第2話 出会い

 雪中行軍は難しい。


 汗なぞかけばたちまちの内に凍傷を起こして死へと至る。

 天候の急な変化は簡単に人の命を奪う。

 そしてなにより、白い雪原と突然に襲い来る吹雪は、人の方向感覚をまるでなんでもないように簡単に狂わしてしまう。


 しかしながら、朱国極東軍は、この雪深い地において、絶対的な機動力と、軍事力を誇っていた。その要因は、彼ら朱国が持っている『晶ガス』技術による所である。


 帝紀2108年。

 西紀にして1867年のことである。


 朱国のとある研究者が、『晶ガス』なる存在を発見した。

 それを国際学会にてそれを発表したのが、朱国の栄光のはじまりである。


 それは我々人類が未だ遭遇したことのない、未知なる物体であった。

 紆余曲折を経て、発見者の名ではなくその特性をして、『晶ガス』と、銘打たれたそれ。そのガスは、融点を持たず、固体とガスの二体にしか変容しない異質のものであった。


 どの研究者も、それに激しい興味を持ったのは言うまでもない。


 また同時に、『晶ガス』に興味を抱いたのは何も研究者だけではなかった。

 国家――とくに『晶ガス』の発見者の祖国である朱国では、その性質についての研究と、その応用、そして、発掘が盛んに行われた。


 結果、『晶ガス』技術は三つの発展を見せた。


 一つは、気化による爆発的なエネルギーの発生である。

 『晶ガス』の熱エネルギーへの変換率は異様に高く、石油はおろか、数多のガスを差し置いて、人類の生活にぬくもりを与えるに至った。


 また、これは、簡単に弾薬の火薬の代わりとして軍事普及を果たした。

 熱エネルギーの伝達ロスの少ない『晶ガス』弾は、銃身を無暗に痛めないことで重宝され、たちまちと各国こぞってこの機構を取り入れたのだ。

 朱国はもちろん、西国・東国諸国を問わず、多くの銃が、今では固体化した『晶ガス』弾を搭載するのを前提として設計されている。


 二つに、『晶ガス』による熱遮断技術である。

 液体状態を持たない『晶ガス』であるが、これを、中和液を添加することにより、疑似的に気体と固体の中間状態に置くことで、高度な熱遮断性を持たせる物体を造ることに成功したのだ。

 これは、建造物の断熱素材として用いられるのはもちろんのこと、軍事技術として広く普及され、極地での作戦――主に雪中行軍に使われる軍服のジャケットの素材として使われるようになった。


 結果、この朱国極東軍の行動力に、大きな貢献を果たす結果となる。

 雪中において、ほぼ、凍えることなく行動するだけの力を手に入れた朱国は、急速にその領土を拡大――それまで、分け入ることも躊躇われた、永久凍土の血を蹂躙し、極東の地までをその版図を広げさせる要因になった。


 そして、三つめは、生態系への多大な影響である。

 固体化している『晶ガス』は、放射性物質としての側面を持っていたらしく、それに暴露された動植物は、二世代・三世代と経て、大きな変容を来すことが分かった。


 この分野についての研究はまだ未知数であるが、一つ確かに分かっている事実として、ということは確かであった。気化した『晶ガス』については、致死性はないと報告されているが、『晶ガス』吸入による健康被害という研究は、朱国を主導する指導部の方針により、禁忌とされていた。


 なんにせよ。


 この『晶ガス』を、朱国は上手く運用した。


 発見者に最大限の資金援助を行い、研究のために国家主導の研究所を創設し、そして、『晶ガス』武器の開発と、雪中での軍事行動のために防寒武装を作った。更に、一年の大半を雪に閉ざされた大地に、人が暮らせる都市機能システムを完成させた。


 結果、百年前には、僅かな領地しか持っていなかった朱国は、雪に閉ざされ、誰も手のつけることのなかった北部の広大な領土を実効支配し、極東まで進出を果たした。


 東洋へと出るに至って、朱国は、僕の祖国である旭国、大陸中原の覇者華国、その華国の上部に位置し広大な草原と砂漠を支配する野国、そして、その三国融和の理想郷とされた彩国と国境を接するに至ったのだ。


 そして、先の大戦――旭国と正国との戦争終期に、突然と、彼らは旭国・彩国へと宣戦布告し、その圧倒的な軍事力でもってその領土を制圧した。


 正国への降伏表明があと一日遅ければ、旭国はどうなっていただろうか、とは、よく聞く話である。旭国は北部離島の一切を、朱国に奪われていただろうと言われている。

 ある意味、その侵略行為は旭国にとって、長きにわたる正国との戦いについて、敗戦を決意させる大きな要因となるものであった。


 しかし――。

 それは、大陸より少し離れた島国である、旭国だからこその話。

 大陸の中にある、旭国の傀儡国家――彩国が被った被害とは比べ物にならなかった。


 彩国は朱国極東軍の手によって、徹底的に蹂躙され、地図上からも、そして、歴史上からもその姿を消した。

 彼の国に集っていた、旭国・華国・野国の者たちは、朱国の捕虜として極東軍に拘留された。そして、その多くの者が、朱国に盾突いた戦争犯罪者として、極東の資源開発要員――鉱石・炭鉱などの発掘作業員として服役されるに至った。


