幻影の影奉仕03
「間に合ったぁーー」
二人の王子が火の剣を選択している頃、オリヴァの背後に細長い人影が現れた。ソレは情けない声をあげてオリヴァの反応を伺うのだが、無言で返された。
「もぉ。イケズ」
声の主は男だ。独特のイントネーションで語尾を上げると満足そうに笑った。褐色の肌に情熱的で立体感のある赤い唇が良く似合う。アッシュカラーの髪は細い三つ編みが数本肩まで伸び、両側頭部も三本の編み込みが施されている。背もオリヴァより頭一つ高い。オリヴァと同じ黒いローブの礼服に身を包んでいるが、ローブは丈が足らず赤茶色の色鮮やかなズボンの裾が見えていた。肌の色。姿、振る舞い。彼がこの国の者でないのは明らかだ。異物を見る冷ややかな目を細いオリーブ色の目は同じように投げ返す。
見てはならない。
暗示のごとき眼力に人は視線を逸らし居心地悪そうに佇む。
目障りな虫を追い払い、彼はオリヴァの肩越しから王子達の旅立ちの儀を見つめていた。
「キルク様の衣装、間に合ったでショー」
彼はオリヴァの耳元で囁く。オリヴァの黒目は彼に動いたが、すぐに王子達の方へ戻った。
「うんうん。旅立ちの儀。リッパリッパ。さっすがキルク様。ほんなら、少しアタイを褒めてもいいんでナイの?」
猫撫で声をオリヴァはばっさりと斬り捨てた。
「黙れ、ユーヌス」
ユーヌスと呼ばれた男は「やーダー」とオリヴァを非難する。だが本気で悲しんだり悔しがっているようには見えない。いや、オリヴァの言葉、行動が予想通りであったことに喜び、静かにケラケラと笑っていた。
「ねぇ。オリーちゃん。アタイの情報どうりだったでショ?」
オリヴァの眼球が再びユーヌスを追う。
彼がキルクに渡した情報は、全てユーヌスが集めた情報である。
イヴハップ王の死後、オリヴァは首席大臣コルネールの命により警吏隊から何度も 丹念に取り調べを受けた。公式な取り調べだけではなく、オリヴァの動向確認のため、影に隠れ複数の視線が彼の一挙一動を監視した。
イブハップ王の死に自分は関係ない、自らの潔白を証明したかったが後ろ盾がない。キルクに相談しようにも軽々にキルクの部屋へ足を運べば、キルクが王の死に関与しているのではないか。とあらぬ疑惑が欠けられる。
王殺しの疑惑から逃れる方法。そして筆頭侍従の仕事。どちらかに専念すれば反対派絶たない。
そこで、オリヴァはある人物のもとへ足を運ぶ。
コルネールの影響が及ばず、この王宮内で限りなく中立に近い人物。キルクの妻 キルトシアンだ。彼女は、スナイル国、ヨナン国の停戦の証としてヨナン国から送られこの国へ嫁いできた。
キルクと結婚したその日、彼女は「キルクに愛はない」とはっきり口にし、重ねて求められぬ限り、スナイル国もヨナン国にも肩入れしないと宣言したのだ。
自分の立場を明らかにするよう、彼女の部屋は別の一角に与えられ、そこはスナイル国でありながらスナイル国ではなかった。一角に足を運ぶためには
オリヴァはキルトシアンの夫 キルクの名代として立ち入りが特別に許されている。
彼はキルトシアンの
(まぁ、その対価は安くないがな)
彼はオリヴァの影となり、彼が求める情報をかき集めた。キルクの服も、靴も、儀式用の剣が上位眷属剣であることも、全てユーヌスが集めた情報である。
もちろん、オリヴァもユーヌスが集めた膨大な情報と知識をまとめ、キルクに与えた。
今までキルクとオリヴァが大きな失敗なく事を勧めることができたのはユーヌスの力があってこそである。
だが、ユーヌスの手柄はこれだけではない。
「ハシム王子の方もご依頼通り、デショ」
ユーヌスの言葉の後、オリヴァは肩身を狭そうに立っているハシム側の筆頭侍従を見た。
オリヴァ・ユーヌスの情報
「ところでオリーちゃん。キルク様に剣の話シタ?」
剣の話。儀式で用いる剣のことである。
「キルク様の耳には入れている。やはり興味を持たれただが、俺には何がなんだかな」
「馬鹿ネェ。オリーちゃん。男の子はみーんな剣が大好きよ。だかアタイも……。アラ、イケナイ」
慌てて口を手で抑えるユーヌスにオリヴァは呆れたように視線を外した。騎士楽団が音の剣を振るう。葬送新興合図に二人は同時に鞘を抜いた。音が止むと、二人は手に
「アラ?」
ユーヌスが声を漏らす。ハシムは剣を掲げた。切っ先から天に立つ火橋らは楕円形。だが、炎は形を変え、楕円から徐々に徐々に丸みを帯びた
「王妃様」
声を漏らしたのはコルネールだ。ハシムが炎で作り出したのは、
「やるネェ。ハシム王子」
感心するユーヌスにオリヴァは心の中で舌打ちをする。彼の性格なのだが、人の成功にスグにケチをつけたくなる。
「あぁ。だが、人の形を創るなんてマナの消費が激しいことをすればすぐに息が切れてしまう」
オリヴァの言葉をユーヌスは冷ややかに笑い頷いた。
