17:揺れる真実、美しい記憶

「組織は、いずれ失われるなら完全な状態ではなくても情報を取り出しておくのが得策だと判断した。私も……以前ならそれに異を唱えたりはしなかった。だが……」


 バートは、どうにか安全に情報を引き出す方法はないかと組織と交渉を続けていたと話す。帰りが遅いのも、度々香港に出向いていたのも、すべてミカルを救いたい一心だった。


「最初は任務を遂行するだけ、与えられた父親という役割に何の感情もなかった。しかし……親というのは中々難しいものだな。子供があんなにも自分の思い通りにならないなんて、知らなかった」


 だからこそ、笑顔を向けられたときの満たされた気持ちは、何ものにも代え難かった。


 そう言ったバートの瞳は優しい。父は今まで、これほど饒舌に心情を語ったことなどなかった。吐露される父の思いに、ミカルの心は揺り動かされる。


「ミカル……お前は、私が望むことさえ諦めていた安らぎをくれた」

「父さん……」

「私はお前を失いたくない」


 そう言った顔は、確かに父のものだった。

 嘘をついていたことを認め、真実を話してくれた。確かに血の繋がりはないのかもしれない。でも、共に暮らした日々に……父として愛情を注いでくれたことに偽りはない。そう思いたい。


 ユウリはきっと何か誤解していたのだ、そうに違いない。和解することは無理でも……せめて、二人に争って欲しくない。


 ミカルは迷いを振り切り、父に向けて一歩踏み出した。それを見て、父は深い安堵の息をついた。


「いい子だ、ミカル……」


 父の柔らかい声にほっとし、ミカルは笑みを浮かべた―――だが、その安堵も束の間、ユウリが鋭く叫ぶ。


「バート……いい加減にしろ! 貴様らはどれだけミカルを弄べば気が済むんだ!」


 声と同時に三発、火花が散る。銃弾の一つは横跳びに避けた父の腕を掠り、後の二つは後ろのシャッターを貫通した。


「……っ!」


 ミカルは声もなくその場で凍りつく。

 ユウリは先ほどよりもさらに憎しみの籠った目でバートを睨みつけていた。


 どうして……。今の話を聞けば、ユウリの気持ちも少しは軟化するかと思ったのに。疑問と、駆け上がる鼓動がミカルの胸を苛む。苦しくて息が止まりそうだった。


「何を言っている? ミカルを弄び研究の材料にしたのは他でもない、実の母親のホリーじゃないか」


 傷には一瞥もくれず、バートはユウリを見返す。その冷静な態度に、ユウリは抑え切れない感情に声を戦慄かせる。


「違う! それはお前らが……っ」

「……やッ! お願い、やめてユウリ!」


 悲鳴混じりのミカルの懇願に、ユウリは微かに引き金から指を浮かせた。


「ホリーは脅されて従っていただけだ。望んでそうしたわけじゃない……。お前らは、病で苦しむ人々を救おうとしていた崇高なホリーの理想をは踏みにじって利用した」


「ユウリ、お前はホリーを美化し過ぎている。彼女は科学者で、計算高い女だ。若いお前をたぶらかし、組織を抜けようとした」


「彼女はそんな人じゃない!」


 ミカルは身じろぎもせず、その場に立ち尽くしていた。二人が語る母の姿……そのあまりの差に困惑するばかりだ。


 バートに対峙したまま、ユウリはミカルに向け、切実な声で訴えかける。


「ミカル……ホリーはお前を愛していた。彼女の望みは、お前と平穏に暮らすことだけだった。けっして、我が子を研究の犠牲にするような人ではない」

「何故、そう言いきれる? その記憶が本物だという確証はどこにもないだろう」

「なん…だと……」


 動揺にユウリの声が掠れる。それを見て、バートの目は狡猾に光る。


「こんな可能性を考えたことはないか? お前もCEUに記憶を改ざんされ、ホリーの情報を入手するため利用されたのだと」

「それはない。我々は、非人道的な実験への反発から生まれた組織だ。ミカルの情報は利用されず、破棄することになっている」

「それもお前を騙すための嘘だとしたら? 奴らは特に科学者たちを丸め込んで引き抜いた。我々よりも記憶を操作する術には長けているだろう」


 ユウリの不安を煽るように、バートは畳み掛けた。もしかしたらユウリも、確信が持てずにいるのだろうか。自分の過去に。


「ユウリ……何が、本当なの……?」


 耐え切れず、ミカルは涙声で問いかけた。


 何を信じ、どちらに向けて踏み出せばいいのかわからない。足は石になったみたいに冷たく、リノリウムの床と同化する。


「俺にも……わからないよ、ミカル……」


 ユウリは引き金に指を掛けたまま、何かに憑かれたように遠くを見つめ……語り出した。




「……俺がホリーと出会ったのは、まだ十六歳の頃だった……」

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