第3話 寒村

 寒村へは、駆けて四半刻でたどり着いた。

 人数にして三十人も住んでいない規模の村であった。


 突然の軍靴の音に、村の入り口で薪を割っていた匹夫は目を剥いていた。飼いならした白く大きな犬と戯れていた少女は、その手を止めて僕を見た。


「この村の長に会いたい。誰か案内してくれる人はあるや」


 僕は朱国の言葉でそう叫んだ。


 見るからに、自分たちと違う人種――旭国の人間が、極東軍の服を着て現れた。

 もうそれだけでも彼らにしてみれば衝撃だっただろうに、そこに加えて朱国の言葉を発したとなればちょっと騒ぎになる。


 たちまち、少女が犬と共に駆け出して、何処かへと消えた。

 彼女と違って匹夫が、薪を割っていた斧を手にしてこちらへとやって来る。


 朱国の男児のたくましき事よ。先ほどまで彼が割っていた薪と同じくらいに太い腕を揺らして近づいて来た彼は、僕を睨みつけると、斧の背に手を添えて値踏みするような視線を、僕の頭からつま先にかけて浴びせかけてきた。


「何者だ」


「極東軍特務部隊の者である。あと四半刻ほどで、特務部隊がこちらの村に到着する。村民を集めて歓待の準備をせよ」


「特務部隊だと?」


 明らかにその顔色が青ざめるのが分かった。

 匹夫の表情が変わった理由について、僕はよく知っていた。というより、この極東の寒村に、わざわざ特務部隊が出向く理由などそれしかない。


 斧を振りかぶる匹夫。

 だが、それより早く、僕はホルスターから銃を抜いて彼に銃口を向けた。

 うぅ、と、彼が唸ってそのままの姿で静止する。


「反逆罪は極刑だぞ。貴様の家族にまで類が及ぶが、それでも良いのか」


「……ぐぅっ!!」


「ガス田隠しについては、我が特務部隊の隊長殿は、寛大なお心で許そうと申している。平穏無事にこの先も、この村で暮らしていきたいのであれば、まずはその斧を下すべきだと考える」


「お前のような東人あずまびとに言われずとも」


 僕は銃の引き金を引いた。

 どう、と、弾薬の尻に封入されている、固形の『晶ガス』が気化すると、甘ったるい匂いが辺りに立ち込める。それと共に、銃身から冷たい弾頭が飛び出して、匹夫の頬を掠めた。


 軍役の経験がないのだろうか。

 匹夫は、へたりと、その場に尻もちをつくと、僕のその脅しによって、抵抗する意思を失ったようであった。


「もう一度言おう。もう四半刻で、特務部隊がこちらの村へと到着する。歓待の用意をせよ、ついては、この村の代表者に会いたい」


 分かった、と、絞り出すような声が匹夫から返って来たのは、それからしばらくしてのことだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 寒村の代表者は、齢八十を超えるか超えないかという、皺深き老人であった。

