第6話 先任伍長
アドリアン・ロバノーフは、特務部隊の先任伍長である。
この特務部隊においては設立当初から所属している最古参の兵であり、先の彩国の作戦にも参加したことがある、兵の中の兵であった。
さらに言えば、村への来訪と共に行われた、ガス田を秘匿していた村長の銃殺――あの際にニーカの背後から銃を放った三人の内の一人でもあった。
僕の知る限り、彼はニーカの忠実なる部下の筆頭であった。
極東軍特務部隊は、少佐のニーカを除外すれば、士官のほぼ居ない軍隊である。
技術士官のウリヤーナの曹長を最高として、佐官、尉官は一人としていない。
僕も、軍曹の役を申し付けられているが、はっきり言って中央に多大な影響力を持つ、ニーカの強権を使った、張りぼて役職以外の何物でもなかった。
そもそもとして、部外者である旭国の人間が、そのような地位に居ること自体が、おかしなことだと言ってもいい。
という事情である。
まっとうな、朱国の軍事学校を卒業した者など、一人としてこの軍にはいない。
それは、ニーカが隊内での余計な権力争いをしたくなかったこと。
なによりそのような教養を持った人間よりも、自分の手ごまとして優秀に動いてくれる人材を求めたことに起因しているように思う。
また、極東軍に籍を置く士官にしても、『偉大なる同志』の娘というだけで、軍内で強権を振るうニーカの下につくことを、よしとしなかったのだろう。
お互いの利害が一致した、当然の帰着であった。
結果として、ウリヤーナ曹長、僕、そしてその下に、伍長が三名という、特務小隊は非常に歪な部隊編成をなしていた。
さて。
今、先任伍長のアドリアンが洞窟の前に呼ばれたのは他でもない。
任務を申し付けるために他ならない。
というのは、ウリヤーナが行った、鳩放ちの結果が思いの他に悪かったからだ。
身長180cm。
赤毛の短髪に剃り込みを入れたアドリアン伍長は、ニーカの前に出るなり、軍靴で地面を蹴り上げて、胸を張ると厳かな顔をして敬礼をした。
朱国の人間――特に男子――としてはそうそう珍しくない、精悍な体つきをしたお男である彼が、自分の身長の半分くらいしかない少女に対してそうしている姿は、ある種異様であった。
遠巻きに我々のやり取りを見ている村人たちが、少しざわめくのが見て取れた。
そんな村人たちの反応なぞ露ほどもアドリアンは気にしていない。
ニーカもまた同じようだ。
そのまま、我が部隊の先任伍長と少佐は、作戦についての話を開始した。
「鳩放ちの結果、出た」
「はい」
「悪くはない。十羽放って、七羽が返って来た」
「七十メートルでありますか」
「いや、百メートルの鳩が折り返してきている」
「……なるほど」
想定していたより、この洞窟は深い。
ということがその結果より分かった。
そして、途中脱落した鳩たちのことを考えると、
危惧した通りだ。
固体『晶ガス』により、肥大化した生命体――モンスターが、このガス田の中には満ち溢れている。そう考えられる。
ニーカは洞窟の闇の中へとその視線を投げかけた。
見ろと、命令されていないからだろう。
アドリアン伍長は、そんな上官の素振りを、敬礼したまま眺めていた。
こんな時でも、眉の一つとしてひそめることなどしないあたり、この男の愚直さそして律義さが現れている。
どうしてここまで、目の前の少女のために誠忠を尽くせるのか。
あるいは、軍に対して忠実にあることができるのか。
朱国の人間の気質はよく知らない。
だが、彩国の防衛戦の際に見た、彼の国の暴虐ぶり――あまりにも無軌道な暴力と奔放すぎる欲望について――から、アドリアンは実にほど遠い男であった。
無事に返って来た鳩たちを籠の中に戻し、愛おし気に乾燥させたエンドウ豆を与えているウリヤーナ。餌を与えられた白鳩たちが、煩く囀る中で、アドリアン伍長の方を向き直るとニーカは低い声で命じた。
「潜れ」
「はい」
「百メートルまででいい、私たちが無事にそこまで到達することができるよう、お前の分隊で整備を行え。後のことは、それから考える」
鳩の返ってこなかった、洞窟の中へと潜れと彼女はアドリアンに下命した。
軍隊である。
危険な任務を申し付けられるのは、ある意味で仕方のないことだ。
死地に飛び込めなどと言われるのは身を置く以上は覚悟しなくてはならない。
そして、上官に命じられたからには逆らうことは決して許されない。
逆らえば、村長に向けた銃口が、今度は自分と自分の隊に向けられる。
そのことを、よくよくアドリアンは理解しているのだろう。
その熱心な少女の信者か、あるいは国への奉仕者は、少しの礼も失せず、分かりました、と、だけ短く答えた。
そんな忠義者の姿を横目に、凍った川面をニーカが見る。
ふむと彼女はその鈍い銀色をした髪を揺らして、顎先を手でなぞった。
「……伍長。今回の任務、火炎放射器の携帯を許可する」
「……はい」
「ここは川が近い。今は冬季で凍っているが、夏季には水気が洞窟内へと入り込むことだろう。それでなくても、地下水脈が洞窟内に流入している可能性がある」
ニーカの言葉が意味するところ。
それは、洞窟内に潜んでいる異形の存在を示唆していた。
肥大アメーバのことである。
本来は、視認不可能なサイズ(1mm)であるアメーバだが、『晶ガス』を取り込み、放射能により進化したそれらは、時に人間サイズまで肥大化する。
また、通常時であれば、自分たちよりも小さい雑菌を捕食する彼らだが、肥大化に伴い、その食性もまた大きな変化を起こす。
すなわち――ニーカがわざわざと注意を促すほどの――肉食性への変質だ。
彼らは、脳を持たない単細胞生物にも関わらず、その触覚により動物たちの動きを察知し、巧みにその獲物の頭上から忍び寄る。
そして、その頭の上へと突然落下すると、捕食対象を包み込むのだ。
一度でも肥大アメーバに取り込まれる、あるいは、取りつかれてしまえば、獲物はそれまでである。強力な消化酵素によって対象は、たちまちの内に溶かされる。
また、単細胞生物のそれは引き離すことも難しく、除去することも難しい。
そうして成す術もなく、取りつかれた者は消化されるのだ。
その悲劇から逃れるには、肥大アメーバに取りつかれるより前にそれを見つけること。そして襲われぬようにすぐさま焼き殺すより他ない。
そのための火炎放射器である。
そんな危険生物が待ち構えている洞窟の中へ、行けと、ニーカは確かに命じた。
そして、はい、と、アドリアンがそれに応えてみせた。
軍隊にいいえはない。
「お前が死んだ際には、妹の面倒は軍部が責任をもって見てやる」
「ありがとうございます」
「旗下の者にもよく伝えておけ。貴様らの誠忠に、同志そしてそれより成る国家と軍は誠意をもって応えることを約束しよう。死ねよ、我らが
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます