初夜編 はじまりは恨み言から2

「あぁ。言うのが遅れたな。夜分遅くに申し訳ない」


 コルネールが挨拶をしたのは、入室後ややしばらくしてからだった。コルネールは短い首をぐるっと動かした。薄暗い部屋だ。来客など想定しておらず、生活感に欠ける。まず、これが第一印象だった。彼は再び首を動かす。部屋の飾りは、壁にかけられている王宮支給の制服とマナ葉脈がとっくに切れたなまくらの剣のみだ。

 オリヴァ・グッツェーは幼い頃よりキルク王子の侍従として王宮に勤めている。長年の勤務とキルク王の推挙があり、侍従の最高位「筆頭侍従」まで上り詰めた。勤務年数と地位に応じ、王宮は彼にかなりの額の給金が支払われている。コルネールの記憶によれば、オリヴァと同年代と比較すれば、破格ともいえる額となる。そのような莫大な給金の成れの果てがこの部屋。コルネールは理解できず、脳裏にはよからぬことばかりがうろついている。


「おかけになりませんか?」


 前筆頭侍従の一言にコルネールは意識を戻す。「おかけになる」はて、来客用の椅子はあったかと思いきや、彼の指の指し示す場所には木の丸い椅子があった。それは、部屋に一つしかない。木の書斎机の対になるような簡素な造りをした椅子である。来客をもてなすには礼を失していた。コルネールは2、3度目を瞬かせ、「あぁ」と短く答えた。部屋の主のススメに従い、椅子に腰掛ける。このような造りの椅子に座ったのは十何年ぶりとなる。少しだけ腰をつけると、それだけでギィと軋んだ。そのまま立ち上がろうにも、部屋の主人は冷えた目で試すようにコルネールを見つめている。そのような目を前にし、立ち上がるのは彼のプライドが許さない。いつ壊れるか分からない時限爆弾に覚悟を決め、浅く椅子に座った。コルネールの背筋には冷たい汗が一筋も二筋も流れ落ちていた。


「私の部屋に来客などは滅多にない事ですので。生憎、人をもてなす。という考えはございませんでした」


 この部屋には、主人が座れる椅子は無くなった。一人は座り、もう一人は立つ。というのは不躾である。選択肢は1つ。オリヴァはあたりを見渡し、仕方なく板張りの地べたに座りこんだ。顎を挙げ、主席大臣 コルネールを見上げた。


 首席大臣コルネール イヴハップ王より年上の64歳。武功は無いが、内政においてはイヴハップ王の左右の腕と言われている。

 王の発案である空の剣の使い手捜索。検地 農耕改良助成 税制改革、観光地開拓、貿易商の呼び込み等々。これらは、コルネールが実行に移したものばかりである。また、王子の守役。侍従制度もイヴハップ・コルネールの二人によるものだ。内政の屋台骨。土台などと言っても過言ではない

 一方、ヨナン国との休戦においてもコルネールは尽力した。「薬代は現金で」という理論で、休戦と言う薬には何かしらの対価が必要である。その対価として、イヴハップ王の妹君とイヴハップ王の娘の王女を差し出すように提案した。

 スナイル国は、休戦と友好関係という2つの薬を求めている。それには2つの対価が必要だ。だから、二人の女性を「休戦と友好の胎盤として差し出すべき」と主張したのだ。コルネールには寛容なイヴハップ王もこのときばかりは、怒り狂っていた。王の身内を政治利用するだけではなく、二人の女性の事を「胎盤」だといいのけ、侮辱した。その場で斬り捨てる勢いで剣を抜いたそうだ。その場は周囲の者のとりなしで収まったが、暫くの間、コルネールとイヴハップ王の間には冷たい空気が流れていた。

 その冷戦状態も長くは続かない。突然、イヴハップ王は自らの妹と娘をヨナン国へ差し出す事を決めた。突然の方針変更に一同驚いたが、イヴハップ王の提案はすぐさまヨナン国に伝えられ、了承された。ヨナン国も、休戦と友好の証として、ヨナン国王第5王女のキルトシアン姫をキルク王子の姫として迎え入れるよう打診があった。そのような経緯があり、スナイル国とヨナン国との停戦は成立した。


 その頃のコルネールをオリヴァは覚えている。今ほどふくよかではないが、若かりし頃はさぞ精悍な顔つきだったと思わせる威厳があった。現在は、目の細さは瞼の上にある脂肪で押しつぶされ、懐も恰幅も広くなった。白髪混じりのカイゼル髭を蓄えている。縦に小さく、横に広い。あの頃と比べてコルネールは憎憎しさは2割り増しになっている。


