18:短い蜜月
「……俺がホリーと出会ったのは、まだ十六歳の頃だった……」
過去に埋没しそうになる気持ちを奮い立たせ、ユウリは静かに……思い出せることをありのままに声に乗せた。
身寄りのなかったユウリは幼い頃組織に買われ、武装兵として訓練を受けていた。だが、技術は向上したが臆病な性格が災いして実戦では成果を上げられなかった。
ユウリを本隊から外すことを決めたのは、当時武装隊を仕切っていたバート・ラウだった。ユウリはその後、研究所の警護に就いた。正確には、そこで軟禁している科学者の監視だった。
幼いミカルを腕に抱いたホリーの姿を、今でもはっきりと覚えている。悲しげな瞳で、それでも我が子に向かって微笑んでいた。殺伐とした研究所に咲いた花のようだった。
遅い初恋だった。もしかしたら、顔も知らぬ母親への慕情を重ねていたのかもしれないが、まだ若かったユウリがそれを自覚することはなかった。
ユウリの臆病な性格を見抜いたのか、ホリーは徐々に警戒を解き、二人は少しずつ話をするようになった。
そしてときに、ミカルをユウリの手に預けた。ミカルは表情のない子供で、ほとんど泣かず、二歳を過ぎても一言も喋らなかった。
それでも、食事や着替えの世話をしてやると、無心にユウリを見つめてくる。その澄んだ瞳に、幾度も胸を打たれた。
もっと穏やかな場所でミカルを育てたい、ホリーは度々そう語った。母親なら当たり前に抱く望みを、まるで遠く叶わぬ夢のように話す。その様子が不憫だった。
ある日、ホリーは自分の研究内容をユウリに打ち明けた。
ホリーは、ミカルの脳を使って研究を進めるよう命令されていた。幼い我が子の脳を、記憶装置として使えというのだ。
耐えられない、そう言ってホリーは泣いた。しかし逆らえばミカルの身もどうなるかわからない。その恐怖から、ホリーは命令に従いミカルの脳に研究結果を刻み続けた。
ホリーを拉致し、彼女の夫を殺したのがバートだということも打ち明けられた。ユウリはその話を聞いて戦慄を覚えた。もしもバートの隊から外されずにいたら、自分も作戦に加わっていたのかも知れない。
この頃、ちょうど組織は内分裂を起こしていた。その混乱に紛れ、ユウリはホリーとミカルを連れ脱走した。
たどり着いたのは、途方もなく何もない田舎だった。今にも倒壊しそうな家がぽつりと建ち、あとは低い山並みと草原が広がるだけ。
ユウリとホリーは、そこを住処に決め、力を合わせて家を補修した。ユウリは手に馴染んだリボルバー一丁を残し、他の武器とホリーの僅かな貴金属売って現金に替えた。
スクラップ寸前のバイクも手に入れ、ユウリはそれで不便な近隣の家々へ、食品や日用品の配達を請け負った。貧しかったが、それでもミカルを飢えさせない程度には暮らせた。
幼いミカルは少しずつ表情を取り戻し、子供らしく笑うようになった。自分の名を呼ぶミカルが可愛くて仕方がなかった。
腕に抱くと、小さな手がユウリの頬を撫でる。その頼りなさと力強い温もりに涙が溢れそうになる。
五歳になったミカルは、好奇心旺盛に遊び回った。倉庫に転がっていたボールを見つけ、それで遊べとユウリにせがんだ。
ミカルは投げられたボールを受け止められなかったが、それでも楽しげに駆け回り、ボールを追って走る。遠くに行ってしまわないかと、ハラハラしながらミカルを呼んだ。
その度にミカルは満面の笑みで答え、手を振る。夕陽に染められた黄金の草原を、懸命に走ってくる。その姿が可愛くて愛しくて、ユウリもつられて大きく手を振り返し、その天使に似た名前を呼ぶ。子供みたいだとホリーに笑われた。
永遠にこんな時間が続けばいいと願った。
他には何もいらなかった。ただ、ホリーとミカルがそばで笑ってくれていたら。
だが、幸福な日々は唐突に終わりを告げた。
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