第13話 夜明け
翌朝。
鳥も鳴かぬうちから寝床より起き出した僕とニーカは、軍服へと着替えると、供も連れずに件の洞窟へと向かった。
夜の帳が、暗闇と共に大気中の穢れを落としたのだろうか。
それとも獣のようなまぐわいの後の余韻からだろうか。
昨晩のうちに降った新雪が薄く膜を張るようにして降り積もった林道を抜けている時、妙な落ち着きを僕は感じた。
これから、あの哀れな村長の家族の末路を確認しに行くというのに。
「さて、何人生きているだろうか」
「……生き残ると思っていたのですか」
「全員食い殺されては面白くないだろう。それに生き残った方が面白い」
何が面白いのか。
さっぱりと分からず僕は途方に暮れた。
銀狼の娘の、くすんだ銀色の髪が揺れる姿を見ているより、まだ、雪に彩られた深緑の森を眺めている方が、幾らか気分がまぎれる気がした。
まるで、ニーカは自分の行いを、この国の意志であるように語る。
だが、果たしてこんな行いがこの国の意志なのだろうか。だとしたら、なんと残酷で悪趣味な国なのだろうか。
旭国で風聞を耳にしていた。
朱国は国民の自由と安寧のために、彼ら自らが立ち上がり、鋼の意志によって築き上げた強き国であると。それとあまりにかけ離れた、この国の実態――行き過ぎた懲罰主義と全体主義――が、今更僕は信じられなく思えた。
いや、そんなもの、とっくの昔に知っていたはずだ。
彩国で行われた虐殺と略奪からして、戦争の狂気の言葉で片付けられるものではなかったのだから。戦争法を大きく逸脱した、興奮する思想なき兵たちの群れをして、兵力単位として運用する彼らを、どうして、まともなどと思えるのだろうか。
そして、その上に立っている『偉大なる同志』の娘も。
「賭けるかキリエ」
「賭博は怠惰の象徴でしょう。特務部隊の長として、発言には気をつけられるべきでは」
「そう言うな。悪徳は甘美なる娯楽。これを御すこともできぬものに、人の上に立つことなど務まらない」
そして何より、金銭をかける訳ではないのだ。
ただどちらの読みが正しいか、それを競おうと言っている、と、ニーカが笑う。
奔放なる銀狼の娘は黄金色をした瞳に朝日を煌かせると、僕にその冷たい微笑みを向けた。朝の寒気に上気もせず、冷たいままの白い頬が、また、眩しい。
「私は村長の長女一家が生き残っているだろうと思っている。あれは、そういう恥知らずの顔をしている」
「小便を垂らした息子に、食われろと言ったのは貴方だ」
「しかし、穴が空いた瞬間に、あの狡猾なる長女は、長男夫妻の娘をそこに放り込むだろうよ。そうして、自分たち以外の人間を犠牲にして、彼女はあの洞窟の中で生き延びるだろう――きっと、そうに違いない」
どうだろうか。
果たして朱国の恥知らずの娘が、どのような行いに走るのか。
それを判断することができるほどに、朱国の風俗や倫理観にも、彼ら村長一家の行動原理についても、僕は詳しくなどなかった。
僕が答えを返さなかったことにより、賭けは不成立となった。
◇ ◇ ◇ ◇
果たしてニーカの予言は的中した。
ほの暗い洞窟の中に生き残っていたのは、長女とその息子、そして、彼女を激しく怨嗟の念を込めて睨みつける、長男の嫁であった。
三十過ぎくらいだろう、栗色をした巻き毛の女は、手の中に血まみれになった少女の服を胸に抱いていた。おそらく、穴から這い出てきたムルァヴィーニに目をつけられ、襲い掛かられた娘を、どうにかして助けようと足掻いた結果なのだろう。
その指先は娘の血と自らの血によって赤黒く染めあがっていて、そのうちの何本かは欠損しているようだった。
長女は、そんな怨嗟の籠った義姉の眼差しを一切見えないとばかりに無視をして、暗闇の中に膝を着いて、澄ました顔をしていた。
生き残ったことを、安堵している風ではなかった。
だが、罪の意識に苛まれているという風でもなかった。
不気味に、ただ、彼女はその場に座って、僕たちが戻ってくるのを――解放されるその時を待っているようだった。
一方で、彼女の息子は気がどうかしてしまったらしい。光のない瞳で、呆然自失としてその場に膝を抱えている彼は、痙攣するように、小刻みにその肩を震わせていた。
つい先日まで一緒に遊んでいた、あるいは生活を共にしていた、同年代の少女。それが無残にも死んだのだ。
それも、彼の母親の手引きにによって。
多感な年ごろの少年が受けた、精神的な衝撃は相当なものだろう。
その母親が犯した業については同情の余地はないものだが、彼が置かれてしまった境遇については、いささか同情を禁じ得なかった。
三人を前にして、ニーカが邪悪に微笑む。
「……よく生き残った。貴殿らの自らの身を顧みない国家への献身によって、我が部隊はこれより先に進むことができる。その行いに報いるために、貴殿らの家長が犯したガス田隠匿の罪については、今後一切不問とするとしよう」
手ずから、縛られたロープをナイフで切って、彼女たちを解放するニーカ。
さぁ、村へと帰るがいい。
そう彼女が声をかけると、村長の長女はなんでもない風に立ち上がった。
糞尿にまみれた愛しい我が子をその胸に抱きあげる。
乳飲み子というにはいささか無理のある、ほどよく肉付き、成長した彼を抱きかかえるのには、相応の力が行ったことだろう。
あるいはそうして虚勢を張ることで、その身に受けた屈辱を、少しでも和らげようと思ったのか。なんにしても、意味のない行いには、間違いなかった。
悠然とした感じに洞穴から出て行く村長の長女たち。
その背中を眺めながら、ニーカは長女の嫁の手を縛り上げている荒縄をナイフで切り裂くと。さぁ、と、その柄を返して、彼女へと握りしめさせたのだった。
「娘を助けようとしたのだな。同じ女として、その慈愛には敬服する。貴殿の娘に対する深い娘への想いに感服してこのナイフを授けよう」
そして、彼女の耳元に唇を添えて、そっと彼女は囁く。
「この洞窟は暗い。ここに来るまでの道中、見落としたかもしれぬが、人を襲うバケモノが他にも潜んでいるかもしれぬ。帰る際にはせいぜいと気を付けることだ――」
生気のなかった長男の嫁が、その言葉と共にふらりと立ち上がった。
そして、長女の姿が消えた外へと続く穴の中へと――いささか早足で、彼女は歩み出したのだった。
余計なことを言い含める。
本当に、この少女のすることは、残酷で悪趣味だ。
しばらくして洞窟内に女の叫び声が木霊すると、彼女は手を打って喜んだ。そうでなくては、そうでなくてはな、と、ほの暗い洞窟の中で、彼女はその汚れた銀髪を揺らして、自分の計略の通りに事が済んだことを声を上げて喜んだ。
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