第27話 カナリア

「正直ついでに申し上げましょう。私は、今回の任務、上手くこなす自信がない」


「正直が過ぎるでしょう。やる前からそのような心持では、上手く行くものも行かないというもの。もう少し、自信を持たれてはいかがか」


「いいや、私はこれまで、後方任務を主としてきた人間です。それは、好んでそうしたということもありますが、自分の能力について、冷徹に分析した結果でもあります。正直、私は軍人として使い物にならない」


 自分のことをよく客観視していると素直に思った。

 いや、それくらいのことが出来なければ、武の才もなく、功もなく、軍隊の中でこの歳まで生き延びることなどできないのだろう。

 ある意味、彼はそこまで自分のことを冷徹に見ることができたからこそ、今の今まで、軍隊の中で自分の立ち位置を見失わなかった。自分の優位性――商家の息子ということと生まれ持った交渉能力――を正しく把握して、立ち回って来た。


 だからこそ、それを真っ向から否定される今回の任務に対して、並々ならない不安を抱いている。そういう感じであった。


 だからと言って、僕が彼に対してどうこうしてやることはできない。

 もう一度言う。


「軍隊において、上官の決定は絶対である。諦められよ。受け入れられよ」


「……やはり、そうするしか、ありませんかな」


「ない、でしょう」


 はぁ、と、甘ったるい息を吐き出して、商家の息子はテーブルに視線を落とす。

 その空になった杯に、隣に座る村娘が酒を注ぐ姿を眺めながら、僕はちびりと唇を密造酒により湿らせた。


 元気を出して、と、村娘が慰めるようにダニイルに告げる。

 そんな彼女を見て、彼は目の端を潤ませた。


 情けなく、人目をはばからず涙をこぼしたダニイル。


「……怖いのですよ、キリエ殿。私は」


 そう言った、彼の表情は驚くほど暗い。

 心の底から怯えているのが、その態度からも伝わって来た。


 その境遇については、素直に同情もしよう。

 だが、やはり恐怖を理由に軍命に背くということはできない。


 名目だけではあるが、一応の上官として、ここは彼に同情を示してはならない場面だ。

 僕は杯をテーブルに置くと、ダニイルを見据えて語気を強めた。


「洞窟の中に潜ることが、それほどまでの恐怖か」


「いかにも」


「アドリアンも、死んだマルファも、それは同じだったはずだ」


「では、貴方も潜られるといい。一寸先にバケモノが居るかもしれない。そんなことを考えながら、暗闇の中を歩く恐怖を貴方はご存知か」


「少なくとも、炭鉱の中を歩いたことはある。バケモノがどうかは知らぬが、カナリアが鳴かなくなった時の背筋が凍る思いについては、実感として知っているつもりだ」


 炭鉱夫として、強制労働を強いられてきたことのことを思い出す。

 バケモノこそ湧くことはなかったが有毒ガスの発生や落盤事故、死はいつでも僕の隣にあった。おまけに劣悪な労働環境は、如実に体を蝕む。


 今、ダニイルが感じている恐怖に近いものを、僕は知っている。

 そう話したつもりだった。


 だが――。


「……カナリア」


「うむ?」


「そうか、カナリアだ!!」


 どうして、ダニイルは僕との話し合いの中から、違う解決策を見出したようだった。

 ただそれは、あまり、手放しに褒められるような内容のものではない。

 そんな風に僕には思えた。


 もしかすると僕は、何か余計なことを言ってしまったのかもしれない。

 密造酒のアルコールにやられて、ついついと、口が滑ってしまったのではないか。不安が、じっとりと、汗ばむように肌にまとわりついてきた。


「死にたくなければカナリアを先に立たせればよいだけだったのだ。あぁ、どうして、どうしてそんなことに気が付かなかったのだろう。私は」


「……ダニイル。貴方は、まさか、何かよからぬことを考えているのではないか」


「よからぬこと、とは? 作戦を実行するために、国民――いや、同志の協力を募ることはいけないことでしょうか?」


「協力ではなく、強要ではないのか。貴方がしようとしていることは」


「それを先にされたのは、他ならない、我らの隊長殿ではないか。なれば、私がすることも、彼女はきっと分かってくれるはずだ……」


 ニーカとはまた違う、邪悪な表情にダニイルの顔が歪んだ。

 生き残りたい、きっと、そんな単純な理由によるものだ。

 銀狼の娘のように、自らが背負う業深い性質によって導き出されたものではない。


 しかし、だからと言って、許される行いではない。

 カナリア――人身御供など。


「となれば、早速人集めだ。ははっ、そう考えれば、話は簡単だ。私には幸い、その手の能力については人並み以上に備わっている」


「考え直せダニイル。そんなことをしては、極東軍の名に泥を塗ることになる」


「泥? もはや、この朱国の軍に、これ以上汚れて困るような場所などありますか?」


 彩国との戦いに参加しておられたのなら、知っているはずでしょう、と、ダニイルは僕を狂気に歪んだ表情で見据えて言った。


 確かにこの国の軍隊に、もう、そんな物がないのは間違いない。

 しかし、だからと言って、そのような愚行を許していいのか。


 テーブルから立ち上がったダニイルは、お代にと、胸から取り出した銀貨を一枚、彼の隣に侍っていた少女の胸へと挟んで渡した。

 そして、もう一枚――金貨を取り出すと、僕に向かってそれを放り投げるようにしてよこしたのだった。


「まさしく、金言という奴ですな。感謝しますぞ、キリエ殿」


「やめてくれ、私はそんなつもりで言ったのではない!!」


「さぁ、急がねばならない。作戦開始は明朝である、それまでに、数を集めなければ」


 十人も居れば事足りるだろう。恩給についても十分、ここで稼いだ金で賄える。

 問題ない、なんとかなる、と、勘定を口走りながら、武功こそないが頭だけはよく回る特務部隊の分隊長は、小屋の外へと出て行ったのだった。


 僕はすぐに彼を追おうと立ち上がったが、深酒がたたった。まともに走ることもできず、ようやく扉の前にたどり着いた時には、彼の姿は夜闇の中に紛れて、見つけることは困難な状態になっていた。

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