第26話 愚痴
マルファの葬儀を行うと同時に、ダニイルの分隊は彼女が進めた深度70mまでの道を整備した。そして、それより奥の攻略は、また明日と言うことで、洞窟から撤退した。
このあたり、流石に後方任務を主とする男は、慎重な行動を取る。
故に、彼が運営している、村外れにある少女たちの酒場は今日も開かれていて、私を初めて、ダニイルの部隊の若者たちが、酒を求めてその場に訪れていた。
ニーカは、マルファの死に対して、やはり深く落ち込んでいるようだった。
彼女は今宵は一人で寝たいと言い出し、僕のことを遠ざけた。
そうなってしまうと、また、どうしようもなく人肌が恋しくなるもので。アドリアンに誘われるまでもなく、僕は一人でこの場所へと向かっていた。
褐色の乙女――アンナの姿は今日はなかった。
頼めば密造酒の入った杯を渡してくれはしたが、付き合ってくれる村娘は誰も居ない。
一人寂しく、僕は酒に唇を濡らして、夜が更けるのを待っていた。
その時だ。
荒々しい音と共に、小屋の扉が開け放たれた。
「糞っ!! あの小娘めっ!! どうして私にこのような任務を!!」
入るなり、忌々し気に叫んだのはダニイルであった。
まずい言葉を聞いた。明らかに、上官を侮蔑する言葉である。
この場に居るのは、彼の旗下にある兵たちばかりだ。また、彼が用意した場である。
そんな状況から、どこか油断して、そんな言葉を口にしたのだろうが――。
よりにもよって、僕もどうして、こんな日にここに飲みに来てしまったのか。
扉を開けたダニイルが、僕に気が付いてぎょっと目を剥いた。落ちくぼんだ、深い隈のある目が見開かれると、彼は突然、あ、いや、と、口ごもり、明らかに動揺した様子で僕の居るテーブルへと移動した。
「キリエ殿。いらっしゃっているのなら、そう言ってくだされれば」
「いや、すまない」
「どうか、先ほどの話は、隊長殿にはご内密に」
そう言って、ダニイルは自分の胸元をまさぐる。
彼はいつもそうして持ち合わせているのだろうか、金貨を一枚そこから取り出すと、僕の手にぐっと握りしめた。
こんな寒村の中にあっては、金貨の使い道などあったものではない。
しかし、街に帰ればいい食事にでも、これで十分にありつけることだろう。
どうかどうかよろしく、と、僕の手を両手で揉みしだくように握るダニイル。小心者で、明らかに武人として大切な矜持が欠落している彼のそのやり取りに辟易としながらも、分かった、と、僕は言って、金貨を自分の懐へと入れた。
ほっとした顔をして、彼は僕の対面へと座る。
得体の知れない僕と違って、この酒場の出資者であるダニイルには、すぐに村娘がやって来て、その隣に座った。彼の好みなのか、胸の大きい娘である。顔の方は、まぁ、目を瞑るとしよう。
「しかし意外ですな。キリエどのが、こんな場所にいらっしゃるとは」
「そうか」
「てっきり、あの少女以外の女に興味はないかと」
「彩国で軍人をしていた頃には、それなりに女遊びはしたのでね」
「なるほど、国は違えど男の欲求というのはなかなか御しがたいものですな」
そう言いながら、胸の大きい娘の股の間に、そっと、手を這わすダニイル。それをすんなりと受け入れる辺り、よほどこの村娘は、ダニイルのことを気に入っているらしい。
たしか、ダニイルは既婚者だったはずだ。
前に、アンナが言った、村の娘たちが求めるものを、彼が持っているとは少し思えぬ。だとすれば、彼はいったいどうやって、この少女に気に入られたのか。
いや、考えるまでもない。
先ほどまで彼の胸の中にあって、今、僕の胸の中にあるもの。
それを使ったに違いなかろう。
羽振りがいいのだ。どこぞの分隊長とは違って。
「しかし、ダニイル。貴方も凄い人だ。このような場を、右も左も分からぬ土地で、それほど日もかけずに作り上げてしまうとは」
「なに、こんなことは慣れっこという奴ですよ。特務部隊に来る前――他の部隊で後方支援の任務についていた際には、もう少し規模の大きいものをやったものです」
「ほう」
「実入りがいいのですよ。やはりね、こういう人の欲望に直結した場というのは」
ちなみに管理売春はこの朱国において御法度である。
色街などにある娼館は、全て、国からの許可を受けて営業しているものであり、その上りの幾らかは、身をひさいだ彼女たちでも店でもなく、国庫へと送られる。
故に、個人での管理売春は、厳しい処断の対象なのだが――。
「あくまで、場を提供しているだけですよ」
必要であれば、もう一枚、金貨を握らせようかという素振りで、ダニイルは僕に向かって言った。
もちろん、こうして楽しませて貰っている手前、ここのことを、ニーカに対してどうこうというつもりはない。それに、先ほどの不敬な言葉も、伝えるつもりはなかった。
安心してくれ、と、僕は彼に対して無言を貫くことで、それを伝えた。
さて。
先ほどの言葉を不問としたことで、妙に心を開かれたのか、ダニイルがため息交じりに僕に愚痴をこぼし始めた。
「どうして私なのだろうか。アドリアンに任せればいいというのに。私が前線任務が苦手であることは、ニーカ女史もよくよく知っているはずだ」
「彼女は言っていたではないか、これは、貴方の武人としての力を示すためのチャンスであると考えろと」
「私はそもそも、武人として身を立てようとは思っていないのです、キリエ殿」
彼が、生家である極東の商家と軍部の橋渡し――悪く言えば癒着――のために、軍隊内に籍を置いている、というのは、以前アドリアンから聞いた話だった。
元から、軍に居る理由が違う人間なのだ。
そんな人間にはたして、死地に赴け、武功を立てろと言って、奮起するものか。
否であろう。
今回の人選ばかりは流石に、ニーカにしてはいささか筋が悪いというか、あまりよくない判断のように僕には思えた。
やはり懲罰目的の任務だろうか。
だとして、彼女は、ここの存在に既に気が付いているのか。
それともまた別に、あの銀狼の娘を怒らせるような行為を、目の前の落ちくぼんだ瞳をした男がしでかしたのか。そこのところはなんとも判別がつかない。
なんにしても軍人は、命じられたそれをやるだけである。
彼もまた、得意とするところ、買われている能力は別として、軍人であることに違いはない。
「正直、気乗りのしない任務です」
「それでもやるのが軍人だろう」
「キリエ殿、役目を代わっていただけませんか?」
「僕は君たちと違って、直属の兵を持たない」
「私の兵なら幾らでもお貸ししましょう」
勘弁して欲しい。
特務部隊内で、最も練度も低ければ士気も低いダニイルの兵である。そんな奴らを上手く扱える自信などある訳もなかった。
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