第10話 問責

 アドリアンの分隊が兵を二人失って戻って来たのは、彼が指示した二刻をちょうど過ぎるかという頃だった。


 村での野営準備と宿泊施設の接収を、他の分隊に指示したニーカは、徐々に翳ってくる日の中、洞窟の前で彼らの帰還を待っていた。

 ちょうど、そんな彼女を気遣って、俺が珈琲を淹れたタイミングの出来事だった。


「アドリアン小隊、帰還しました」


「ご苦労。少し、早いな」


「申し訳ありません。深度50mにて、ムルァヴィーニと遭遇。探索は困難と考え、独断ながら撤退いたしました」


「……ふむ」


 ニーカは黙り込んだ。

 自分の命令を忠実に守らなかった兵を咎めようというのか――。


 その不気味な沈黙に、アドリアンが明らかに息を呑んだのが目に見えた。


 彼の判断は間違っていないように僕は思う。

 ムルァヴィーニ、いわゆる、肥大化した蟻地獄との遭遇は、ガス田探索においても危険度の高い出来事だ。また、それが銃弾の通じない相手であること、自分たちの意表をついて現れることを、僕もよく知っている。


 アドリアンは、分隊の被害が最小になるように、最適な行動を取ったに過ぎない。

 それは間違いないことであった。


 彼の考えが分からないほどに、我が主の少女は愚かしいのだろうか。銀色の髪を、川面を凍らせた風に揺らせながら、何やら考えるニーカの言葉を僕はしばし待った。

 果たして、銀狼の娘は、耳元に伸びる横髪をそっと指先で巻き付けると、視線をアドリアンから逸らした。


「ムルァヴィーニが出たのであれば、撤退はしかたあるまい」


「申し訳ありません。隊長」


「いい、許す。それよりも、よく撤退を決断した。英断である、流石だ同志アドリアン」


 どうやら、ニーカはそれを理解したようだった。

 主人がただの暗愚ではなかったことに、僕は内心で胸を撫でおろした。


 しかし――。


「して、どうやって駆除するつもりだ、同志アドリアンよ」


 彼女は撤退という判断を咎めはしなかった。

 だが、洞窟を攻略しろという命令について、撤回することもしなかった。


 あくまで、そのムルァヴィーニを駆除するのは、貴様の仕事である、と、彼女は言いたげにアドリアンに視線を向けていた。


 アドリアンが難しい顔をして固まるのが見えた。

 ボロボロになった服を着た兵の一人が、ニーカの言葉に顔を青ざめさせている。すぐに、その兵は、発狂したような声を上げて、その場に転がった。


 見れば軍服の消耗が激しい。おそらく、断熱材として軍服内に充満されていた、半固体半蒸気の状態にある『晶ガス』が、全て漏れ出てしまったのだ。

 それにより、外気の刺すような寒さに曝されることになった彼は、今更、我に返ってそんなつんざくような声を上げたのだ。


 ニーカの怒りが彼へと向く。

 腰のホルスターに手が伸びようとしたところを、僕が慌てて止めた。


「……隊長。それは死線を越えて帰還してきた兵に対して、あんまりの仕打ち」


「死線を越える前に戻って来たのだろうこやつらは。だからこうして生きている」


「悪戯に人心を離れさせることはありません。ここはひとつ、寛大な心で許しを与えてやるべきかと考えます」


「許すも許さないもない。命令は絶対である」


 何故、のうのうと生きて帰ってきたとは言わない。

 命令を遂行できるのであれば、枝葉末節には目を瞑ろう。しかし、一度それを命じたからには、それを遂げるのは責務である。


 ニーカは金色をした彩光の中に広がる瞳孔を細めて僕を睨みつける。

 その瞳には息を止めるような凄みがあった。


 実際、喉の奥に引っ込みそうになったそれを、僕は意識して吐き出す。高ぶる、銀狼の娘を睨み据えて、真っ向から、僕はアドリアンを擁護した。


「ムルァヴィーニには通常の『晶ガス』弾は効かない。少なくとも、貫通力のあるライフル弾、あるいは、徹甲弾の用意が必要だ」


「そんなことは知っている」


「それでなくても、ムルァヴィーニは土中をすばしっこく移動する。その出現場所を予見して、銃弾を浴びせかけるのは困難だ」


「困難とは超越するために存在する」


 お前は哲学を理解しない無学の徒か、と、ニーカが僕を睨んできた。

 いつになく感情的になっているように思える。そこまで、自分の命令の通りに、事が運ばないことが腹立たしいのだろうか。


 子供か。

 いや、実際にそうなのだろう。


 実年齢については、幾ら聞いても教えてくれない彼女だが、見た目からそれは確認するまでもない明らかな事実である。そんな小娘に、どうして軍籍と権限を、この国を指導する『偉大なる同志』は与えたのか、はなはだ疑問に感じる。


 なんにしても。

 幾ら言っても、ニーカはアドリアンに向けて発した、困難な命令を撤回するつもりはなさそうだった。


 どうしたものか。


 僕が困り果てた時だ。


「方法はあります」


 庇ったはずのアドリアンが、突然そんなことを言い出した。

 どうやら、彼はこの我儘な『偉大なる同志』の第十三女を説き伏せるだけの、十分な材料を持ち合わせた上で撤退してきたらしい。


 あるいは、このやり取りの中で、見出したのだろう。


 ほう、と、それまで不機嫌だったニーカの顔に喜色が戻る。

 僕と彼女は静かに、アドリアンの口がその方法について告げるのを待った。


「ムルァヴィーニとて生き物です。致死量の固体『晶ガス』を与えれば、その毒性に当てられて死に絶えるはず」


「……面白い。『晶ガス』にて変異したバケモノを、『晶ガス』にて殺すというのか」


「はい」


「しかし、どうやって食わせる。毒と知って喰らうような阿呆なら、奴らは我が分隊を潰走させるだけのバケモノではあるまいて」


 悔しさを口の端に滲ませて、アドリアンが眉を寄せる。だが、ニーカの皮肉に心を乱すことなく、彼は次の言葉を続けた。


「毒は古来より食事に混ぜて与えるものです」


「……ほう」


「豚でも、犬でも、なんでもよろしい。『晶ガス』を巻き付けた家畜を、洞窟に放ち、ムルァヴィーニへ喰らわせるのです。それで、ムルァヴィーニは死ぬ」


「……面白い」


 ムルァヴィーニは、罠にかかった獲物を丸のみにする。それは、裏を返せば、致死量の『晶ガス』を、確実に食らわせることができるということでもあった。


 気に入った、と、そんな塩梅に、ニーカが微笑んだのが分かった。

 だが、と、彼女は続けて邪悪にその顔を歪ませた。


「少しばかり興が足りない」


「……はぁ?」


「アドリアン。発想は悪くない。だが、もう少しばかり、貴方には遊び心が必要ね」

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