第33話 刀

 旭国の正式武装、及び、兵の鍛錬の項目として、刀と言うものがある。

 侍の国の末である我が祖国は、鉛玉と砲火、戦車が主流となった戦場においても、この時代錯誤の近接戦闘武器を兵の最後の武器として扱った。


 弾薬付き、手りゅう弾も無くなり、身一つになったとしても、刀一つ持って敵の塹壕へと切り込んで駆逐せよ。


 そのために、血反吐を吐くような鍛錬を、士官はもとより下士官も行っていた。


 僕はかつて元旭国軍陸軍少尉にして彩国駐留武官という立場であった。当然、刀による戦闘については、しかるべき指導教官より一通りの教導を受けていた。

 その中に、人の胴を断つ技と言うのがある。


 実際にそれをした訳ではない。だが、木の杭に濡れた筵を巻き付けたものを、人の胴の代わりにして、袈裟に切り落とすという修練は何度となく行っている。

 教導を受けてすぐの頃は、刃こぼれさせてとてもとても断つことなどできなかった僕だが、二年も続ければそれも容易くできるようになった。


 ニーカからあてがわれた自分の部屋へと戻った僕は、久方ぶりに自分の携行装備を手に取った。


 極東軍支給のサブマシンガン。

 サブマシンガンの弾倉。

 近接戦闘用のナイフ。

 四角い凹凸のある手にかかりやすい手りゅう弾。

 

 それらに混じって――軍の装備とは別に、個人的に手に入れた物があった。


 名は無銘。

 いつの時代に鍛えられたのかは分からないが、朱国にかつて貿易によりもたらされた刀である。おそらく、百年ほど前――本物の侍が生きていた時代に造られたであろうそれは、緑色をした生地で柄が覆われていた。


 そっと、鞘の中からその刀身を抜き放つ。

 磨き上げられた刃に自分の顔を映す。いつそれを使う機会が巡ってくるとも分からないと、日ごろ、気が付いた時に油をさしよく研いでいる。

 手入れの必要はなさそうだった。


 波打つ刀身の波紋を次に眺めて、再び鞘の中へと収める。

 そうして朱国の軍服の腰にそれを紐で結わえ付けると、ゆっくりと腰をかがめて、柄に手を置いた。


 すぅ、と、深く息を吸い込み、一呼吸を置く。

 それから、やぁ、と、声を上げると、僕は鞘から刀を抜き放ち、そのまま、面前の何もない空間に向かって振り下ろした。


 ぴたり、と、刀の切先が視線の先に止まる。

 よし、と、僕は久方ぶりに振るった刀の感触に、満足気に頷いた。


 腕は鈍っていない。刀の切れ味についても申し分ない。

 酔った状態で、ここまで刀を振るうことができれば、竜の背骨を断って、絶命せしめることは難しいことではないだろう。


 いける。

 勝てる。

 できる。


 竜の姿をまだ見た訳ではない。

 それがどれほどの大きさのバケモノなのか、僕はよく知らない。


 しかし、できる。

 そう、確信して、僕は刀を腰から外して床の上に置くと息を吐き出した。


 どっとその息に合わせて体から汗が噴き出た。


 あの銀狼の娘の残酷趣味には、もう、うんざりなのである。

 主人ではある、自分の命を救ってくれた恩人もある。しかし、もうその暴虐に耐えることは出来なかった。

 彼女の底の見えない嗜虐心に振り回されて、人間としての心をすり減らすのはこりごりだ。僕はまっとうな人間として――軍人でも、この国の同志としてでもなく――彼女のやろうとしていることを、今までしてきたことを、許すことは出来ない。


 そのためにも、僕はこの刀で、竜の息の根を止めてみせる。


「……できるだろうか」


 できる、と、心で思ったはずだった。

 それでも不安が心の中に渦巻いて、そんな言葉を僕に口にさせた。


 できるできないではない。

 やるしかないのだ、とも、思う。

 そうしなければ、また、村の者たちが生贄としてあの洞窟の暗澹とした闇の中へと捧げられることになってしまう。


 この村の人間たちは、ガス田を隠していた罪人には違いない。

 しかし、だからと言って、ニーカが求めるような苛烈な国民としての義務を果たさねばならないとは僕は思わない。


 彼らの尊厳を守る為に。

 そして、僕らの尊厳を守る為にも。

 あの『偉大なる同志』の第十三女の邪悪な意志に、僕は打ち勝たなければならない。


 ふと、窓の外から景色を見た。

 湿り気の多い雪が降っている。擦りガラスがはめ込まれた窓に当たったそれは、粘質に張り付いて、ゆっくりとゆっくりとその表面を滑り落ちていく。


 できるだろうか。

 再び胸の中を襲った恐れを、無理やりと胃の中へと飲み込む。


「できる、できるのだ」


 旭国の軍人はそうやって、自分を納得させるのだ。

 やれると思ったならばやれる。成せると思ったならば成せる。


 かつて旭国の根性論に対して疑問を感じていた僕であったが、今回ばかりはその旭国の維持の一言により進むこととしよう。

 この一戦には、男として、戦士として、譲れぬ矜持がかかっているのだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 明朝。

 洞窟の前には特務部隊の総員が集まっていた。

 マルファ分隊の全滅と、アドリアン・ダニイル部隊の損耗により、兵の数は10数名と大きく減っていた。


 なにより大きく減ったのは、兵を率いる隊長格である。

 マルファは死んだ。ダニイルは、暗殺を恐れてだろうか、姿をどこかに隠している。


 僕とアドリアン、そしてニーカとウリヤーナ。

 そんな三人を前にして、二つの分隊が整列していた。


 既にウリヤーナから現状の説明と、洞窟の奥に潜んでいるバケモノ――『竜』についての説明は終わっていた。ダニイルの部隊は、それを直接見ているのだから、今更という顔をしていたが、アドリアンの部隊はその説明に顔を引きつらせていた。

 あきらかに士気が下がった彼らの表情に、アドリアンが舌打ちをする。


 そんな中、ウリヤーナと入れ替わりに、ニーカが前に出た。


「諸君。聞いての通りだ、この洞窟の最奥には、ファーブニルが潜んでいる。我々の今回の任務は、かの悪龍を洞窟の中より引きずり出し、この『晶ガス』という財宝の眠るガス田を、我々人類の手に奪還することである」


 ラインの黄金を守りし悪龍を引き合いに出して、訓示するニーカだったが、残念ながらそれを解する兵たちは少ないようだった。


 兵たちの反応の鈍さに、少し眉を顰める。

 だが、まぁいい、と、少し呆れたように嘆息を漏らして、彼女は次の言葉を紡いだ。


「荒ぶる竜を鎮めるにはどうするか。昔から、その方法は決まっている。なぁ、ウリヤーナ女史」


 えぇ、と、ウリヤーナが同調する。

 ちょうどその言葉に合わせて、村へと続く道を、何者かが歩いてくるのが見えた。


 遅れてやって来た、ダニイルだろうか。

 いや、それにしては足取りが遅く、そして、肩幅が小さい。

 背についても小ぶりだ。


 それは、大人の男性のそれではない――。

 防寒着に毛皮で出来た服を着ている彼女。深くかぶったフードから、その顔は、近づいてくるまで分からなかった。


 分からなかったが、それが判別出来た瞬間。


「……アンナ?」


 思わず口から、褐色の乙女の名前が毀れていた。

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