 彼は、僕の顔を見るなり敬礼すると、いかにも慣れた調子で話し始めた。


「極東軍特務部隊ですか。わざわざ、こんな所までご苦労なことであります」


「労い、かたじけない」


「いえいえ、そんなことは。しかし、東人あずまびとの伝令兵とは珍しい」


「生まれは旭国ではあるが、今は、故あって朱国の兵である。何かあるか」


「いえ、そんな。そういうこともあるでしょう、なにせ、軍のすることですから」


 おそらく元軍人であろう。

 軍の使いを前にして、その振る舞いには落ち着きと余裕が見られた。

 軍人相手にそのような態度に出られる人間は少ない。誰しも、戦を生業とする者に対しては、血の匂いを嗅ぎ取って臆病になるものだ。


 ただ、中央に勤務していたような、典雅さまでは感じられなかった。

 なにより、そこまでの栄達を果たしたものが、こんな寒村の代表などに収まるだろうか。


 常識に照らし合わせて考えれば、だいたいの検討はつく。

 おそらく極東軍の古兵だろう。


 また、これもおそらくだが、旭国との大戦より前の時代の兵に違いなかろう。

 わざわざ、それについて、彼にそうであることを確認するまでもなく、老人の年齢からそんなことは予想がついた。


 そんなことを僕が察していると、相手も分かった上なのだろう。

 老人はどこか優雅な口ぶりで話を続ける。


「極東軍特務部隊は、『晶ガス』の油田開発を生業とすると聞いています。残念ながら、ここにはそのようなものはありませんよ」


「隠し立てしてもよいことなぞありませんよ」


「ないものはないのです。いやはや、実に残念なことです。もしそんなものが出るならば、手ずからそこに案内もしようというのに」


 子供の遣いではない。

 ないと言われて、そうかと踵を返す特務部隊ではないことは承知だろう。


 しかし、この老人にしても、ここまでガス田隠しを行ってきた自信がある。

 袖の下を通して、あるいは、昔のツテを使って強引に、この村にあるそれの存在を、今日という日まで秘匿してきたのだろう。


 だが、今この朱国に満ちている教義である全体主義、共有主義の名の下においては、そのような行いは決して許されるものではない。


 ガス田は誰のものでもない。

 国家の所有物である。


 少なくとも、この朱国にとっては、そうであった。


「老人、貴方は随分と、最近の極東軍について知らないと見える」


「なるほど、確かに。しかし、貴方たちも、往時の極東軍を知らぬと思われる」


「ほう」


「極東軍の総司令である、ヘッケンどのと私は懇意に」


「そのヘッケンは、先月、我が隊長が暴いた私財隠匿の罪により銃殺刑に処された」


 なに、と、老人の顔つきが青ざめた。

 自らの後ろ盾が、失脚していたという事実を、この時、彼は初めて知ったのだろう。

 こんな山奥に引きこもっていれば、世情に疎くなるのは仕方ないだろう。


 元極東軍総司令ヘッケンがこの地にばらまいた不穏の種は多い。

 彼は熱心なる国家の信者であると謡い、朱国の『偉大なる同志』に忠誠と礼節を払いながら、自らの私腹を肥やすことに熱心であった。


 そのために、極東の地において、各地方の有力者が隠しガス田や炭鉱を造ることを黙認し、その見返りに袖の下を求めたのだ。


 極東方面には、大規模なガス田が幾つかある。

 既に、それらだけで国家と軍隊の運営・維持に必要な『晶ガス』は充分に賄われている。そう認識している。


 わざわざ、枝葉末節のガス田を接収したところで、どうなるものではない。


 しかし、僕の主人、朱国中央出身の――『偉大なる同志』の第十三養女は、その私有についての一切認めなかった。

 彼女はあくまで国家主義の本義を説き、それを貫くことを主張した。

 ガス田はその枝葉まで全てが国家の所有物であると、きっぱりと言ってのけたのだ。


 この国を導く、『偉大なる同志』の影響は大きい。


 中央に進出すること叶わずとも、地方の盟主として絶大なる権勢を誇っていたはずのヘッケンは、あっさりと自らが組織した親衛隊によって拘束された。

 そして、抗弁する間もなく、略式にて――すなわち、ニーカ自らが『偉大なる同志』の代理人として撃鉄を起こして、彼の頭蓋を打ち抜いたのだ。


 その瞬間に立ち会った僕から言わせて貰おう。


「老人、貴方はいろいろなことを覚悟なされた方がよろしい」


「……ひっ」


「私の主は、国家主義の忠実なる下僕であり、『偉大なる同志』の意志の体現者である。何人も、国家の所有物を私物としてはならない。貴方の罪状は目に余る」


「こ、抗弁を」


「私の主は、堕落者の言葉を聞く耳を持たない」


 せいぜい、その命を繋ぎたいのであれば、つつがなく歓待の準備を進めるべきだろう。そうアドバイスをすると、老人は恭しく頭を僕へと垂れたのだった。


 畏敬するべきは僕ではない。

 『偉大なる同志』でもなければ、その第十三養女でもない。


 この朱国においては、国家そのものであろう。

 幸いにして、国家主義の徒ではない僕には、それが逆によく分かった。


 この国では、この国というシステムを前にして、敬意を払わなければ生きていくことはできない。そのシステムの一部として、生きていくことを選択しなければ、極寒の地にて生きていくことはできないのだ。

 そういう抗うことのできない原理がある。それだけの話であった。

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