第37話 帰路

 ダニイルは、本体の帰還が始まるのに先んじて、朱国極東軍の本営地である街に向かい、馬に乗って発っていた。独断専行、もとい、先行という奴である。

 敵前逃亡でこそないが、褒められた行為でないのは確かだ。


 それは、かつてのダニイルの部下たちが、彼の命を行軍の最中に狙うのではないか、それを危惧しての愚かな行いであった。

 彼がやったことに同情の余地はないが、その行い自体は、別段不思議なことでもなければ、腑に落ちないことでもなかった。きっと彼ならそうするだろうし、同じような立場に自分が置かれれば、きっと、そうしたことだろう。


 ダニイルの行いに対して、ニーカは特に怒る素振りを見せることはなかった。

 ただし、軍規を乱したことには違いない。


 粛々とそれについては処断すると、僕とアドリアンに対して嬉々とした顔で話した。


 彼女はどうやら、ダニイルの処分を検討しているように感じられた。

 それがまた、彼女の気まぐれによるものか、それとも、鉄の軍規に照らし合わせてのことなのかは正直に言ってなんとも言うことはできない。

 おそらく前者だと、僕自身は思っていた。


 結果、ダニイルの兵たちは、極東軍の本営地へと戻るまでの間、僕の旗下に入ることになった。


「よく、扱うようにな、キリエ。決して、行軍で死者を出してはならぬぞ」


「分かっています」


 こうなるだろうな、とは、思っていた。

 まぁ、仕方のないことである。


 もし仮にダニイルが軍に残っていたとしても、彼に無理に分隊長を任せれば、余計な混乱を道中で巻き起こすことになっていただろう。

 どうあがいてみせても、その結果は避けられそうにない。


 なにより僕自身、これ以上、身内が傷つくのはこりごりであった。

 不本意ではあったし、あまり自信もなかったが、僕はニーカの命を受け入れた。


 アドリアンの部隊はつつがなく、ガス田の整地作業を完了させた。

 竜の遺骸を細かく裁断して、洞窟から運び出し、また、卵を割らずに、洞窟の外へと持ち出した。僕が、洞窟の奥へと突入した、その日の夜には、それらの作業を終わらせて、彼はニーカからの信頼を見事に回復させてみせた。


 あとは、極東軍から、適切な管理部隊を派遣して、ガス田として管理するだけだ。

 特務部隊の仕事はここに完了した。


 村人たちを再び広場に集めていた。

 整列する兵隊たち。

 それと、竜の卵が載せた幌の張られた馬車。


 これらを前にして村民たちは、やっと厄介者が居なくなってくれる――そんな顔色を隠さずにこちらに視線を向けていた。

 ニーカが、そんな不敬な彼らの前に出て、無言で睨みつけた。


 それまで憎悪に満ちていた村民たちの視線が、彼女の登場によって、一瞬にして恐怖に凍りついたようなものに変わる。『偉大なる同志』の縁者である、という、その威光はこのような寒村でも有効であるようだった。


 十分に、その視線を堪能して、ニーカがにんまりとその口角を吊り上げた。

 寒さにだろうか、その白い頬が上気して、桃色に染まったのが見えた。


「諸君らの手助けもあり、我々特務部隊は無事に任務を遂行することが出来た。こうして『晶ガス』のガス田を開発することができたことを感謝する」


 感謝されても、という空気が広場に満ちる。


 彼女を見つめている人々の中には、ダニイルに唆されて、カナリア――人身御供――にされた者たちも少なからず居た。

 そんな者たちが、素直に、そんな感謝の言葉を受け入れられるだろうか。


 否だろう。

 彼らの心の奥には、そんな扱いをした軍に対する、怒りがふつふつとあるはずだ。


 しかし軽々しく憎悪を向けられる相手でもない。

 相手は、ただの軍人ではなく、『偉大なる同志』の第十三女であった。


 気の毒な話ではある。

 だが、これが終われば、彼らは自由だ。


 耐えろ、と、僕は心の中でニーカの言葉が終わるのを、ただ待った。


 ふと、その時、気が付いた。

 広場の中に、アンナの姿が見当たらないことに。


 どうしたのだろうか。

 全員、村民は集まるようにと、通達はしていたはずである。

 それを無視して、あのエメラルドの瞳の彼女は何処に行っているのだろう。


 もちろん、ニーカとて、村民一人一人の顔をちゃんと覚えている訳ではない。

 アンナの不在を目ざとく見つけて、糾弾するようなことはしなかった。


 むしろ上機嫌で、銀狼の少女は話を続ける――。


「この地で得られた成果は大きい。『晶ガス』のガス田もさることながら、その奥に生息していた竜を捕獲できたのは学術的に大きな意味を持つ。朱国はまた、強力な力を手に入れることに成功した」


 ニーカは、あの竜を、本当に躾けることが出来ると思っているようだった。

 ウリヤーナについてもそうだ。


 果たしてそんなことが可能なのだろうか。

 実際に、あれと戦い、首を落とした僕からは、とてもそんなことができるとは思えそうになかった。だが、それでこの酷薄な隊長が、機嫌よくこの村を去ってくれるというのなら、それもまたいいのではないかとも思う。


「この発見は大きい。竜の生態が詳らかになった暁には、この村の名は広く世に知られることになるだろう。その日が来る日を――再びこの地に来ることを楽しみにしている」


 ぞっとするような言葉を残してニーカが振り返る。

 そうして、彼女は進め、と、進軍開始の声を張り上げた。


 栗毛色の馬が嘶く。

 幌の張られた荷馬車が動き出す。


 ようやく、村には久方ぶりの平穏が戻り、特務部隊の兵たちの顔には、疲れと共に安堵の顔が戻ったのであった。

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