第16話 夜半

 夜もとっぷりとふけた頃である。

 不意に僕の部屋にノックの音が響いた。


 とても眠る気にはなれなかった僕は、すぐにそのノックの音に気が付いた。

 ニーカが立てるにしては控えめな音であった。


 慇懃無礼、というより、この隊内はもとよりここ極東の地にて、礼を尽くす相手を持たない彼女である。誰に遠慮なぞする必要があるだろうか。

 もう少し、荒いノックを彼女であればする。というよりも、して来る。それは過去の経験から言って間違いのないことであった。

 で、あれば、いったいだれか。


 扉を開けるとそこには、意外な人物が立っていた。

 赤毛の短髪をした我が特務部隊の分隊長――アドリアン・ロバノーフである。


 何用だろうか。

 彼が僕の部屋を訪れるとは珍しい。


 いや、違うな。

 そもそも僕が自室に居ることの方が珍しいのだ。

 あの淫蕩なる『偉大なる同志』の第十三女のせいで、僕の朱国での夜が落ち着いたものであったことは一度たりとてなかったからな。


 もしかすると、僕が知らなかっただけで彼はたびたび、こうして夜中に僕の部屋を訪れていたのかもしれない。

 ただ、それにしても理由がさっぱりと分からなかった。


 戦場――つい先ほどまで行われていた、ガス田の探査の際――と変わらぬ緊迫した顔をして、彼は僕を睨みつけてきた。


 何が言いたいのか、その沈黙と、その表情から意志を察することは難しい。

 もしそれができるのであれば、僕は主人が行う残酷な悪戯の裏に隠されている真意を察して、人知れず森の奥で首を括っていることだろう。


 つくづく、そのようなことに頭の巡らない男でよかったと思っている。

 だが、今回ばかりは少しその鈍さが恨めしくも感じられた。


「何か用か」


 一応、ここは幼き少女が率いている特務部隊ではあるが、軍隊であることに違いはない。そして朱国出身の人間ではないが、僕が彼よりも立場的に上の地位にあることもまた、間違いのないことであった。

 無言で睨みつけられるような礼を失した行いをされる言われはない。

 そして、旭国の人間であるから――本来であれば奴隷の身分であるから――と言って、卑屈になるつもりもなかった。


 もとより、彼にしても、そのような意図でこの部屋を訪れたつもりはなかったらしい。


「……風の噂に、夜の任務を解任されたと聞きました」


 いかにも武人然としているアドリアンの、やけに遠回しな気の利かせ方に、僕は少し不思議な感情を抱いた。


 彼のような男でも、一応、上官に対して言葉を選ぶのか。

 それにしても、その言葉を使うのはどうなのか、とも思った。

 やはり僕はこの男に侮られているのではないのだろうか、そんなことを考える僕の前で、精悍な体つきをした朱国軍人の彼は、背筋を伸ばして言葉を続けた。


「ついては、同じく昼の任務を解任されたものとして、腹を割った話がしたい」


「……なるほど」


 言葉を選ぶのが意外なように、この男に悩みというものがあるのが、僕にはいまひとつ信じられなかった。だから、この夜半の来訪についつい身構えてしまったが。


 つまるところ、彼は、上官である僕に対して、ガス田攻略部隊の任を解かれたというところの真意について、相談しに来たということであろう。


「とはいえ、この部屋はゆっくりと話すのには適していないだろう。我が部隊を率いている、『偉大なる同志』の耳に、ともすると入るかもしれない」


「……キリエ軍曹は、女遊びは嗜まれるか」


 嗜む。

 いや嗜んでいた。


 奴隷として、この部隊の隊長に飼われる前には、少なくとも、軍属の男として恥ずかしくない程度には、僕も彩国の色街で男を磨いていた。

 隠してみたり、取り繕ってみたところで、それはどうしようもない事実だ。


 しかし、いきなりそんな話を持ち出してきてなんだというのだろう。

 こんな裏さびれた寒村で、その話をしてみた所で、向かう先などあるはずがない――。


 いや、そうでもないか。


 あぁと答えると、アドリアンは、少しだけ心を許したような顔をして、口の端を揺らした。

 感情表現が乏しいというより薄い男であるが、ようやくその意思が伝わって来た。


「大っぴらには言えぬことではありますが」


「うん」


「モニソフの部隊が、村娘を集めて協力を要請しているようです」


「場所は」


「村はずれの穀物庫にて」


 どうしようかとしばし逡巡した。

 僕は確かにニーカに飼われている狗ではあるが、別に鎖で繋がれている訳ではないし、彼女に逆らうことをしない忠犬でもない。

 そも、彼女のために忠節を尽くす義理が、果てしなくあるということもないだろう。


 事実ニーカは、僕を放り出し、マルファと共に居ることを今宵選んだのだ。

 意趣返しにそこに行くことも許されるのではないか。


 忠犬に噛まれる痛みを、少しは銀狼の娘も知った方がいいのではないだろうか。

 だが――。


「やはり、『偉大なる同志』の第十三女殿に忠節を尽くされるか」


「忠節というより、恐れだろう」


 そのような場に僕が出向いたと知られて、どのような報復が果たして返って来るのか。

 それを考えると、うん、と、すぐに縦に振ることは出来なかった。


 我がことながら実に情けのない話である。


「軍曹、女を抱くは軍人男子たるものの嗜みでしょう。であれば、『偉大なる同志』の第十三女殿も、風聞にモニソフたちのことを知りつつも見過ごしている」


「しかし、僕が通ったとなれば、話は変わってくるだろう」


「それほどまでに、貴殿はあの少女に気に入られると自惚れておられるか」


 これあ明らかな挑発であった。

 ここまで言われてしまっては、まぁ、仕方がないだろう。


 どこぞの娘のように、侮蔑への報酬として、弾丸をその胸にくれてやるのも良いかと思った。だが、ここ数日の作戦行動で疲れ果てている彼だ、不器用な言葉を選んでしまったのだろうだろう。

 なにより――。


「分かった、行こう」


「……そうでなくては!!」


 アドリアンに指摘された通りである。

 ニーカが僕の背信に激怒するであろう、という考えは、ただの、僕の自惚れにしか思われなかった。


 彼の銀狼の娘はそのようなことを歯牙にもかけない。

 問題ないだろう。

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