履いていた。式までまだまだ時間がある。来賓の到着とすればかなり早い。であるならば、彼女たちは先ほどの女性陣の誰かの子供であろう。

 ベルは2人の顔を良く見るべく、椅子からおり、二人と同じ目線に腰を下げた。

 二人の手を握り、理想の花嫁であろう笑みを浮かべた。


「二人とも。お名前は?」


 二人はもう一度互いの顔を見つめ、同時に声をあげた。


「ブラ」

「スタン」


 ブラは丸々とふくよかな少女で、そばかすが特徴的。スタンはブラよりも細身だが、すきっ歯出会った。二人とも年は変わらず、6歳ぐらいと推定される。


「おねえさん。お名前は?」

「私は……。トランって言うの」


  ブラとスタンは大きな声でトランと復唱した。


「お姉ちゃんがトランさんなん? お母ちゃんが言っちょった かけおち? の人?」

「かけおちぃ? かけっことなにが違うん?」


 ブラはふくよかな身体を揺らした。「かけおち」と言う単語を直裁に幼女に言うことは気がひける。ベルは「うーん」と困ったような顔を浮かべ、言葉を選んだ。


「ブラちゃん知らんのぉ? かけおちって、お父ちゃんとお母ちゃんに怒られて、逃げちゃった人がする結婚ばい」

「ふーん。お姉ちゃんはなんでお父ちゃんとお母ちゃんに怒られたん?」

「悪い事をしたから。かな?」

「どんな悪い事なん?」

「……。人を悲しませることだよ。人間はね。人を喜ばせてもいいけど、人を悲しませるようなことをしてはいけないの。私は、お父さんとお母さんを悲しませることをしてしまって、怒られたの」


 ブラは物悲しそうにベルを見つめた。スタンは物知りな自分に胸を張り、ベルに褒めてもらうつもりでいた。ブラが話せば話すほど、困る顔をする花嫁。けれども、友人のブラがあまりも悲しい顔をするものだから、ブラの感情はスタンへ伝染し、彼女の表情も悲しげに変化していく。

 ベルは慌てて二人を抱きしめた。オリヴァとベルが「駆け落ちした」と云う設定はこのように小さな子供達の耳に届いている。この話はエイドとコンラッドしか知らない。両者のうち、どちらかが口を滑らせたのか。それとも、オリヴァとベルの入村方法が推測からかけおちの噂へ姿を変えたのか。どちらにしろ、このトリトン村はとても狭く、情報は思っている以上に早く伝わる。頭の片隅では、この性質は何かに使えないか。と考えていた。


「ブラちゃん。スタンちゃん。泣かないで」


 ブラの目尻には涙が溜まっていた。雨垂れを指先でそっとぬぐい、ベルは笑ってみせた。


「私がいけなかったの。ちゃんと。お父さんとお母さんの言いつけを守ればよかった。でも、守れなかったの……。お父さんとお母さんはとても悲しんで……怒って。逃げちゃった。逃げて逃げて。トリトン村に来た」


 ふと、ベルの脳裏に両親の顔が浮かんだ。


「ちゃんとごめんなさい。って言いたい」


 両親の顔を思い出した途端、先ほどまでの打算的な考えはどこかへ消えた。記憶の中にある両親の笑顔は、彼女の心を締め付ける。


「ごめんなさい」


 それは、両親への謝罪だった。今夜にでも向きあう出来事。間違いなく、両親は悲しむ。悲しむのは自分の両親だけではない。2人の両親もだろう。ベルが2人を抱きしめれば、ブラとスタンはベルの体を抱きしめ返す。小さな体で抱きしめる力は、思っている以上に強い。ドレスを握る力は結婚適齢期なれば、シーツを握る力へと変わる。残念ながら、その相手は、彼女たちが恋い焦がれた人間である可能性は低い。


「お姉ちゃんは、好きな人と結婚するんでしょ」


 スタンは相変わらず背伸びした事を言う。脳裏に映る相手役の顔に心の中で唾を吐き、ベルは首を縦に振った。


「それなら、しあわせにならんと」

「そうだね」

「そうだよ。花嫁さんはしあわせになるって星の剣で読んだばい。だから、きっと、おねえちゃんはしあわせになるけん」

「ありがとう。ブラちゃんやスタンちゃんは、まるでコトウさんみたいに優しい人だね」


 ベルは、湿っぽい話を切り上げるための口実で2人が知っている人物の名前を切り出した。トリトン村が舞台となった、世界を作り出した12本の聖剣が関わる昔話。その主人公であるコトウさん。きっと村では偉人として奉られているに違いない。忘れかけていた接点を思い出し、もう一度ベルはキラキラした笑顔を作る。二人の体を話した。

 けれども、そこには、明るい表情はない。

 2人は、ベルの無知に驚愕し、愕然としていた。幼い彼女達に不似合いな絶望の顔を浮かべる。ベルの心の中でピシッと音が軋んだ。


「お姉ちゃん。何言ってるん?」

「コトウさん、全然、優しい人じゃないばい」

「そうなんよ。コトウさんのせいで、この村は……」


 ブラとスタンはベルから一歩距離を置いた。

 楽しい遊びの最中、彼らの心の地雷を踏み抜いた子がいた。温かい弧は切れる。切れ目から、非難の風が吹き込み、その子を叱責する。「なんでそんな事をするの?」無表情に友人だった子を淡々と叱責する。ブラとスタンの表情はまさにそのような表情だ。年齢は関係ない。年上のベルに二人ははっきりと批判する。

 彼女達から滔々と語られる言葉。

 ベルは目を開き、血の気を失い、信じられない事実に歯の根がガタガタと震えるばかりだった。



「ブラ? スタンちゃん!」


 貴賓室のドアが荒々しく開かれた。26歳を過ぎたであろう女性が血相を変えて部屋に入ってきた。女性の顔を見ると、ブラとスタンは声をそろえて「母ちゃん」「おばちゃん」と言いながら駆け寄った。

 女性の服の裾を掴み、背後に隠れてベルの姿を見つめる。もはや、二人はベルに興味をなくしていた。


「お願い。ブラちゃん。スタンちゃん。教えて! その話は。それは本当にあのコトウさんの物語なの?」

「ちょっと。ブラ、あんた何を話したん?」


 ブラの母親はブラを語尾を荒くし、彼女に問いただした。コトウさん。という名前を聞いただけで、ブラの母親の表情は変わる。割ってはいるように、スタンは声を上げた。


「どうして? お姉ちゃんこそ教えてよ。結婚って幸せな事でしょ? そんな幸せな事なのに、お姉ちゃんも、そんなに辛そうな顔するん? 悲しそうな顔をするん? 結婚って、そんなにイヤなことなん? なんで、星の剣に書いてる事とこんなに違うん?」


 スタンの言葉にベルは何も返せない。結婚とは幸せな事か。 そう問われれば、一般的には「そう」と答えるべきであろう。今回の結婚式は仮定の結婚式だ。幸せなフリをするべきだろう。相手がオリヴァ であっても。

 ベルは唇を噛み締めた。彼女達に「結婚は幸せな事だよ」と言えない。この村で、結婚とは初夜権の出来事に直結するからだ。

 スタンは、結婚に夢を見てだろう。外部の花嫁から「幸せだよ」という答えが反射的に返って来ると思っていたのに、返ってこない。スタンの顔は赤くなり、何も言わずに駆け出した。その後をブラとブラの母親が追っていく。

 スタンとブラ。 榛色はしばみいろの双眼ははっきりとベルを見つめていた。その視線はベルの心を貫いていく。


 心の痛みを振りほどくように、ベルは立ち上がり後を追いかける。長い裾。いくら履き慣れたショートブーツでも、バランスは取りにくい。裾を踏まないよう、スカートを持ち上げる。そうすると、腕が動きづらく、走りにくい。空いているドアまで到着し、辺りを見渡したが、ブラとスタンの姿は見えない。

 右か 左か迷った場合は、左を選べ という格言どおり、ベルはドアから向かって左に走り出した。ブラとスタンは泣いていた。どこかであやしているかもしれないと思い、空いているドアに首を突っ込み、探してみたが、彼らの姿は見えない。

 道なりに走り、廊下の角を曲がったときだった。ヌッと現れたのは白い壁。壁にぶつかる寸前、つんのめるように、身体を止めた。壁を見上げた。エイドだ。

 見知った顔に安堵すると、すぐに胸の中から疑問が噴出した。


「エイドさん!」

「おやおや。花嫁さん。そんなに呼吸を荒くしてどうしたのですか?」

「教えてください。トリトン村で……。トリトン村ではコトウさんの物語はどうなっているのですか? あの物語はコトウさんの優しさと、植物を大切にしましょう。というお話で、実話じゃないのですか? なのに。どうして、トリトン村では……」

「トランさん。急ぎましょう。もうロサリオさんは準備を終えられていますよ」


 エイドはベルの問いを受け流す。何事も無いように、「早く」と急かす。彼はニコニコと笑みを浮かべ、ベルの腕を掴むと、引きずりながら歩きはじめた。

 コトウさんの名前を出すだけで、大人は露骨に嫌がる。子どもは嫌悪する。今まで自分が信じていたコトウさんの物語の壁が壊される。世界が崩れ落ちる音に、恐怖を覚える。まるで、エイドの手は物語の世界の崩壊を導く手のようだ。彼女は咄嗟に、

彼の手を払った。


「エイドさん。答えて。どうして、トリトン村では正式なコトウさんの物語が伝わってないの? 何故、この村だけコトウさんの物語の続きが存在するの? そんな話……。王都では聞いたことが無い」

「あぁ。トランさん。突然結婚式なので混乱されているのですね。最初、私が結婚式のお話をした時もそうでしたものね。ひどく驚かれていましたものね」

「エイドさん! 私の質問に答えて。この村に伝わっているコトウさんの話。それを教えてもらわないと私は、納得できません」

「時折いるのですよね。マリッジブルーというやつですかねぇ。王都から来られたトランさんはホームシックとマリッジブルーの併発。この症例は初めてです。実に興味深い」

「そんな事言ってない。ねぇ、私の話を聞いてください。エイドさん!」


 傷の付いたドアにエイドはベルを叩きつけた。


「キャンキャン叫ぶな。煩いぞ。羽虫の存在が」


 背中からダイレクトに伝わる衝撃にベルの肺は呼吸を忘れた。吐く息と吸い込む息がごちゃまぜになり胸の中でしこりのように凝固した。一拍子遅れ、しこりは吐き出される。眉間に皺が寄り、ベルの小さな小刻みに上下した。


「あんたが知ってる世界が全てじゃない。王都で正しいことが、この村でも正しいことではない。ぐらいわかるだろ」


 今まで聞いたことが無い、エイドの低い声だった。ベルは目を細め、身体をよじらせ、彼の視線を悔しそうに見据える。


「この村のコトウさんの物語を調べてどうする? その話を、お前はロサリオさんに伝えてどうする? 会えない両親に伝えてどうする? お前は、夢物語の派生話を知ってどうするつもりなんだ?」


 ベルは口をつぐんだまま、エイドを睨んだ。


「お前は、村から出られない」


 エイドの呟きは呪詛のようだった。


「お前の知的好奇心は、いずれ心を殺す。生き急ぎに自分の心を殺す必要はどこにある」

「何それ。話の論点がずれてますよ」

「あぁ。そうだ。私は、貴方とこの話をするつもりは毛頭無い」

「あっ。そう」


 ベルは空気を吸った。身体を沈ませ、エイドの拘束から逃れる。掴むものが無くなったエイドの身体は、前につんのめった。投網のように彼女を捕まえる手から逃れる。腰を低く、横へスライドするようなステップを踏む。ドレスの裾を掴み右つま先に力を込めて、後ろへ一歩跳んだ。分厚い絨毯は足音を消す。


「無様な人は無能。という言葉をプレゼントしたくなりました」


 ベルは手を差し出した。

 任務の覚悟は出来ていた。けれども、自分を納得させるための理由はもっていなかった。ベルは結婚式 いや、初夜に向けての意味をようやく見出した。


「連れて行きなさい。新郎と……。コンラッド様がお待ちなのでしょ?」


 コルネールが何故、トリトン村への調査をベルに託したのか意味を知った。この任務は、初夜権の有無ではない。コトウさんの話しの真偽が任務だったのだ。

 きっと、これはベルにしか出来ない。彼女は、王都の図剣館にある星の剣を把握し、他の司剣よりも星の剣を熟知し愛する存在だからこそ、コルネールは彼女を選んだのだ。


「さぁ!」


 ギラギラと輝くベルの瞳。差し出した手は握りこぶし。中指だけが天を貫いていた。



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