第8話 暗中に潜む

 カンテラは、白く洞窟の中を照らし出していた。

 熱エネルギーへの変換効率は高い『晶ガス』ではあるが、光エネルギーへの転換効率は言うほど良くはない、と、かつてウリヤーナから聞かされたことがある。


 それでも使うのは、ここが『晶ガス』に不自由しないガス田だからである。


 万に一つでも燃料切れを起こしたとしても、補充することができる。

 もっとも、100mもない洞窟を探索するのに十分な『晶ガス』を封入してきてはいるが。


 ただ、それでも奇襲を受けた時のことを想定して、カンテラは二個用意した。

 よほど厄介なモノでも洞窟の中に潜んでいない限り、また、隊員の誰かがヘマでも起こさない限りには、十分な装備だとは思っている。


 しかしながら、何が起こるかは分からない。

 油断と慢心こそは軍隊行動において、最も抱いてはならない感情である。

 特に俺のような兵を率いる立場の人間の慢心は、思いがけない事態を招く。


 最も恐れるべきは肥大アメーバだろう。

 一人に天井を照らさせ、もう一人に前方を照らさせながら、俺たちは、奥へ奥へと慎重に洞窟の中を進んだ。


 入ってすぐの場所は、村民たちが固体の『晶ガス』を採取するために出入りをしていたためだろう、比較的入ってすぐの場所は踏み固められていて動き易かった。

 おそらくその余地がなくなった辺りからが本番である。


 二十メートル進んだあたりからだろう。

 足元に軍靴で踏んでもそれと分かる、岩や小石が多く転がっているようになった。


 軍靴の音も高く響くようになり始める。


「皆、そろそろだ。気を引き締めるように」


 兵たちは無言で頷いた。

 この場で大声を返すことが余計なことであることを、彼らはよく理解していた。


 安心した様子で、俺は先頭を行く兵が照らす視界へと視線を集中する。


 するとすぐに――うねり、と、天井近くを滴る液体が見えた。


 洞窟内において地下水が染み出ることは珍しくない。

 なにより、この洞窟の傍には凍ってこそ居るが川が流れていた。それと同じ水源がこちらに染み入っていることは充分に考えられる。


 だが、凍らずにうねっているのは、妙である。


「……放射器用意」


 そのうねりがこちらへと近づいてくるより早く、俺は火炎放射器を装備させた兵二人を、カンテラを持つ兵の前へと展開させた。


 てぇ、と、俺の号令と共に、兵が火炎放射器の銃口を引いた。

 『晶ガス』とは違う『可燃ガス』が勢いよく噴出されると、噴霧口に取り付けられた火打石が爆ぜ、それが着火する。


 天井に向かって、二つの火柱が立ち昇った。

 かと思えば、天井にうねっていた粘質の液体が、瞬く間に焼き尽くされる。


 一、二、三、四、五。

 心の中で数えてから、俺は、やめ、と、声を上げる。


 その言葉と共に、展開していた兵は火炎放射器のトリガーから指を離す。紅色の火柱は姿を消して、代わりに、黒焦げになった粘質のそれが、ぼとり、と、天井から剥がれて落ちたのだった。


 肥大アメーバに間違いなかった。

 おそらく帰巣しなかった白鳩だろう。黒く焦げた鳥の姿が、その中に見られた。


 あの少女の勘は見事に当たっていたようだ。

 やれやれと、俺はその場でかぶりを振る。


「近くにまだいるかもしれない。くまなく探せ」


 カンテラの光が洞窟の天井を、床を、壁をくまなく照らし出す。

 三十メートルを進んだくらいだろうか、まだ、百メートルには程遠いというのに、早速肥大アメーバと遭遇するとは、厄介なものである。


 この先、いったい何体のそれが潜んでいるのか。


 帰って来た鳩は七匹だと、あの少女は言っていた。

 少なくとも三体、アメーバないしは、それに匹敵する脅威が、この洞窟の中には潜んでいるに違いない。


 と、その時。


「……伍長」


「なんだ」


「前方に動きが」


 そう言った時には、既に遅かった。

 黄金色をした羽根を広げて、こちら――正確にはカンテラから発せられる光に向かって――飛んでくる巨大な節足動物の姿。

 一つ二つではない、群をなして飛ぶそれに、俺は一瞬判断が鈍った。


「タラカーン!!」


 すぐにその一匹が、カンテラを持つ兵へと飛びついた。その小さな口をもごつかせると、『晶ガス』を封入した防寒用の軍服の上から、勢いよく噛みついてくる。

 『晶ガス』特有の、焼けつくような甘い匂いが辺りに立ち込めた。


 かと思うと、わぁ、と、兵の叫び声が洞窟の中に反響する。


 タラカーン――固形『晶ガス』の影響により、巨大化したアブラムシ――に飛び掛かられた彼は、完全に自分を見失っていた。


 落ち着け、と、俺は兵に声をかけながら、冷えた頭で作戦行動を考える。

 ここで隊長の俺が思考停止をすれば、この部隊はそれまでである。


 この人間の頭くらいまで肥大化した、醜いアブラムシに内臓まで食い殺されて、惨めな死を迎えることになる。


 そんな死に方はごめんだ。


「火炎放射器、前方に構え!! 飛来するタラカーンに遠慮なく浴びせかけろ!! その間に後方に三名、サブマシンガンの掃射を準備!! 『可燃ガス』も、『晶ガス』弾も希少だ!! 慎重に使え!! 十分にタラカーンを引きつけて、効率よく駆除しろ!!」


 もう一つ、天井を照らしているカンテラは、そのままにさせた。

 タラカーンは光を求めて飛来する性質を持つ。カンテラによる光源は、おびき寄せる格好の材料である。


 理解しているのだろう。襲われなかったもう一人の兵は、それを持ったまま、飛来するタラカーンの群れを正面から見据えていた。


 わぁ、わぁ、と、喚く声が洞窟内に相変わらず響き渡っている。

 防寒服を食い破ったタラカーンは、狼狽える兵の体に、手当たり次第に噛みついているようだ。可食部がないか、実際に齧ってみないと判別できない辺り、悲しいかな、どれだけ肥大化しても、虫は虫だということを思い知らされる。


 兵の首元に至ろうとしていたそれを、後ろから、抱き上げるようにして引きはがすと、俺は壁に向かって投げつける。


 腰のホルスターから拳銃を抜くと、三発、頭に向かって打ち込んだ。

 羽根をバタつかせながらも、人に危害を加える器官を失ったタラカーン。しばらく、体をばたつかせていたそれは、火炎放射器の代わりに、サブマシンガンの銃音が聞こえ始める頃には、すっかりと動かなくなっていた。


「……分隊長、ありがとうございます」


「いい、それより怪我はないな」


 努めて、平静を装いながら、俺は部下の兵に言葉をかけた。

 思ったよりも、この洞窟の探索は面倒なことになりそうだ。タラカーンが居るということは、それを捕食する大型の『晶ガス』生命体が少なからず居るはずである。


 はたして、無事に百メートル先までたどり着くことが出来るか。

 俺は舌打ちをすると、動かなくなったタラカーンの腹を軍靴で踏みつぶした。

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