第34話 人身御供

「古来より、荒ぶる神や竜――人智を越えた存在を鎮めるには、生贄こそが有効である。それは、今更神話を紐解くまでもなく自明なことだ」


 ニーカの言葉は、僕の耳を左から通って右に抜けた。

 彼女の言っている言葉の意味など、さっぱりと分かりそうもなかった。


 僕の中に渦巻いていたのは怒りだ。ただひたすらに純粋な、銀狼の娘の行いに対する怒りであった。


 どうして生贄に彼女を選んだのか。

 なぜ、豚や牛、家畜ではいけなかったのか。

 どうして生贄が人でなければならないのか。

 そんなものを、神や竜が本当に求めているなどと思っているのか。


 邪悪なその笑顔が僕の方を向くことはない。向くことはなかったが、彼女は横顔で、僕の反応を楽しんでいるような、そんな素振りを見せたのだった。


「アンナ・ハバロヴァ。勇気ある我らが同志に拍手を送りたまえ。彼女は、この国の礎を築かんと、自ら志願して生贄になると手をあげてくれた」


 おぉ、と、ここで称賛の言葉が隊員たちから上がれば、この茶番も少しは意味のあるものになったかもしれない。

 しかし、皆知っているのだ。

 そんなことが現実問題として、起こりうるはずがないことを。


 ダニイルの時と同じであろう。彼女は何かしらの条件をニーカから突き付けられて、半ば強制的に生贄とされてしまったのだ。


 確たる証拠はない。けれども、暗く、伏し目がちな表情からは、それは明らかだった。


 よっぽど、ニーカに対して食って掛かろうかと思ったくらいだ。

 けれどもそれは、彼女の甲高い声によって遮られた。


「ウリヤーナが求めてくれた。竜の固体『晶ガス』の摂取致死量は、おそらく5kg程度であろうと。彼女は、それを背負って、竜へと向かって貰う」


 君たちの任務は、彼女を竜の巣まで無事に運ぶことである、と、ニーカが告げた。

 やはり、その、作戦行動は、昨日ほのめかした時から、そう変わっていないようだった。


 さぁ、行け、と、彼女が声を張り上げようとした時だ。


「恐れながら、『偉大なる同志』の第十三女どのに進言があります!!」


 僕は満を持して、それに待ったをかけた。

 ひくり、と、ニーカが額に血管を浮き上がらせて、僕の方を睨み見る。


「……ほう、なんだ。言ってみろ、キリエ軍曹」


 声色は怒気のせいか震えていた。


 何故、彼女は怒っているのか。

 話の腰を折られたから。

 自分の残酷趣味を止めたからか。

 それとも、僕がアンナを庇うようなことをするからか。


 理由を考えることに意味があるとは思えない。

 今は、まず、この目の前の少女の暴挙を、止めなくてはいけない。


 ようやくこちらに向けられた、銀狼の少女の悪意と害意に歪んだ顔を前にして、僕は毅然と――昨晩、アドリアンと打ち合わせた内容について進言した。


「彼女一人を洞窟の奥へと送るのに、特務部隊全員が出動する必要ないかと考えます。私とアドリアンの分隊を分けて運用するのが得策かと」


「……分けてどうする。洞窟は一つしかない」


「竜の巣は、天井が陥落し、外界と繋がった地となっています。森を、アドリアンの部隊に探索させるというのはどうでしょうか。上空から、竜を狙える位置に彼らを配置することで、万が一の事態にも備えられます」


「万が一とは?」


 そんなことをして何になるのか、と、ニーカは言いたげだった。

 確かに、陥没した崖の上に、兵を配置したとして、それが竜に対して、何がしの抑止力になるとはとても思えない。


 なにより、今回の作戦は、生贄を竜に食らわせて、固体『晶ガス』の毒性により、死に至らしめることである。


 無意味、と、彼女が言いたいのはもっともであった。

 しかし――。


「毒が即、竜に対して効くとは思えません。もしかすると、兵が竜に捕まり、要らぬ損害を出す可能性があります。それを防ぐためにも、後方・上空からの支援は有効かと」


「……言うではないか、キリエ」


 その理由を考えずに、僕もモノを言っている訳ではない。

 後方支援にアドリアンの部隊が付くだけの根拠は、ちゃんと用意していた。あとは、それをニーカが受け入れるかどうかである。


 ふむ、と、彼女は顎先を指で撫でながら、何やら考え込む素振りを見せた。

 どうやら僕の立てた作戦に対して、少なからず興味を持ってくれたみたいだ。


 いけるかも知れぬ。

 そういう感覚が、僕の中にふつふつと沸き起こった。

 そしてそれはニーカの首肯により、確信に変わった。


「キリエ軍曹の案を取り入れるものとする。アドリアン部隊は森を行き、洞窟上部と思われる場所に布陣して待機。キリエ軍曹の分隊は洞窟内を予定通り行け」


「はっ!!」


「……私の黒い走狗よ。どういう魂胆かはあえて聞かぬ。だが、言ったからには、この作戦、必ず成功させてみせろよ」


 命に代えても。

 おそらく、そんな言葉は人生において、二度と口にしないであろうと思っていたその言葉が、自然と口を吐いていた。


 彼女が言う通りだ。

 進言したからにはやらねばならぬ。必ず、今回の作戦を、し遂げてみせねばならぬ。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 アドリアンの分隊が整え、マルファとダニイルが露払いをした洞窟の最奥へは、難なく到着することができた。見事に、ぽっかりと天井が空いたそこには、明朝出立したということもあってか、うすぼんやりとした光が入り込んでいた。


 竜の姿は見えない。

 前回、それは突然空から飛来して現れ、虚を突いて村民を喰らったという。

 今回もまた空の上に居るのだろうか。


 なんにしても、駆除対象がいないのであってはどうすることもできない


「……小休止!!」


 竜が現れるまで、また、アドリアンの分隊が上に待機完了するまで、しばし休憩とすることにした。それと同時に、僕は、アンナに話しかけた。


「すまない、君を巻き込んでしまって」


「……巻き込まれてなど。私から、志願してのことです」


「志願。君は、金に困っているのか」


「私というより家族が。恩給で、家族の病気の薬が買えるのなら、それもいいかと、そう思って志願したのです」


 嘘か、本当か。

 なんにしても、彼女の翳った表情が、それが本意ではないことを告げていた。


 このような顔をする人間を一人でも減らしたい。

 そう思ったからこそ、僕は今、腰に刀を佩いて、こうして出て来ていた。


 他者に利用される命など、決して、あってはならないことだ。


 多くの兵たちが居る中、僕は、そっと彼女の体を抱きしめた。

 えっ、と、アンナが驚いたような息を吐く。


「……大丈夫だ。君の身の安全は、僕が守ってみせる」


 そう、覚悟を告げると、僕は改めて、休憩体勢に入った元ダニイル分隊の兵に向かって声を張り上げた。


「皆、聞いてくれ!! 今回の作戦についてだが、より、被害の少ない――人道的なものに切り替えようと思う!! これは、隊長の命に背くことにはなるが、人の尊厳にかかわる大切なことである!!」


 何を言い出すのだ、と、兵たちがこちらを見る。

 しかし、その目は概ね――僕の言っていることに対して好意的であるように見えた。


 皆、やはりこのような作戦が正しいと、思ってはいないのだ。

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