第7話 死に場所
軍隊に入ったのは、万が一の際に妹の面倒を見てくれるからだ。
残念ながら、あまり良好とは言えぬ家庭環境に生まれ落ちた俺は、朱国の商社や工場でやっていけるほど、上等な脳みそを教育する機会に恵まれなかった。
当然、そんな人間が呑気に何もせず、また何も考えずに生きていけるほど、俺の家は豊かではなかった。
そして、両親の残してくれた遺産もまた少なかった。
肺病を患った妹を、極東と違って空気の良い中央の病院へと入院させて五年。
年に一度、彼女に会いに行くのだけが、俺の生きがいである。
それ以外には必要ない。
年々、妹の顔はやつれていく。
かつては上等な小麦粉で作ったパンケーキのように柔らかかった彼女の頬。
しかし、最後に会った時、そこには角ばった骨が浮き出ていて、俺はしばしの間、彼女のことを正視することができなくなってしまった。
妹の肺に巣食った病は重く、簡単に快癒するものではないのは明らかである。
緩やかに、そして確実に、死は、彼女の背後へと迫っている。
あと、何年、彼女は生きられるだろうか。
分からない。
彼女が死ねば、俺は軍を辞めるのか。
それも、分からない。
ただ、既に退役した同僚――同郷の一つ上の優男で、下士官になるのを蹴った――が始めた極東の民間警備の会社に来ないかと誘われているが、どうにも、俺にはそんな風に働く自分の姿が、想像することはできなかった。
妹のことがあってもなくても、俺はこの軍隊という社会の中で生きていくことしかできないのではないか、そういう予感はあった。
もちろん、そうするのが好きなのではない。
それしか生き方をしらない。というのが心境としてはしっくりとくる。
それでも死ぬ場所と死ぬ理由くらいは好きに選びたいものだ。
だとして、あの少女の命令による死は、俺の望む死として妥当なのかどうか。
彼女の命令により、死んでもいいと、心の底から思えるのか。
やはり、分からない。
今まで彼女の命令に付き従ってきたが、未だにそれをはっきりと言い切ることはできなかった。
『偉大なる同志』の娘だからと言って、命を捧げる理由にはならない。
別に俺は自由主義者ではないが、熱心な、『偉大なる同志』の信者でもない。
生きていくために、妹のために、ただ軍隊に籍を置いているだけの身だ。
だが、彩国への侵略の中で死ぬことと比べれば、幾らかマシなのは間違いない。
あのような自らの人間性を否定した混沌極める戦いの中で。
欲望だけが渦巻いているおぞましい場の中で。
流れ弾に当たってその命を散らすよりは幾らかまだ人間的に思えた。
まだ、彼女の命令であれば、人間として道を踏み外さぬまま死ぬことができる。
この特務部隊にいる方が、極東軍のどの部隊に所属するよりも、マシなようには感じていた。
「洞窟に潜ることになった」
俺は自分が率いる分隊の者たちを、村の中央広場に集めると、皆に聞こえるように声を張り上げてそれを説明した。
極東の村々から集められた、可もなく不可もない健全な肉体を持つ兵たちである。共通点をあえて言うならば――あの怪しい魅力を持つ少女に認められた、国への誠忠さを持ち合わせていることくらいだろう。
誰も、俺の――そしてあの少女の――命令に意を唱える者は居なかった。
しかしだ。
「火炎放射器の携行も許可されている」
肥大アメーバの存在をほのめかせばどうだろうか。
彼らの誠忠はモンスターの存在に揺らぐのではないだろうか。
そんな、どこか試すような気持ちで、俺はそれを兵たちに告げた。
もちろん、言わないという選択肢はない。
実際にそれが洞窟内に居る可能性は限りなく高い。
それを隊内の者に知らせるのは、分隊をまとめる隊長としての義務である。
あの少女もまた、それを隠すようなことはしなかった。むしろわざわざ、火炎放射器を使えと、俺に言ってきたくらいである。
その辺りは、軍人としてぶれてはならぬ所であろう。
すぐに隊員の一人が声を上げた。
「隊長、質問があります」
「洞窟の近くに川がある。肥大アメーバの存在は限りなく考えられる」
「違います」
「なんだ」
「我々への
どうやら、彼らの国家への誠忠さは揺るぎないものらしい。
肥大アメーバの存在など、どうでもいい。
それよりも、作戦の詳細を、という訳だ。
代表して質問をした兵に合わせて、力強く頷いてみせる自分に預けられた兵たち。
彼らを試したことを胸で詫びながら、俺はより正確に、少女から拝命した部隊の役目を彼らへと告げることにした。
「鳩放ちによりガス田は100m以上の深度があることが分かっている。そこまでの行軍のための露払いである」
「つまりアメーバを焼き払えばよいのですね」
「そういうことだ」
「分かりました」
それ以上、何も聞くことはないとばかりに、俺に預けられた兵たちは黙り込むと、俺からの次の言葉を待った。
よくこれまでの兵を、怠惰で知られた極東軍の兵たちの中から、選りすぐって集めてきたものだと思う。
あの少女の人物眼には、今更のことではあるが驚かさせられた。
てっきり、臆病風に吹かれる者が、一人くらい出ても仕方ないくらいには、俺も思っていたのに、蓋を開けてみればこれである。
そして――そんな少女に、安心して彼らを預けられている俺もまた、それに似合うだけの人間だということなのだろうか。
彼女に認められた、誠忠なる兵だということなのだろうか。
それを素直に喜べるのか。
喜べば、俺はあの少女の命令で、死ぬことを由とすることになるのか。
分からない。
どうしていいか分からず、俺は自分の兵たちに聞こえないように舌を打つ。
生きるということは、その生に意味を見るということは、どうしてこうも難しい。
◇ ◇ ◇ ◇
アドリアン率いる特務部隊第一分隊は、ニーカから命令を拝命してから一刻も待たずに、すぐに装備を整えると洞窟前へと参集した。
装備は、『晶ガス』式弾32発を連射可能なサブマシンガンである。アサルトライフルは、洞窟内での行動に則さないと判断して、あえて装備から外した。
そして、二人の兵がそこに加えて火炎放射器。
さらにもう二人の兵が『晶ガス』式のカンテラを装備していた。
アドリアンを含めて計八名。
洞穴を潜るには適切な人数だろう。
分隊長のアドリアンが、代表してニーカに敬礼する。
それを銀狼の娘はなんでもない感じの涼しい顔で受け流した。
「これより第一分隊、隊長の命により洞窟内へと突入いたします」
「うむ、よろしく頼む」
「深度100mであれば、制圧には一刻もかからないでしょう。隊長、二刻経っても我らが戻らぬ時は、我らは死んだものと思って次の部隊を突入させてください」
「分かった」
死を覚悟してのアドリアンの言葉に対して、いささか軽薄ではないだろうか。
しかし、ニーカはいつでもそのような口ぶりだ。
しかし、村に到着して間もないと言うのに、休む間もなく洞窟へと突入させるとはな。『偉大なる同志』の娘は、その養父と同じで、いささかせっかちに過ぎる。
それを指摘してどうにかなるものではもちろんないのだが。
水は血よりも濃いということだろうか。
血縁関係にないのに、どうしてこうも似てしまうのか。不思議な話である。
「では、我らは向かいます」
そう言って背中を向けるアドリアンに、僕は敬礼を返す。
一方で、ニーカはまた、無表情かつ無感動にその背中を見送るばかりであった。
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