「机の上にあるのは何の剣だ?」

「星の剣です」

「意外だな。存外少女趣味なのかね」

「ご想像にお任せいたします。星は英知ゆえ、脳みその肥やしにはなりますよ。無論、耕す脳みそがあれば、の話ですが」


 後半は図剣館の司剣 ベルの口癖だ。オリヴァは肩をすくめる。そして、挑発的な目つきでコルネールの垂れ下がった瞳を覗こんだ。

 オリヴァはこの人間が嫌いだ。年齢と地位にモノを言わせる当たりが特に気に食わない。一方、現在、スナイル国のハリボテの平穏を作っているのはハシム、キルク王の共王制とコルネールの手腕であることは認める。政治が全くの素人の二人に、指南役として、また後見人として動くのは仕方が無い。それは、オリヴァまでに火の粉が飛ばなければ。の話しだ。

 結局のところ、この火の粉は火の海となってオリヴァに襲い掛かった。

 それが、先日の旅立ちの儀の一件である。イヴハップ王を樹の聖剣へ送り出す。という大儀。にも関わらず、筆頭侍従のオリヴァがは一般人を切り伏せ殺害し、無断で王家所有儀式用火の剣を使用した。平穏な儀式を壊した事を理由に、その場でオリヴァは取り押さえられ、査問室へ押し込まれた。即日開催となった幹部達による査問会精神的オルグ。査問中、幹部達の批判にオリヴァは反省の色など微塵も見せず、「目の前に生じている危機に何もしない事は果たして良い事なのか」と反論した。これには、珍しくコルネールは彼の意見に同調した。

 ハシムの筆頭侍従がハシムの危機の際、何もしなかったという理由で査問会にかけるべきだと主張した。オリヴァは「本質はそこではない」と口にしたが、取り付く島はない。結局、オリヴァ達の降格は全会一致で是認され、めでたく彼は、筆頭侍従補佐に降格となった。その瞬間、コルネールはオリヴァに「敵」となった。

 降格命令を、査問室で聞かされた時、オリヴァは痛感した。コルネールとイヴハップ王で侍従・筆頭侍従制度を作った。コルネールの求める政治とは、イヴハップとコルネール。主人と従者というペアになった政治体系を求めている。専制君主制という名の下で行われる共同政治。二人の王子にも同じ政治を行ってもらいたい。ということで共王制を採用したのだが、よくよく見れば、二人の王子には既にコブが二匹ほど付いている。現在は、政治に口出しをしないが、その二人がいつ政治に口を出すか分からない。自分の立場が二人に取って代わられるかもしれない。コルネールの手腕を発揮するためには、筆頭侍従というのは不要だ。排除したい。しかし、自分が作った手前上、そのような事が出来ない。だから、筆頭侍従補佐 という新しい職を作って、二人の頭を押し込もう。としたのだ。

 そう思えば、心は冷えたもので、命令に歯向かうこともなく、ただただ「はいはい」と聞き流すだけになった。


「ところで、コルネール様。私の仕事とは夜伽のことなのですか? それならお相手は侍女か城下町に出られるのが最適です。私には勤まりません」

「仕事の話といっただろう。相変わらず人の話を聞かないところが君の悪い癖だな」

「それならば、聞くに値する話にしてください」

「あぁ。もちろんさ。君はきっと私に涙して喜んでくれるはずさ」

 

 オリヴァは平常心を心がけているが、内心は感情のタガがガタガタと音を立てている。コルネールに対して流す涙なら、自分の小便の中に落としてやる。と心の中で吐き捨ていた。


「トリトン と言う集落を知っているな」

「トルダード渓谷の近くにある集落です。王都の水路 ベツラハム水路の始発とも言えるブラード川の上流及び支流域を中心とした集落だと聞いています」


 トリダート渓谷には、ブラード川という清流が流れている。川を挟む渓谷は、大きな岩山を巨人が大きなノミで切り落としたような筋が並んでおり、奇勝と言われている。王都をはじめ、多くの集落はブラート川の水を引いている。トリトンはその水を利用した水耕を主な産業としている。

 渓谷で育った米。という事で王都のみならず、貿易商が足を運び、買い付けに来るらしい。噂に聞く程度だ。実際のところはトリトンという集落はオリヴァも知らない。


「トリトンの領民から多くの陳情があってな。イヴハップ王が禁じた領主の初夜権が未だに行使されている」

「へぇ」

「イヴハップ王が禁じたと言うのに未だに初夜権が生きていると言うのは許されない事だ」


 初夜権。新婚夫婦の初夜を新郎よりも先に領主がしとねを共にする権利である。かつてはどこでも行われていた。イヴハップ王は、有名貿易商が「この国では前近代的な初夜権が生きているのですね」という一言に、顔を真っ赤にし、即座に全領土に初夜権の廃止を命令した。この命令に反した領主は、地位剥奪 追徴が必至と言われている。


