20:銃口

 耳をつんざくような銃声、ふいに身体が浮く。

 ユウリはミカルを抱いて避けたが、弾丸の軌道から完全に逃れることはできなかった。

 弾はユウリの肩に当たり進路を変え、柱を掠って光が遮られた薄闇へ消えた。


「何故撃った! ミカルがこんなに近くにいるのに」


 ユウリが体制を立て直し構えたときには、既にバートは柱の影に身を潜めこちらを狙っていた。


「この距離で私が撃ち損ねると思うか?」


 その声を聞き、ミカルは膝を立てバートに銃口を向けるユウリにしがみつく。


「退きなさい、ミカル」

「ミカル、離れていろ!」


 二人の声に、ミカルは頭を振って抵抗する。この体勢ではさすがにバートも自分を避けて撃つことはできないだろう。ユウリも身動きが取れず反撃もままならない。


「やだ……お願い、二人共もうやめて……」


 そのとき、膠着した状況を打ち砕くような轟音が上階から聞こえた。


「な、何?」


 ミカルは驚いて顔を上げる。その白い頬は、ユウリが流した血で汚れていた。


「これは敵じゃない、迎えのヘリがきたんだ。ミカル、もう大丈夫だ」


 ユウリはミカルの身体を引き上げて立たせ、その背を押す。少し先には、駐車場へ繋がる階段があった。


「ホリーの研究は破棄し、ミカルを正常な状態に戻す……それがCEUの意志だ」


 ユウリは憎んでいるはずの男に律儀にそう告げる。ユウリは理解しているのだ。冷酷なはずの男が言った『ミカルを失いたくない』という言葉だけは、本心だということを。


「ミカル、屋上へ走れ。ヘリが待っている」

「……ユウリは?」

「俺は後から合流する。行け」


 ミカルを安心させようとしているのか、ユウリは微笑んでそう言い、左手でミカルを押し退け……ユウリは銃を構え直した。


『応援はいらない、一人で片を着ける』


 小さな声で、ユウリは襟元の機会に向かって言う……バートと……父と、決着を着けるつもりなのか。

 そんなこと、させたくない。カレンに裏切られ、目の前で彼女が倒れた。もうたくさんだ、もう……誰にも傷ついて欲しくない、何も失いたくない。

 母の仇であっても、血の繋がりはなくても……父を失いたくはない。命がけで守ってくれたユウリを、残してなんか行けない。


「嫌だ! ユウリと一緒でないと……」

「バカ、よせ!」


 ミカルはユウリに抱きつき、コートの内ポケットからリボルバーを掴み取った。

「何を……返せミカル!」


 取り返そうとするユウリに力一杯体当たりし、距離を取る。

 初めて触れる銃器に手が震える。ミカルの手には余るグリップをなんとか握り、唇を噛み締めてそれを構えた。

 共に暮らし、父と慕った人へ向けて。



 自分が行けば……二人はこの場で闘うつもりだ。バートはユウリを撃つのを躊躇わないだろう。ユウリも、バートを仇と憎んでいる。どちらかが……或いは、どちらも命を落としてしまうかも知れない。

 そんな状況でどうして一人で逃げられる。

 一人で……逃げてその先、どうやって生きていけというのだ。本当の両親はすでになく、家族と信じていた人も、必死でミカルの真実を取り戻そうとしてくれたユウリまで……失ってしまうかもしれないのに。


 ミカルは覚束ない足取りで、父とユウリの間に立った。


「父さん……武器を置いて、下がって」

「ミカル、使い方もわからないのにそんなものを持つんじゃない!」


 バートは叱りつけるように言う。ミカルが我がままを言ったときに見せる父の顔を同じだ……そう思うと涙で目の前が翳む。


「わ、わかるよ。マンガによく出てくるもん。……本物に触るのは初めてだけど」


 ミカルは迷いながらも、指先で激鉄を起こす。弾倉が回転する音が手のひらにまで響き、緊張が走った。


「やめろ、ミカル!」


 ユウリの叫ぶ声に頭を振り、引き攣る指先で銃を構え続けた。


「父さん……僕はユウリと行く」


 多分、それがいい。父について行ったとしても、今まで通りに暮らせるわけじゃない。学校にだって戻れるかどうかわからない。カレンが姉じゃなかったなんて、アユタになんて言えばいい? 嘘で塗り固めて何食わぬ顔でいられるほど、ミカルは器用じゃない。


 父とカレンと三人で築いた日々は、もう二度とは戻ってこないのだ。

 気丈に振る舞っているつもりだったが、ミカルは歯の根が合わないほど震えていた。それでも、バートからは目を離さない。


「私が憎いか、ミカル……」

「わからない……もしかしたら、全部思い出したら……憎んでしまうかも……」

「憎めばいい。俺は、それだけのことをした。お前の本当の父親を殺してホリーを組織に攫ったのは私だ。そして、殺した。ユウリの右半身も私が奪った」


 膨れ上がった大粒の涙はまっすぐに滑り落ち、頬を染めていたユウリの血を洗い流した。その雫は、ミカルのTシャツに淡い紅色の花を咲かせる。


「でも……さっきの父さんの言葉、信じるよ。僕を失いたくないって……言ってくれたこと……」


 嗚咽混じりに言い、ミカルは父に微笑んで見せた。彼に笑顔を見せるのも……これが最後なのだと思うと涙が止まらない。

 仕組まれた家族だとしても、父もカレンも役割を演じていただけだとしても、共に過ごした日々は消えない、決して偽りじゃない。

 バートはミカルの涙を見つめ、薄く口を開き何か言いかけた。

 しかし、発せられたのは言葉ではなく弾丸だった。ミカルに近づこうとしたユウリの動きを見逃さなかったのだ。

 弾はユウリの腿に当たり、肌を引き裂いた。それでも膝を折ることなく、ユウリはミカルの元へ駆け出す。


「やめて! ユウリを撃たないで……!」


 銃を持つ手が痺れる……撃つべきなのか? この場を収めるために、二人を止めるために……父を。


「お願い、行かせて! 僕は……父さんとユウリに争って欲しくないんだ! もう……何も、失いたくない……!」


 ミカルの悲痛な叫びを掻き消すように、鉄筋骨子の巨大な遺骸の中を銃声が谺する。


 嫌だ――ミカルは強張る手で銃を握り締めたまま、その場に頽れた。

 混乱で目の前が真っ赤に染まり、ユウリの姿が見えない。


「ユウリ……ユウリ……」


 怖くて、ミカルはただその名を呼び続けた。

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