 鉄鉱石、あるいは、それに類する鉱石の採掘。

 あるいは、『晶ガス』を含む、ガス田の発掘作業。

 その労役は過酷を極めた。


 もとより、捕虜たちは朱国側からしてみれば自国民ではない。

 また、彼らが信奉する教義を解する人間たちでもない。


 彼らの捕虜に対する扱いは、ぞんざいという他ない酷いものになった。

 人は、自分たちと違う者たちに対しては、どこまでも残酷になることができる。


 外ならぬ、僕もその被害者の一人であった。

 旭国の軍属として、同盟国である彩国の駐留武官として出向していた僕は、朱国との戦争に巻き込まれ、命こそ失わなかったが捕虜となった。

 そして、裁判も何もないまま、一方的に犯罪者の烙印を押されて、列車に乗せられると訳の分からぬまま、鉄鉱石を採掘する鉱窟へと送られた。


 鉄鉱石を掘る作業は過酷の一言に尽きた。

 また、豚の餌のような粗末な食事に、満足に寒さも凌げぬ寝床。

 道具のような扱い、そして、理不尽に振るわれる監視の兵による暴力。

 一年も経たないうちに、僕は坑内にたまったガスに肺をやられて体を病み、そのまま臓器売買のために朱国の奴隷市場へと回されるに至った。


 自らが掘った鉄で作られた鉄輪を嵌められて、暗い牢の中で暮らす生活。

 それもまた、鉱窟とはまた別の種類の地獄と言って差し支えなかった。


 多くの朱国貴族たちが、僕の体を品定めしていった。

 そして、彼らは、少しの興味も見せずに、僕の体を一瞥すると、やせっぽちである、と、言い捨てて帰っていくのだ。

 ある意味、それは幸運ではあった。

 臓器の買い手がつかないということは、死ななくて済む、ということである。


 そんな風に、買い手がつかない日月が、半月ほどつづいた中――初めて僕に興味を示したのがニーカだった。


 彼女は気まぐれに訪れたのだろう。

 臓器売買の闇市で僕を見るなり、にんまりと笑って、朱国の言葉で語りかけてきた。


「薄汚れた黒い狗よ。どうしてお前は生きている」


 固いパンと、コップ一杯の水。

 一日に一度与えられるそれで、なんとか飢えを凌いでいた僕は、口を開くことも億劫になるくらい疲弊しきっていた。いや、むしろ、できないくらいに疲労していた。

 しかし、それでも、喉を振り絞ると、僕に語り掛けてきた銀狼の娘に答えた。


 答えなければならない。

 そう直感的に思ったのだ。


「……ここが己の死に場所ではないから」


 僕の答えに、狼の毛のような銀髪を振り乱して、少女は大きくその腕を広げた。

 精一杯に自分を大きく見せようとしているように、僕の目にそれは映った。


 そして、その時初めて、このような少女が、どうしてこんな場所に居るのか、と、僕はその状況について疑問に思った。


 その疑問を考える間も与えぬように、ニーカは矢継ぎ早に話を続けてきた。


「死ぬ、お前はこの地で死ぬ宿命にある。その肺腑の病は重い。お前のような東人あずまびとの内臓を、好んで買うような好事家はこの地にはおらぬ。どのみち、買われてもお前を待っているのは死だけである」


「……なれど、死なぬ」


「旭国の将は潔し。自らの死地を悟れば、敵の虜囚になるをよしとせず腹を斬る。そのような者たちだと私は聞いたのいだが」


「旭国の将はしぶとい。そしてここは戦地ではない」


「なるほど」


「将の死ぬ場所は戦地である。ここは僕の死に場所ではない、故に腹は切らぬし、生を諦めぬ」


「……面白い狗だ。死ぬ宿命にあって、死なぬと吠える」


 気に入った。

 そう言って、邪悪に微笑む銀狼の娘を僕は睨みつけた。


 彼女が僕を買ったのは、その日の夕刻のことであった。


 鎖を解かれ、自由を得た僕の前に現れた彼女は、牢屋を訪れた時とは違う――朱国中央官僚の紅色をした軍服に身を包んでいた。


「東人の黒狗よ、今日よりお前の主人は私だ」


「……なに」


「極東軍特務部隊に軍籍を用意する。名は、なんという」


「キリエ・ヨースケ」


「キリエ。よい名だ、ますます気に入ったぞ、私の黒い走狗よ」


 そう呼ばれた瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。


 生きる為に、声を発した。

 生き残るために彼女の声に応えた。

 なのに、その行為自体を後悔するような寒気が、私の体を襲ったのだ。

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