第15話 腹
ムルァヴィーニの死骸は、合計で三体見つかった。
土中から突き出てきた細長い体躯に似合わず、大岩のような太い胴体を持ったそれを引き抜くのは思いのほか難航した。
匹夫たちは数人がかかりでそれを土中から掘り出すと、申し訳程度に木製の台車の上に載せ、縄で引っ張り洞窟の外へと運び出した。
まだ、アドリアンが預かる兵と、村長たち家族を飲み込んで間もないそれら。
当然のように、人二人分の重量を越える重さがあった。
その重さの正体がなんであるかを、匹夫たちも薄々という様子ではあったが分かっているようだった。
「都合、一匹で二体喰らったことになる。固体『晶ガス』の重さも含めて、大食漢ということができるな、ここのムルァヴィーニは」
「よほど外敵となる種が居なかったのでしょう」
「では、これより奥にバケモノは居ないと言うのか、キリエ」
「それは分かりません」
ただ。
この洞窟近辺に居る者たちの中で、一番のバケモノは、僕の目の前に居る銀髪の少女に違いないだろう。
それを思いながらも口に出せないのがなんともはや、歯がゆい。
言葉に表すことのできない気持ちが表情に現れていたのだろうか。
僕の顔を見るなり、ニーカは歯をむき出しにして笑う。今更そんなことを驚くのか、とでも言いたげであった。
暗澹とした気持ちで僕はムルァヴィーニの死骸に視線を向ける。
黄土色をした色素の薄いそれは、確かに身動きをしていなかった。これが幼虫であり、十分な栄養を摂取すると土中で繭を作り、羽虫になるというのだから驚きである。
大きさ、そしてその食性こそ大きく変質してしまったが、その根源的かつ本質的な所は、元となったアリジゴクと変わらない。
つくづく固体『晶ガス』が生態系に与える影響の大きさが深刻であるか。
それを防寒具として加工して着こみ、弾丸の火薬の代わりにして封入する。
軍事力として利用することが、この国では――いや、この国だけではなく世界中でまかり通っている。
はたしてそんなことをして大丈夫なのだろうか、などという不安が、頭の中を過った。それが軍規であり、世の流れであるからから仕方ないにしても、一度抱いてしまった、明確な根拠ある不安を、簡単に拭うことはできそうにない。
僕の不安をよそに、ふと、また、いいことを思いついたという感じに、ニーカの顔が歪に曲がりくねった。どうしてこの悪魔は、悪事を企む顔つきすらもおぞましい程に美しい。
彼女は、疲れ切って意気消沈している匹夫たちに向かって言った。
「そのバケモノが息を吹き返すかもしれない。腹を裂き、内臓を引きずり出しておけ」
うげ、と、誰ともなく呟いた。
その言葉を銀狼の娘は聞き逃さない。
誰か、文句のある人間が居るのか、と、彼女が匹夫たちを睨みつけると、彼らは口を噤んで黙り込み、一様に下を向いた。
その腹の中に何が潜んでいるのか、何が出てくるのか。
彼らはもうすっかりと分かっている。
そして、それを承知で彼女は言っているのだ。
「そこまでしなくても、頭を潰すだけでよいのではないか」
「いや、腹の中まで割かねばならない。キリエ」
「どうして」
「でなければ、せっかくの彼らの国家への忠節に、報いることができない。哀れだと思わないか、このまま、得体のしれないバケモノの腹の中で死に絶えることが」
道理は通っている。
だが、ならば最初からそのような歪んだ忠節を、彼らに示させなければよかっただけではないだろうか。何を言っても、この銀狼の娘は聞かないだろう。
諦めたように僕が溜息を吐き出したのと同時に、匹夫たちはしぶしぶという感じに、バケモノのの体に刃を突き立て始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
マルファ・ロシュコヴァの分隊は、熱心な女性戦士により構成されていた。
それは彼女が望んだことでありニーカが承認したことであった。
二十九歳にして、女性としては類まれなる前線指揮能力を発揮するマルファは、極東軍内でも重宝されている人材であった。そんな彼女を、口説き落として、ニーカは特務部隊へと招き入れた。
彼女のお気に入りの部隊である。
いったい、マルファの何がそれほど気に入ったのかは分からない。
ただ、彼女が優秀であることは間違いなかった。もちろん、アドリアンも武官として文句のつけようがない人材であることは確かだが、彼女が時に見せる目を抜くように鮮やかな采配と機転の前には、一等劣ると言わない訳にはいかなかった。
マルファが、ニーカに呼び出されたのは、ムルァヴィーニの死骸の運び出したが、完全に終わってのことであった。
「キリエ、今夜は私の相手はいいわ」
そう言って、マルファを自室へと引き入れたニーカは、彼女と何やら親し気な密談を始めた。
その艶やかな声に耳をそばだてるほど、下種た趣味は持ち合わせていない。
僕はニーカに部屋を追い出されたのをこれ幸いとばかり、溜息を吐き出して彼女たちの居る部屋に背を向けると、本来自分にあてがわれている小さな部屋へと入った。
村長の次男坊が使っていた、小さな部屋である。
自由人を吹聴するだけはあったのだろう。壁にはこの国の文化主流とは違う、いわゆる禁書に属する本が数冊あった。
だが、頁の端の擦れ具合を見るに、ろくに読まれていないのはあきらかだった。
「……寝るか」
一人寝る夜の寂しさなど久しぶりである。
寂しい、と、あんな残虐な少女でも、離れてしまうと思うのだから、滑稽なようにも思う。
なんにしても、今宵は獣ののように、疲れ果てて眠ることなど無理そうであった。
ムルァヴィーニの腹の中から出てきたそれを見た者たちには、辛い夜だろう。きっと今頃、多くの匹夫たちも僕と同じ後味の悪さを感じて、この夜を過ごしているに違いない。
傍にいてくれる人が居るものは幸せなことだろう。
ふと、今のこれはまた、彼女に余計な口出しをした僕への罰ではないかと思えた。もし、そうだとすれば――これが、あの悪女の企みであるならば――、いよいよ、『偉大なる同志』の第十三女は悪魔と評するしかないだろう。
いや、それ以上か。
夜の静寂が辛いとこんなに強く感じた夜は、久しぶりであった。
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