オリヴァの言う通りだ。慣れない火の剣を操り、火の人型を作り出すことは剣の扱いに長けた騎士団員でも難しい。
剣の素人で人の形を保てた。だけで十分合格点である。
オリヴァの見立て通りハシムのマナ出力は瞬間風速のようなもの。炎の王妃はすぐに輪郭を亡くし、再びただの炎となる。ハシムは棺を突き立てて火に飲ませる。早い失敗回収を身て、オリヴァは見栄っ張りめ。とせせら笑った。けれども、彼のような感想を抱くものはユーヌスの他存在しない。皆、溶けた火を夫の眠る棺を愛おしそうに抱きしめた。と見たのである。
「王妃様。 お戻りになられたのですね」
「王妃様。ご無沙汰しております」
「愛だ。王妃様が王を迎えに来られたのだ」
周囲の甘い情緒に浸る声はもはや雑音でしかない。ねっとりとした視線でユーヌスは質問した。
「オリーちゃん。彼らはハシム様の味方カシラ?」
「いいや、キルク様にいずれかしづく輩さ」
二人はハシムの演出に興味をなくし、キルクの動きを見る。キルクはハシムと違い、演出など一切ない。無表情に棺に剣を立て、燃えよ燃えよと火の尻を叩いているように見える。
「マジメねぇ。彼」
ユーヌスのコメントには無言を通す。キルクは上位眷属剣に強い関心を示していた。理由が分からない。見えないものに執着する主は何かに取りつかれているような気がして心の中でザワザワと騒ぎ出すのであった。
キルクの目はハシムが生み出した炎の妃を捉えていなかった。キルクの耳は炎の妃の帰還を喜ぶ声を遮断した。彼の目と耳と心は、自分が手にしている火の剣に締められている。
頭の中では知らない声が響いている。焼かれているイヴハップ王の味の感想だ。
彼の身体はとてもマズイらしい。鮮度はイマイチ。血は酒で濁っており、すするだけで悪い酔いする。肉も筋張り咀嚼しにくい。骨はポリポリと小気味よい音を立てるが特に味はしない。
これほどまずい肉は久しぶりだと鼻息荒く語られた。ソレの戯言をキルクは「そうか」受け入れる。肉体の感想に彼の心は沸き立った。父王に対し引け目を感じていた。父親は息子に興味はなく、ただ漫然と自分が作り出した功績で子供を押しつぶす。押しつぶされる子供は「価値がない」と突き放し、瞑れる子供を平らにするよう新たな功績を重ねるのだ。
キルクにとってイヴハップは何者か。汚点である。自分が打ち倒すことの出来ない汚点であった。
子供も部下も、誰一人イヴハップを倒せない。しかしながら<いと高きモノ>は違う。ソレは父王の肉を啜り「彼の肉はまずい」とケチを付ける。彼の肉体がどれだけ劣り、醜く、醜悪なものかを、当たり前の権利のように滔々と語る。
自分が越えられないものを軽々しく越えた、
どうすれば、自分は<いと高きモノ>のようになれるのか。どうすれば、
赤色の世界の中、キルクは一点の天に輝く光を掴もうとした。光の果て、奥に存在する正体を知り、理解し、敢えて挑む。
けれども、彼の手は光を掴むことは叶わなかった。まだ、キルクを人にとどめようとする碇のごとき重石が彼の胴体に絡みつき離れない。人は人であるべし。光の奥に鎮座する聖剣は彼の前から姿を消す。
「キルク様、貴方は貴方です。どんな剣を選ぼうが、貴方は必ずこの大役を果たされます。それは剣の力じゃない。貴方の力です。私はそう思うから……。だから、キルク様。私のために、大役を果たしてください。貴方の筆頭侍従が貴方に使えて良かったと思える人物でいてください」
「オリヴァ」
重石はオリヴァの姿をしていた。彼は、「オリヴァ、俺は、俺は」と声を上げる。まばゆい光は消えてなくなり、遠く離れた意識は地をつき現実へ引き返される。
腰に絡みついた従者の姿がない。彼の目の前にあるのは棺を飲み込んだ天を衝く火柱であった。
(コレが、上位眷属剣なのか! 心の隙間に入り込み夢を与える。これが……。これが上位眷属剣なのか!)
キルクの拳は震えた。
自分が選んだ剣は上位眷属剣であったことをはっきりと理解したのであった。
三人の騎士楽団が音の剣を振るう。明るい未来を連想させる軽やかなメロディーは王の旅立ちを祈り、そして王子たちが大役を果たしたことを賞賛する者であった。
二人の王子は顔を煤で真っ黒でポツリ ポツリ と小さな火山のような痕が出来ていた。
刀剣を鞘に収めると、顔を拭わず参列した者へ深々と一礼をした。皆、王子たちに万雷の拍手を送る。
キルクの鼻孔をつく木をいぶした匂い。
真っ黒に燃えた棺の跡。骨のひとかけらすら残されていない。イヴハップ王の肉体は完全にこの世界から姿を消した。彼らの後ろ盾はもういない。上位眷属剣が語りかけた言葉をキルクは思い出す。
イヴハップ王が死ねば自分は自由になれると思ったが、新しい重荷がイヴハップ王にすげ変わるのだ。と靡く風が教えるのであった。
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