「若い娘が領主にとられ、傷物にされて戻される。人の親として心が傷む話だとは思わないかね?」


 可能であれば、オリヴァはこの場で腹を抱えて笑いたくなった。何が「人の親として」だ。彼は、ヨナン国へイヴハップ王の妹と娘を差し出した。彼は自分の腹すら痛めていない。初夜権を行使されたことで、トリトン集落の生娘はキズモノにされただろう。申し訳ないが、そのような話はそこらへんで転がっている。この男が行ったことは、キズモノよりもはるかに重い、コワレモノを造ったのだ。この男の腹の中は一体どうなっているのだろう。黒か 白か ヒヒ色か。 壁にかけている剣を使い、かっさばいて見てやりたい気持ちにかられる。


「それで。領主や役人どもは? 流石に『初夜権を行使しています』とは言わないと思いますけれどもね」


 オリヴァは笑いをかみ殺していた。


「勿論だ。だが、オリヴァ。考えればよいだろう。『無い』という言葉はな、『有る』という言葉の前では無力なのだよ」


 オリヴァは心底面倒くさそうにコルネールを見る。虚偽でも何でも良い。「初夜権はある」という事実を作って来いというのだ。


「それは私がやらなければならない仕事なのですか? 聞いているところ、私でなくても、他の誰かでもよくありませんか?」

「私は君にやってもらいたいと思っているのだがね」

「申し訳ありませんが、話を聞く限り、この話と私の筆頭侍従復帰に関連性を見出せません」


 オリヴァの問いを待っていたように、コルネールの表情が変わった。それと同時に、心の中で舌打ちをする。コルネールはその言葉を待っていたのだ。何故、オリヴァでなければならないのか。その答えをちゃぁんと用意していた。


「約束しよう。この仕事をやり遂げれば、私は必ず君を筆頭侍従に戻そう」


 その言葉にオリヴァの目がらんと輝いた。

 

「君が筆頭侍従に戻った際、領土の内情を王にお伝えできなければそれは、お飾りの筆頭侍従だよ。知識量は、筆頭侍従の力量だ。君はその目できちんとスナイル国で何が起きているのか見て、聞いて、考える義務がある。キルク様の目と耳と脳の代わりとしてな」

 オリヴァ何も言い返せない。


「目や耳になれない筆頭侍従をキルク様はお望みではないようだ」


 コルネールはカイゼル髭を愛おしそうに撫で、目を立ち上がった。オリヴァの肩をポンと叩く。その手をオリヴァは荒々しく払いのける。


「それは、貴方の言葉。キルク様の言葉ではない」

「何を言うのかね。現在、筆頭侍従は空位だ。その穴埋めとして、私はハシム様、キルク様の筆頭侍従として勤めを果たしている。そう。あの人たちの隣で。あの人たちを主人として。そのような私が、キルク様の言葉を謀るというのかね」


 オリヴァの顔はとうとう引きつった。何も言い返せない。筆頭侍従。それは、侍従たちを統べ、主である王・王子の気持ちを推して、発言することが許される者。その恩恵にオリヴァはあずかり、また助けられた。コルネールが現在の筆頭侍従ならば、彼の発言には、必ずキルクはいる。


「キルク様は口数が少ない。しかし、物の考え方はイヴハップ王に良く似ている。とても素晴らしい。そう思わないかね?」


 オリヴァの心臓はギュウッと真綿で締め付けられた。自分が筆頭侍従であれば、コルネールにそのような事を決して言わせなかった。オリヴァの苦悶の表情をコルネールはどう捉えただろう。


「オリヴァ・グッツェー。あえて言おう。君の主人はキルク様ではない。この私。コルネール・ラ・ドログリーなのだよ」





 どれだけ呆けていただろう。手の指先は夜の寒さで冷たくなっている。床から立ち上がると、木の丸椅子がある・おかしなところにあるな。と思い、手にすると、オリヴァの記憶はギュルギュルと音を立て始めた。まるで、巻き戻しと再生を繰り返す壊れたきおく装置。コルネールとオリヴァが話した言葉のみ、通常のスピードで繰り返され、動作は早送りで次々と次々次々次々次々次々次々次々次々次々次々次々次々次々次々次々と彼におそいかかる


「あああああっ――」


 

