第12話 生贄

 ムルァヴィーニは相応の知性を持っているのだろうか。

 それとも、単に生存本能的なものなのだろうか。


 彼らは動かなくなった次男坊に、まず、真っ先に襲い掛かった。


 カンテラに照らし出された床に突如として、直径50cm大の穴が空いたかと思えば、その中に次男坊の体が吸い込まれる。

 ついでに、彼の隣に繋がれていた、世話役――ということになっているが、村長の愛妾がその穴の中に体の半身を引きずり込まれた。


「あぎぃぁああやぁああだぁあっ!!!!」


 呂律の回っていない叫び声が洞窟の中へと響き渡る。見れば、股より下を引きちぎられて、小腸をこぼした世話役の女が、穴の前に横たわっていた。


 歳の頃にして、二十ちょっとだろうか。

 花盛りを少し過ぎたくらいの娘の顔が、狂乱と穴という穴から出た水で、ぐちゃぐちゃになって塗れるのには、目を覆いたくなるものがあった。


 同時に、少女たちが自分たちの置かれた身の異常さに泣き声を上げた。

 大人たちもまた、自分たちに課せられた、あまりに大きく残酷な罰に気が付いて、驚愕にその目を剥いた。


 懇願する時間もなければ、それを受け入れてくれる相手も居ない。

 大人たちの視線が向いた先に立っていたニーカは、まるで、観劇でもしているかのように、手を叩いてその光景を眺めていた。

 釣り上がった口元、目元から、彼女の内に宿っている狂気が滲み出ていた。


 救いはない。


 すぐに、穴の中から、二体目のムルァヴィーニが姿を現した。半身になった、村長の愛人に向かって口を開いたそれは、上顎と下顎でそれを粉砕しながら咀嚼していく。


「見ろ、見ろ、キリエ!! ムルァヴィーニの食事の光景だ!! 滅多に見られるものではない!!」


「……わざわざ見るようなものではないでしょう」


「中央に戻ったら、是非お父様に教えてさし上げなければ!! ムルァヴィーニがどのようにして、人を喰らうのかを!!」


 頭まで、村長の愛人を喰らいつくすと、満足したのだろうか、その巨大なアリジゴクは姿を再び暗い穴の中へと消した。


 果たしてこの広間に、いったい何匹のムルァヴィーニが潜んでいるかは分からない、

 また、致死量の固体『晶ガス』が、どれほどの時間を経て彼らに効いてくるかも、定かではない。


 阿鼻叫喚の地獄のこの光景をいつまで見続けなければならないのか。

 思わず、惨状に目を覆いそうになった所に、ニーカが唐突に僕へ向かって言った。


「もう一人、ムルァヴィーニに人が食われるのを見たら、私たちは戻るとしよう」


「……何故?」


「キリエ。私たちの時間の損失は、国家の損失である。このような酔狂に、いつまでも私たちが関わり煩っているのは、看過できない国家への反逆である」


 と言って、彼女は口角を吊り上げる。

 その視線はそう言いながらも、ちっとも哀れな村長の縁者たちから離れていない。


 酔狂を心の底から楽しんでおいて、それを時間の無駄と言い捨てる。

 どうして、この残酷な少女は、冷徹でいて現実的なのだろう。


 薄ら寒いものが肌を走る感触。

 自分とはあきらかに異質な存在である、目の前の銀狼の娘の姿に、僕はどのような言葉を返していいか分からなくなってしまった。


「さぁ、次は誰を喰らうのか。ムルァヴィーニ。私としては、その、小便を漏らしている少年が、無残に食われる場面に立ち会いたいぞ」


 それまで、憮然とした表情を作って黙り込んでいた長女の息子は、その場にへたり込むと、その股の間から黄金色の液体を漏らした。


 さぁ、さぁ、と、絶叫するニーカ。

 しかし、次にムルァヴィーニが襲ったのは、一家の先頭を歩いていた男――村長の長男であった。


 穴の中に突如として消えた彼。

 なんだ、つまらない、と、あまりにも酷薄な感想を呟いて、ニーカは村長一家に対して背中を向けたのだった。

 本当に、彼女は口にした通り、この場から離脱するつもりだ。


「アドリアン!!」


「はい」


「明朝まで交代で見張っていろ。生き延びた者たちの罪は不問とする故」


「……生き残るとお思いですか?」


 さて、と、アドリアンの問いかけに、ニーカはしらばっくれる。


「それは固体『晶ガス』の効き具合、あとは、ムルァヴィーニの腹の具合によるところだろう。私の預かり知るところではないよ」


 行くぞ、と、ニーカは僕に声をかけると、洞窟をカンテラを手にして歩き出した。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 人の死を見るという非日常な行為に、ニーカの感情は大きく昂っていたのだろう。

 村長の家へと戻り、私室へと戻るや否や、僕は彼女に体を求められた。


 激情家である銀狼の娘は、激しく抱かれることを欲する。

 この行為の時ばかりはただの男と女という立場に戻り、僕たちは原始的な人間の生存欲求に浸ることを楽しんだ。


 彼女は僕の肩にかぶりついた。

 何度も何度も、血が滲み出るほどに。


 それは、ニーカが行為の時に気まぐれに見せる癖である。

 時に、彼女はその悪辣なる口を使って、僕へ奉仕をすることがあったが、その時に、もしこの調子で噛みちぎられてはと考えてしまうことは、何度となくなった。

 もちろん、そんなことを彼女がすることはないだろう。


 僕はこの、彼女の密やかな享楽のためだけに、飼われている人間なのだから。


 行為を終えて、白いシーツの上に裸体を沈めたニーカ。気を失った彼女が、静かに寝息を立てている姿を、僕はぼんやりと眺めていた。

 曇った銀色の髪をした少女。

 彼女は眠っていれば、可憐な少女以外の何物でもない。


 いっそこのまま、その首を僕の手で絞めてしまえば、何もかもが幸せになるのではないのだろうか。そんな思いがふっと頭の中を過る。


 よそう。

 上官殺しは極刑である。それも、このような関係の末に行ったとなれば、恥もへったくれもない。なにより、『偉大なる同志』の第十三女を相手に、そんなことをして、この朱国で生きていくことなどできないだろう。


 この地獄の中にとっぷりと漬かり込んでしまったからには、もう、僕は、最後まで彼女に付き合わなければならないのだ。

 彼女が僕に飽きて、その胸中に忍ばせている、小さい銃を向けるまで。


 死に場所は、ほの暗い人売り小屋の中ではなかった。

 けれども、それを選ぶことさえも、今の僕には許されない。


 どうしてニーカが僕を買ったのか。

 そうすることでどうしたかったのか。

 何故だかその時、分かったような気がした。

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