第29話 天井
カナリア――バケモノたちへの生贄――を連れての行軍は思いのほかかかった。
いや、俺に付けられた兵たちの練度が低いというのもある。
俺の武人としての力量のなさを侮ってだろうか、彼らはまともに俺の命令に従わない。
訓練はちゃんとしている。あの『偉大なる同志』の第十三女が手ずから選んだ兵である。その辺りは、極東軍のどの兵よりも、しっかりとしているように思う。
実際、彼女の目が届く範囲では、彼らは理想的な兵士として振る舞っていた。
問題は俺が彼らを直接指揮するとなった時だ。
その時、彼らはまるで、俺が居て居ないかのように振る舞う。
今回にしたってそうだ。
あの小娘が発した軍命であるから、と、俺について来てこそいるが、その足取りは重たい。加えて、村民たちを生贄として連れて行くのを、明らかに非難するような視線を、彼らは後ろから俺に浴びせかけてきた。
悪いか。自分の身が可愛くて。
いけないことか、どんなに卑劣な手を使っても生き延びたいと考えることが。
死にたくはなかった。
生きてどうなるというものではないが、自分の命を意味もなく捨てられるほど、俺は高潔な人間でもなかった。生き延びて酒が飲みたい、いい女を抱きたい、賭場で遊びたい、良いカメラを手に入れて旅行にでも行きたい。
やりたいことは幾らでもあるのだ。
人生を死ぬるまでの暇つぶしと吐き捨てられるような、そんな達観は俺にはなかった。
どこまでも俗物なのだ。
だからこそ、軍隊という異質の場に、親兄弟の意を受けて潜り込むことになっても、必死に、形振り構わず、今日という日まで生き延びてきた。
悪いか、このような男で。
このような男が生きていることは悪であろうか。軍を、部隊を率いることは、間違っているだろうか。
――間違っているようにおもう。
少なくとも相応しいとは思えない。
自分でそう思ってしまうのだから自嘲するしかなかった。
本当に、どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
「マルファと、アドリアンがこんなことは全てやればよいのだ。なのに、マルファの奴が死んでしまうから……くそっ!!」
落ちくぼんでいる眼孔を俺はなぞった。
どうして、こうしていると心が落ち着く。
どんなに長く籍を置いてみても、軍隊での生活には馴染めない。日常的に振るわれる暴力に、武力・指揮能力のなさに付け込まれて、上から求められる袖の下。そんなやり取りを繰り返しているうちに、俺の顔からは余計な肉がこそげ落ち、骸骨のような顔立ちになっていた。
そんなになるまで身をやつしても、妻子は俺のことを心配しない。
いや、いい、それはいいのだ。
あれはあれらだ、何も俺も期待はしていない。
彼女たちのために、生きているなどと思ったことは一度もない。
とにかく……。
「俺は絶対に死なぬ。こんな所で、死んでたまるものか」
アドリアンの分隊が50mまでを開き、マルファの分隊が70mより先を開いたその洞窟を奥へ奥へと進んでいく。マルファが自決したという、小さな間へと出ると、俺は一旦隊の行進を止めさせた。
ここより先は、慎重に進む必要がある。
連れてきたカナリアの出番である。
まず目が合ったのは、一番先頭を歩いていた、皺の深い老人であった。
「……よし、出番だ」
「ひっ、ひぃっ!!」
この期に及んで怖気づいたのか、逃げようとする彼の手を握り返す。幾ら俺が、武人としての才覚がないと言っても、老人に力負けをするほどではない。
捕まえた老人を引きずって、その少しばかり広がった空間へと放り込む。
尻もちをついた彼に向かって、俺はサブマシンガンを向けた。
立ち上がろうとした老人が、向けられた銃口に自分の運命を悟る。カンテラを投げつけると、行け、と、俺は声にドスを利かせて彼に命令した。
土の上に転がったカンテラを手にして老人は立ち上がる。
冷や汗を流しながら、俺たちに背中を向けると、カンテラを手にして奥へと奥へと歩き始める。よし、問題はない。
彼の背中に行軍を再開する。念のため、一人、兵を俺の前に歩かせた。
深度、75m。
深度、80m。
深度、90m。
歩けど、歩けど、バケモノの姿が、俺たちの目の前に現れることはない。
カンテラで、前を照らす老人の悲鳴が聞こえる事もない。
拍子抜けするほどに、その行軍はあっさりと進んだ。
ついに深度95m、という所まで来た。
あと、少しだ――ようやく任務を終えて折り返すことができる。
そう思った時。
「ひぁああああっ!!!!」
その悲鳴は、突然、後ろから聞こえてきた。
不意打ちだった。何が起こっているのか、さっぱりと分からなかった。だが、悲鳴のつんざくような感じから、俺が預かっている兵が何者かに襲われたことではない、ということははっきりと分かった。
連れてきた村民が何かに襲われた。あるいは、暗闇に足を掬われたか。
「静かにしろ、馬鹿野郎!!」
そう叫んで、カンテラを持って後ろへと向かう。
何があったのだろうか、何にしても、大したことではないだろう。一発、村民の頭をはたき倒して、黙らせてやる――。
そう、思っていた。
だが事態は俺が思っているより、生易しいものではなかった。
悲鳴が次々に伝搬する。カンテラが照らし出したのは、ぶよぶよとした、透明の粘膜に覆われて、もがき苦しむ村民の姿だった。
あぁ、あぁ、あぁ。
これは――。
「肥大アメーバ!!」
天井から降り注いだのだろうそれは、急速に、接触した村民を取り込んでいく。
もがく村民が助けを求めるようにこちらに向かって手を伸ばしてきた。
いけない。
肥大アメーバは一度取りつかれてしまえば終わりだ。彼らは、斬っても、叩いても、再生して、取りついたものを溶解して自分の体積を増やす。
殺すには、火炎放射器で殺すしかない。
だが――。
「来るなぁあああああああっ!!!!」
俺はサブマシンガンを、肥大アメーバに向かって斉射した。
パタタタ、という、『晶ガス』弾が奏でる炸薬音と共に、肥大アメーバが飛散し、中に入っている村民の体に、銃弾が撃ち込まれていく。
肥大アメーバに溶かされる前に、絶命した彼は、無念そうに手をこちらに伸ばしたまま、前のめりにその場に倒れた。辺りに飛び散った。
ちょうど、彼が居たのは隊列の後尾。
後ろには3人、連れてきた村民が控えていた。彼らも、俺が放ったサブマシンガンの流れ弾を喰らって――そして、肥大アメーバのしぶきを喰らっていた。
すぐさま、俺は声を張り上げる。
「火炎放射器!!」
「……はい?」
「焼き殺せ!! 肥大アメーバに奴らは取りつかれている!! 浄化しろ!!」
「……えっ、けれど、分隊長」
「けれどもくそもない!! お前ら、死にたいのか!! 肥大アメーバは焼き殺すしかないし、取りつかれたらおしまいだ、それくらいのことは知っているだろう!!」
そして、こういう洞窟の天井に張り付いて、獲物が来るのを待っているのも。
先に進むことを考えるばかりに、当たりのことを確認するのを忘れていた。
失態、以外の何物でもない。
けれども迷っている暇はない。
待ってくれ助けてくれ、と、懇願するようにこちらに向かってくる村民たち。
ためらわず、俺は彼らに向かって、再度サブマシンガンを斉射した。
「来るなぁああああああ!!!!」
死にたくない。死にたくない。俺は死にたくないのだ。
どんなことをしてでも、この洞窟から生きて生還して見せる。絶対に。
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