19:その景色なら知っている

 ユウリはそこで言葉を切り、深く息を吐いた。


 今語って聞かせてくれたことは、何一つ思い出せない。だけど……胸の中が激しく揺り動かされる。鼓動が駆け上がり、瞼が熱い。


 ユウリも動揺しているのか、荒い呼吸で肩が上下している。車の中で……何度も話そうとして口にできなかったこと……ユウリはそれを今から語ろうとしているのだ。


 ミカルはそれを悟り、息を呑む。そのあと何が起こったのか、知るのは怖かった。それでも、聞かなければいけないと思った。


「……大丈夫だよ、話して、ユウリ」


 そう言いながら、ミカルはちらりと父を見た。彼は反論するでもなく、ただ眉を寄せて険しい顔をしている。その瞳には僅かに悲しみの翳りが見えた。

 ユウリはようやく決心したのか、再び口を開いた。


「……いつか追手がくるのはわかっていた。組織が脱走者を見逃すはずはない」


 それに、ミカルが連れ去られたということは、研究を持ち出されたも同然だ。


「最初に撃たれたのは俺だった。だが……致命傷には至らなかった」


 唇を噛み、ユウリはバートを見据える。そのとき撃ったのは、父だったのだろうか。


「目の前でホリーが殺され、ミカルが連れ去られたのに、俺は……何もできなかった。ただ床に這いつくばっているしか……」


 悔しげな声は聞いているミカルの呼吸まで乱す。


「連中は俺に止めを刺さず、家に爆弾を仕掛けた」


 その言葉を聞いた途端、ミカルの目の前が炎の色に染まる。頬を舐める熱い風……頭蓋が割れるかと思うほどの爆音。


 ユウリの言葉に誘発されて現れるのは、空を焼くような炎……それがぶれて花火に変わる、ミレニアムの夜空を焦がす光の洪水、それらが交互に現れては消える。


 花火の記憶が……偽物なのか。だから、楽しいはずの思い出に恐怖しか感じなかったのは、こういうわけか。


「……お前は、瀕死のところを反体制に拾われたわけだな。右上半身は人造物か? それとも死体から?」

「……両方だ」


 失われた右上半身は、彼らが再生した。自分の肉体として使いこなせるようになるまで、ずいぶん時間がかかったとユウリは話す。


 ホテルで見たあの大きな傷痕……あれは恐ろしい過去を繋がっている。だから、ミカルに見られてあれほど動揺していたのか。


「俺はミカルを取り戻すために生き延び、CEUの犬になった。思想も抗争もどうでもいい、だが……ホリーの子を残して死ぬなんてできなかった」


 息を喘がせ、ユウリは叫ぶ。


「バート、何故……ホリーまで殺した!」


 その言葉に、ミカルはびくりと肩を跳ね上げる。


「……え?」


 母を殺したのは……父なのか。だから……ユウリは言えずにいたのか。ミカルが父親と信じている男を仇だと告げることを迷って。


 バートはユウリの言葉に頬を歪め、冷たく言い放つ。


「一度裏切った者は何度でも裏切る。そういうものだ。反体制への見せしめでもあった」


 非情な言葉を、ミカルは信じ難い思いで聞いた。


「ミカルの頭に小細工を仕掛けたのは、交渉の切り札にする気だったのだろう。自分が殺されるのは計算外だっただろうがな。あの女は自分の自由のために、初心なお前と我が子を利用したんだ」


 腹の底に響くようなバートの低い声は、ゆっくりと静寂に吸い込まれていく。沈黙はやけに長いような気がした。

 ユウリは自分の気持ちを落ち着けるように静かに息を吐き出し、それから毅然と前を見つめ、バートの言葉に答えた。


「……そうだしても、俺はホリーを愛したことを後悔していない」


 バートは長い息をつき、哀れむような目でユウリを見た。


「お前は怖いんだろう? 自分の記憶が本当かどうか、自信がないのだろう。だからミカルに思い出して欲しい……そうだろう?」


 煽る言葉を、ユウリは唇を噛み締めて聞いていた。


 確かに……父が言うように、CEUという団体がユウリを利用するために記憶を操作することは、容易いのかもしれない。

 だけど……違う。ユウリの言葉は嘘じゃない、作り物なんかではない。

 ミカルは震える足でゆっくりとユウリに近づき……彼を背中から抱いた。


「ユウリも父さんも……もう、やめて」


 声を出すと途端、涙が溢れた。ミカルはユウリの背中に頬を擦り寄せ、しがみつく。


「ミカル、その男から離れなさい」

「……嫌だ」


 ミカルの涙声に狼狽えたのか、ユウリの背中が強張る。


「ユウリごめん。僕……思い出せない……」

「謝らなくていいんだ。ミカル」 


 労るような優しい声に、胸が詰まる。


「でも、ユウリが言っていた景色なら知ってる。夕陽の中、どこまでも金色の草原が続いてたよ。何度も……何度も夢で見た」


 繰り返し見た夢……あれは、幼い日の景色だったのだ。そして幸福なはずのその夢の後、決まって涙がこぼれたのは……封じられた幼い心が悲鳴を上げるから。


 母の元から引き離され偽物の家族と暮らし偽物の記憶を植えつけられ、それでも消えなかった黄金の原風景。


 それが真実でなくてなんなのだ。


「……夢の中で僕を呼んでいたのは、ユウリなの?」

「え? ……ミカル、今なんて……」


 ミカルの言葉に、ユウリの集中力が殺がれた。バートがその隙を逃すはずはない。


「……っ!」


 耳をつんざくような銃声、ふいに身体が浮く。

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