第32話 反逆

 作戦の決行は翌日へと持ち越された。

 ウリヤーナ曰く、『竜』の習性が不明な為だ。


 明日に備えてよく休め、と、またしてもニーカは僕を抱くことを拒否した。しかし、与えられた時間を、心穏やかに過ごせるほど、僕は軍人らしい軍人ではなかった。


 眠れぬ。

 どうあっても。


 自然、足は例の――ダニイルが手配した村はずれの小屋へと向かっていた。


「……軍曹」


「君もか、アドリアン」


 先客としてアドリアンがそこには入っていた。

 ただし、ダニイルが発狂してしまったからだろうか、小屋の中には、既に娘たちの姿はない。彼女たちが残していった、密造酒を手酌して、寂しく、彼は酒を飲んでいた。


 二人で飲むには充分な量が残っているようだ。

 僕は、いつもなら女たちがたむろしているカウンターへと移動すると杯を手に取り、アドリアンが座るテーブルへと移動した。


 彼の前に座り、杯を置けば、そこにアドリアンがなみなみと密造酒を注ぐ。

 相変わらず、ろ過が不十分なそれは、飲んでいて妙に引っかかりを覚えた。


 甘い酒だ。

 この酒のように、人生が甘美なものであったなら、いったいどれだけよかっただろう。

 彩国に赴任してこっち、ツキというものに見放されてしまったようだ。自嘲しながら、僕はそれを喉奥に押し込んだ。


 自分を忘れるくらいに飲まなければ、今日はやっていられそうにない。


「どう、思われます」


「……とは?」


「ニーカ女史の立てる作戦という奴です。また、致死量の固体『晶ガス』を食らわせるために、誰かが犠牲になる。それを軍曹、貴方は許せますか」


「それが上官たちの言う作戦だと言うのなら、それに従うのが軍人の務めだろう」


「……割り切っておられますな」


 まるで、自分はそこまでの冷酷さは持てないとばかりの口ぶりであった。

 持たなくても、いいと、思う。

 俺も持ちたくないと思った。


 だからこそ、つい、口が滑った。


「できることならば、そのようなやり方ではなく、まっとうなやり方で竜を倒したい」


「……どうやって?」


 興味深げに、アドリアンが瞳を瞬かせていた。

 彼はやはり僕と同じで人身御供作戦に対して、抵抗感を持っているようだった。

 かと言って、自分の率いる分隊に、被害がでるくらいならばということだろう、理想だけで物を語るなという、そういう気迫が語気からは伝わって来た。


 どうやって、か。


 具体的な案が何かあるのかと言われれば、何もない。

 ただ、ニーカたちがほのめかした、人身御供作戦だけはやりたくない。その一心から口が走っただけのことだった。


 だが――。


「ダニイルは、あの場から無事に逃げ延びた。それは何故だ」


「洞窟の奥に逃げ込んだからだろう」


「そうだ。見た訳ではないから、おそらくにはなるのだが、竜は洞窟の中に入り込めるような体躯ではないんだろう。充分大きいと考えていい」


「それが何か」


 まだ、酔いが回る前の頭である、よく働いてくれた。

 気まぐれに口にした反感から、思いがけず、竜殺しの一手を思いついた。


「つまり、洞窟の中からならば、安全に竜に対して攻撃を加えることが出来るのではないか、ということだ」


「安全に、ですか」


「もちろんこちらに引きつけるための囮は必要になるだろうが、それでも、人が一人確実に死ぬことを考えれば……」


「試してみるだけの価値はあるかもしれませんな」


 アドリアンが力強く頷いた。

 酔いが回る前の僕にとって、それは本当の意力強い肯定であった。


 話を詰めましょう、と、アドリアンが杯をテーブルに置いて言う。

 素面にはほど遠い顔をしてはいたが、まともに、軍議ができる程度に、彼もまだ酔いが深くは回っていないようだった。


 僕は、話を続ける。


「竜を洞窟の入り口まで引き込む。その体が洞窟に嵌るくらいまで引き寄せるんだ。そこを、森側から移動して隠れていた別動隊が強襲する」



「洞窟にすっぽりと嵌って後ろに下がれなくなった竜に、集中砲火という訳ですな。しかし、後退して、別動隊が餌食になる可能性がある」


「……確かに」


「それよりは、嵌った所を火薬で爆破して生き埋めにするというのは」


「一歩間違えば、僕たちまで生き埋めになる。それに洞窟内で発破は、予期せぬ落盤を誘発する可能性もある。タラカーンの巣を爆破する程度ならともかくとして、竜を生き埋めにするような発破は難しい」


「……やはり机上の空論の域を出ませんでしたかな」


 致命傷を与えることが出来なければ、そうなってしまうのだろう。

 再び、酒瓶から密造酒を注ぎだすアドリアン。妙に期待を持たせてしまったのがどうして申し訳なく、僕は、自分の杯の中身を覗き込んだ。


 キリエ・ヨースケ。

 お前は、何をしているのだ。


 故郷の旭国を離れ。

 死ぬ場所も、死ぬ顕現さえも、あの銀狼の少女に奪われて。

 そのように、屍のように生きている人生に果たして意味などあるのか。


 情けなくはないのか。


 旭国は侍の末の国である。

 潔く生きよ、己の信念に殉じよ、そのために刀を振るえ。

 それが出来ぬのならば、男である意味がない。


 そんな言葉が、脳裏を駆け巡る。情けなし、情けなし、と、杯の中に揺れる僕の顔が、悔しさに歪んでいた――。


 ふと、その時。


「……刀、か」


「……なんと?」


 旭国の武器。刀について、僕は唐突に思い出した。

 時代錯誤の近接戦闘武器。しかしながら、使う者が相当の使いてであれば、太い人間の胴を両断せしめるほどの斬撃を繰り出すことができる――そんな武器だ。


 竜の首はどれくらいであろうか。

 その首に通る骨は、人の脊椎よりも固いだろうか。


 もし、それが、人のそれと変わりないのであれば。

 おそらくではあるが――。


「断つこともできるかもしれぬ」


「……何を言っているのだ、キリエ軍曹」


 物理的に、断つことが可能かもしれない。

 いかな生き物とて、首を刎ね飛ばされれば絶命するのが道理である。


 やる、価値はあるのではないのか――。

 杯の中に揺れる僕の瞳には、再び、熱と光が戻っていた。

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