幻影の影奉仕02
イヴハップ王の亡骸が入っている白い木の棺は想像以上に重たかった。王にふさわしく職人が腕によりをかけた棺には無数のアラベスク様式の飾りが付けられていた。キルクは内心趣味が悪いと思ったが、表情に出すことはせず、指定された通り、棺を兄と共に担いだ。
(人は死ねば軽くなるという話があるが、そのような事は全くの嘘だ。棺は人の見栄のせいで生前以上に重い)
考えれば考えるほどうまくいかなくなる。そう思い頭の中から「棺」の存在を散らし、自分の背丈の倍以上ある扉を見つめて物思いに耽った。
(オリヴァが言っていたな。今日の儀式では儀式用に使う剣は上位眷属剣だと)
聖剣から直接生まれたと言われる上位眷属剣。この話を聞いたとき、踵から頭のてっぺんまでビリビリと刺激的な震えが一直線に駆け抜けた。
人間よりも長く生き、目にすることは難しい。だが、触れるだけで聖剣の息吹を感じることができる。それだけではない。上位眷属剣には面白い話がある。
上位眷属の中には意思を持つ剣があるらしい。剣が人間に話しかけたり一人で喋る。などと言えばとうとう既知の外へ出ていったのか、と冷ややかな視線が投げつけられる。だが、上位眷属剣は別だ。
聖剣に近く、生き続けた剣はバケモノに等しく意思を持っても何らおかしくない。
故に、上位眷属剣は特別なのだ。
だが、意思を持つことが良いことではない。そこには相性という問題が出てくる。相性の問題で上位眷属剣を使えない。との話も耳にする。
(歴代の王はこの旅立ちの儀で上位眷属剣を用いた。彼らはこの上位眷属剣と相性が良かったのだろうか)
ふと、父王イヴハップを思い出した。ハシムとキルクと同じよう、彼も若くして父親を失った。王の冠を戴く前より剛腕で怯え知らず、容儀を乱さない人物であったらしい。君主となるべき人物の見本の存在。そのような人ならば、上位眷属剣も喜んで乳に使役されたことだろうと思った。
兄の体がグラリと揺れる。剣の思いは現実へと手繰り寄せられた。
ぐだぐだと煩わしい作法を扉の前で筆頭侍従のコルネールが視界に入った。小さな体を大きく揺らし、同じ事柄を何度も説明をしていた。
(話が長いぞ。コルネール)
話は右から左へ流れていく。誰かの殺した溜息が時の長さを教えている。この人物が、どうでもよい人間ならばウンザリとはしなかった。コルネール・ラ・ドログリーは首席大臣。王の片腕を自称し長い間辣腕を振るった。
尊敬する人間がいる一方、オリヴァは好かぬ人物もいる。オリヴァは口には出さないが、時折、疎ましい視線を送るのだ。
キルクは答え合わせのようにオリヴァの顔を見てたくなった。彼の立ち振る舞いがどのようなものか、一目見るだけで痙攣を始めた筋肉が落ち着くような気がした。
キルクのこめかみにじんわりと汗が浮かぶ。二人の王子を含め多くの者が、コルネールに対し非難に満ちた視線を送り始める。皆の無言の抗議に彼は最後まで気づかなかった。
「ハシム様 キルク様。イヴハップ王の出立です。どうぞ、胸を張って父上を送り出してくださいませ」
でっぷりとした腹部を突き出して、コルネールは両手を広げた。門番は足並みを揃え踵を鳴らした。正面玄関の施錠が解かれる音が玄関前の余韻を大きく飲み込んだ。
二人の王子、いや、この場にいる臣下は
重層織りなす悲しみの声は、彼らに外部より父の死を突きつけられた。
「さぁ。王子」
コルネールの声が二人の背中を押す。恐る恐る玄関から一歩足を踏む出す。そこには、溢れんばかりの人の群があった。人は嘆きの壁となり、イヴハップとの最後の挨拶にとはせ参じている。嘆きの壁は、若い王子に容赦なく感情をぶつけ、己の理想を強要する。例えば、早歩きをすれば「王の最後の別れを取り上げるな」と抗議の視線を投げ、声に従いゆっくりと歩けば「王の旅立ちを邪魔するな」と無言の叱責を叩きつける。二人の耳は「ありもしない声」が届いていた。
「王の最後を汚すな」国民の威圧は、これから先、自分たちを苦しめる根源になるのだと痛感するのであった。
火葬場の指定場所への到着は想定以上の時間を要した。コルネールは計画通りにならなかったことに若干の苛立ちを覚えた。感情が顔に出ぬよう、安置された棺に深々と一礼する。顔をあげた頃には、気持ちを切り替えており二人の王子、いや、その場にいる者全員に宣言した。