 彼は椅子を蹴り上げた。椅子はガタンと音を立てて倒れる。オリヴァは椅子に馬乗りになりった。椅平素の表情とは比べられない程。顔のパーツはぐじゃぐじゃに崩れている。歯と歯の間からは「はぁはぁ」と荒々しい息が漏れる。大きく見開いた目は血眼になっている。横たわる椅子に、自らの拳を叩きつける。


「違う違う違う違う違うううううううう――」


 座位に自らの拳を打ちつけ何度も何度も「違う」と繰り返す。殴れば殴るたび、彼の手拳の皮はめくり、血が滲んでいく。


「違う。違うんだ……。私は、……。ただ……。」


 悔しい思いだ。もし、オリヴァにコルネールを言い含められる知恵があれば。旅立ちの儀の際、異変を伝えられる立ち回りがあれば、もし、自らに剣術の腕があれば。まだ、辛うじて、彼はキルクの筆頭侍従でいれただろう。


「くそっ……」


 シャランと首元から音がした。首に下げられた変色した鈍色のメダルが垂れ下がっている。スナイル国の紋章円を描く蔦が刻まれている。円の中に何も刻まれていないのは、「汝、主の顔を忘れるな。臣民の愛を忘れるな」という意味があるらしい。

 オリヴァが宮仕えを始めた時に、イヴハップ王から直々に首から下げられ、そう教えられた。宮仕えをしている者は、色が違えども、このメダルを首から下げる。メダルは宮仕えの証拠であり、身分証だ。掌にすっぽりと包まれる大きさのメダル。普段なら、蔦の円にはキルクの顔が連想されるが、今日ばかりは、コルネールの顔ばかりが円の中に浮かび上がる。まるで、自分の主人がコルネールであることを認めるかのようようだった。それに気づくと、今度はオリヴァは自分が許せなくなった。

 条件反射的にメダルに手が伸び、引きちぎらんばかりにメダルを耳の高さまで持ち上がる。ビィンと張ったチェーンが首に食い込む。もう少し力を込めれば、メダルはチェーンとぷっつり切れてしまう。そのわずかな力を彼は込める事ができない。キルクの悲しげな表情がオリヴァの脳裏に映る。最後の最後で、彼を諌めるのはいつもキルクだった。


「くそっ……。くそっ……」


 メダルを手にした時、イヴハップ王の傍に立つキルクに誓った。どんな事があっても、キルクを主人とし、キルクの最期まで仕える事を。メダルはその証だ。メダルを切ることは、自分の主人への誓いすら捨ててしまうような気がした。

「私の主人は……。私の主人は貴方様たった一人なのに……」

 メダルから手を離す。メダルは短い弧を描き、首の下を右へ左へ振り子のように寄る辺なく動いていた。


「ごめんなさい。キルク様。ふがいない私をお許しください」










 翌日の夕方、オリヴァは、コルネールに指定された港へ来ていた。

 本日から約1週間かけて行う任務を行う。部屋を立つ直前、コルネールはオリヴァの部屋に赴き、今回の任務の内容と計画を伝えた。コルネールからの命令に、オリヴァは異を唱えることはなく、「樹の聖剣に誓い、成功を持ち帰ります」と向上を述べた。

 任務の最初は、仕事の相方と落ち合うこと。それが、ブラード川を遡上する船の有るこの港だ。

 港から、山を背にして立つ宮殿がよく見える。日は宮殿の尖塔を夕日に包み込み、あとは夜の帳にバトンタッチする。そんな日の傾き具合だ。


「キルク様。必ず、戻ります」


 ポツリと呟く一言。彼の決意は固い。

 コルネールに任務について聞かされていたが、相方については何も聞かされていない。誰だろうと一人考えあぐねいていると、正解は足音を立てずに彼のそばに立っていた。


「おりんりん。いつまでそうやって考えているのさ」


 気配を消すように立っていたのは愛嬌のある卑劣な悪魔が立っていた。

 図剣館のベルだ。


「べ、ベッ……」

「そう。今回貴方と同じ任務を任されたの。よろしくね」


 ベルは満面の笑みを浮かべ、オリヴァに手を差し出した。

 口を軽く開け、オリヴァは目を見張るように、彼女を見つめる。

 オリヴァの任務。

 それは、相方とペアを組み、トリトン領へ侵入し、初夜権の所在を確認すること。しかも、駆け落ちした恋人同士という設定で。


「ちょっとぉ。もう仕事は始まってるのよ。かぁいいダーリンちゃん」


 チュシャネコと笑う少女を前に、彼は頭を抱えた。


「いやだあああああああああああああああああああ」


 筆頭侍従補佐最初の仕事。吉と出るか。凶と出るかは、彼らの行いによるだろう。

 こうして、世界一くだらない駆け落ちは始まるのであった。

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