第36話 生還
竜の首を兵に抱えさせると、僕たちは洞窟から撤退した。
卵の回収と、制圧作業は後でやればいいだろう。あるいは、今回、竜討伐の後詰に回ってくれたアドリアンに、その功を譲ってやるのも手かもしれない。
今回の作戦行動について、良いところのなかった彼のことだ、きっと喜んでやってくれるだろう。
帰還した僕たちを待っていたのは、ニーカの訝し気な表情であった。
白目を剥いた竜の首を見て、彼女は眉間に皺を寄せた。
「なんだ、それは」
「竜の首にて」
「……私は、毒殺しろと命じたつもりだったが」
「そうしたかったが、竜がこちらに気づくのが早かった。襲われたので、仕方なく応戦したところ、こういう結果となってしまった」
もちろん嘘である。
自分でもすらすらと出てくる言葉に、内心、ここまで腹芸のできる人間だったのかと、少し呆れた気分になった。旭国で軍人をやっていた頃には、決してできなかった芸当だ。
だが、悪い気分はしなかった。
この目の前の悪魔――銀狼の少女とやりあうためならば、人間としての尊厳を守る為ならば、僕は、この程度の嘘は幾らでも重ねよう。
ニーカの視線が、アンナへと向かう。
死なずに戻って来た彼女に対して、苛立たしそうに舌打ちをした彼女は、それから、また僕に向かって不機嫌な顔をを向けた。
「討伐は済ませた。文句を言うことは何もない」
「そう言っていただけると、こちらとしても決死の覚悟で刀を振るった甲斐もあります」
「その功績は大きい。軍上層部には、今回の一件について、よく言い含めておこう」
それはできれば勘弁してもらいたい。
別に、僕はこの特務部隊の中で、位人身を極めたい訳ではないのだ。そんなものを貰うくらいなら、恩給と、休暇、あるいは、他の部隊への転属をさせて貰いたい。
望み通り、『晶ガス』のガス田探索を終えたと言うのに、ニーカが不機嫌なのは。やはり、彼女が邪悪なる性根を持っているからに違いないからだろう。
それについて、改まることを期待するのは、もう難しいように思う。
銀狼の娘が、根本的に抱えている心の闇は、簡単に癒えることはない。
また、僕がそれを癒せるとも思っていない。
できることは一つ。
それに飲み込まれずに、今回のように、上手くごまかしていくことだけだ。
結局、それが人生というものなのだろう。
目の前の残酷な少女だけではない。
それは全てにおいて言えることだ。
旭国に戻ること叶わず、朱国で生きていくこともそうだ。
肺病を患い、死を待つ身に置かれたこともそうだ。
ごまかして、ごまかして、自分の意地をどこかで貫いて生きていく。
弱い僕にはそんな生き方しかできそうにもない。
「では、これにて我が分隊は任務は終了ということでよろしいか」
僕はニーカに尋ねた。
洞窟の奥を塞いでいる、竜の亡骸を押し返して除けるのは、卵の回収もかねてアドリアンにでもやってもらうとしよう。まずは、この竜の血で汚れた体を清めたい。
少し、渋る様子を見せたニーカだったが、任務を果たしたのは事実だ。
またこれだけの功績を見せた人間の言葉を無視する訳にはいかない。
おまけに、ダニイル分隊に所属していた兵たちは、皆、僕の側についている。
場の空気に飲まれるように、いいだろう、と、ニーカは言葉を発した。
「後の処理については、アドリアン伍長の分隊に任せるものとして、キリエ軍曹の分隊は村へと戻れ。よく、休むように」
「……はっ!!」
軍靴に踏み荒らされた雪のように、くすんだ銀色をした髪を揺らしてニーカは僕に背中を向けた。苛立ちが揺れるその背中から視線を逸らすと、僕は、村へと続く道を、分隊の兵たちと共に歩き出した。
「……おみそれしました、キリエ軍曹」
「旭国の侍の業、感服しました。是非、また、御指南を」
「そんなたいそうなものではない。むず痒いことを言わないでくれ」
ダニイルから借りているだけの兵が、妙に親し気に僕に接してくる。
どうやら、本来の分隊長に愛想をつかして、僕の方に靡いてしまっているようだ。このまま、僕の指揮下に入るなどと言い出したらどうしてくれようか。
さっきも言ったように、僕は別に、朱国の軍隊内で出世したい訳ではない。
そうして生きていくことしかできないから、そうしているまでのことだ。
しかし――。
「キリエ軍曹。貴方が、そのような高潔な精神を持たれていたとは知りませんでした」
「僕自身が一番驚いているよ」
ダニイルの愚行を糾弾した、正義感の強い兵が、頭を下げて僕に言う。
どうして、彼は僕の前に回り込むと、申し訳なさそうに、僕に向かって深々と頭を下げてきた。
「申し訳ありません、キリエ軍曹。私は、旭国から来た奴隷だと、貴方のことを、内心蔑んでいました」
「……いいさ、それは仕方のないことだ」
「しかし、貴方は、この部隊の中で、誰よりも人であられました。私は、そんな貴方を、心から素晴らしい方だと、今、敬服しております」
だから、むず痒くなるようなことを言わないでくれ。
たまらず、僕は頭を掻いた。
ふと、振り返れば、アンナの顔が見える。
命を繋いだ、彼女は、その褐色の人懐っこい顔を少しだけ緩めると、僕に、許してあげなさいよとばかりに視線を向けた。
許すも何もない。
人間として当然のことを行っただけだ。
「そう、思ってくれる君のような人間が、この部隊内に居てくれる。それだけで、僕は嬉しく思うよ」
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