「お二方。これがイヴハップ王と最期のお別れになります。」
コルネールの言葉に参列者の嘆きが響く。自分の言葉一つで感情が動く。自分が人の気持ちを操っている優越感が沸き立つ。
首席大臣。旅立ちの儀総監督。
彼がイヴハップ王より長く健康的に生きてきたのは、王になり替わり人々の感情を掌握できるほんの一瞬を手に入れるためである。自分の言葉一つ一つに人が反応する。コルネールの心の壺には芳醇な感情が滴り落ち、機嫌良くハシム側、キルク側の参列者の前列に待機する二人の
若い筆頭侍従に甘い息が零れだす。甘い吐息を描き分け二人それぞれの主人に駆け寄った。
オリヴァはキルクに一輪の青い花を差し出し震える指を自分の手で包み込む
「キルク様、この後騎士団長から火の剣が渡されます」
「わかっている」
男に手を握られる羞恥心から逃れるようオリヴァの手を払いチラリと兄の様子を見る。
「キルク様、貴方は貴方です。どんな剣を選ぼうが、貴方は必ずこの大役を果たされます。それは剣の力じゃない。貴方の力です。私はそう思うから……。だから、キルク様。私のために、大役を果たしてください。貴方の筆頭侍従が貴方に使えて良かったと思える人物でいてください」
「オリヴァ、お前は何を――」
「勘違いしている」と問いただそうにも従者はすでに背を向けてそのまま参列者の列に加わっていた。
(オリヴァ、違うんだ。俺は上位眷属剣に触れたいんだ。父やその上が触れた剣がどのような剣か。ソレが俺にとって儀式よりも大切なこと。旅立ちの儀は俺が思っていることの付属なんだ)
ハシムとキルクは特に言葉を交わさず、目配せのみをして、棺の上に花を捧げる。
「名残惜しい気持ちはありましょうが、イヴハップ王も旅立たなければなりません。イヴハップ王の身体がこの世に無くとも、樹の聖剣 イグラシドルの下で我々を見守って下さいます。スナイル国の繁栄を樹の聖剣を通じ、見守り続けるはずです」
コルネールの言葉に続き現れたのは漆黒の鎧に身を包んだ鋭い目の男。騎士団長だ年齢で言えばコルネールより少し若い。だが、この人物は不思議と年波を感じさせない。常に
騎士団長が手をあげると一人の騎士が王子達の前に二振りの剣を差し出した。
「儀式様の火の剣でございます」
金色の鞘と銀色の鞘。二つともスナイル国の紋章 円を描くツタ が刻まれている。
(これのうち一本が上位眷属剣)
弟のこり固まり強ばった表情を見て、兄は騎士団長にばれぬ様に弟の脇腹を肘で小突く。慌てて自分を見る弟に彼は「先に選べ」と丸い顎を宙で動かして先に選ぶよう促した。
(兄様は、この二つの剣のうち一つが上位眷属剣であることをご存じで先に選べと言ってるのだろうか)
キルクは気持ち悪い笑みを浮かべている兄を凝視する。ハシムの丸丸とした湿っぽい笑い。この笑いを浮かべるときはキルクを試そうとしている時だ。自分は何かを試されている。何を試しているのか。キルクは咽喉仏を上下させ、兄はこの剣のうち一本が上位眷属剣であることを知らない。という仮説を打ち立てた。
もしも、彼がこの事実を知っていれば、彼は自分の持ちうる全ての権力を最大限利用し、どれが上位眷属剣であるのかを調べ上げたはずだ。自分に箔をつける上位眷属剣を彼は絶対に手放さない。
知っていてなおかつキルクに順番を譲るなどということもありえない。万が一、キルクが誤って上位眷属剣を選んでしまえば、自分の箔が弟に取られてしまうのだ。
彼の笑顔と行動を推察するに、
キルクの視線が兄から剣へ動かす。そして、彼が選んだのは銀色の剣であった。
「キルク、お前は性格もだけど剣まで地味なのを選ぶんだな」
ハシムは弟の選択を尊重し金色の剣を手にした。
兄の満足そうな表情を見て、金色の鞘が上位眷属剣かと思ったがすぐに否定した。選んだ事実は取り消せない。銀色の剣の触れたときの気持ちが、初恋の人の指先に触れたときめきに似ていたので、全てを良しとした。
二人の選択を騎士団長は黙って見ていた。るキルクの姿を一瞥し、「お二方、所定の位置へ」と声をかけるのであった。
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