16:迷いと、嘘

「……ユウリ! やめて…っ」



 思わず叫んだミカルをユウリは一瞥し、しかし力は緩めなかった。カレンはしばらくもがしていたが、やがてずるりとその肢体はユウリの腕から滑り落ちる。


 さっきまで、自分に銃を向けていた女だ。でも……昨日までは確かに、共に暮らし姉と呼んでいた人……。


「カレンは気失っただけだ」


 倒れたカレンを青い顔で見ているミカルを気遣う顔は、いつもの優しい父だった。それに、ミカルは余計に混乱する。


「バート・ラウ……久しぶりだな」


 ユウリは微かに震える声で言い、銃を構えた。ドクンと強く鼓動が鳴る。父は銃を向けられていることなど気にも留めていないかのように、ゆっくりとこちらに向かってきた。


「ここを追撃してきたのはバート、あんたの指示だろうが……昨夜の街中での発砲と無茶な追跡は、カレンの仕業か」


 無言で、口の端を上げてバートは笑う。


「どうりで、あんたらしくないと思ったよ」

「いや、彼女の暴走を読めなかったのは私のミスだ。しかしずいぶん腕を上げたな。昔のお前は臆病で使い物にならなかったのに」


 肩を竦めて言うその口ぶりは、親しげでさえあった。やはり、父とユウリの間に何か確執があるのか。


「父さん……?」

「おいで、ミカル。帰ろう」


 手を差し伸べるバートを、ミカルは不安に揺れる瞳で見た。その利き手にはまだ銃が握られ、ユウリを狙っている。


「嘘をついていたのは謝る。いずれ、お前がもっと成長したら話そうと思っていた」

「何を話そうと思ってたの? 人体実験のこと……とか?」


 言葉にすると急に怖くなった。怯えるミカルを見て、バートは穏やかに諭すように言う。


「ユウリからどんな話を聞かされたのか知らないが、お前は誤解している。我々は……イズンは、決して非人道な集団などではない」

「黙れバート! ミカルに余計なことを吹き込むな!」


 激昂するユウリの声が暗く澱む館内に谺する。それを黙殺し、バートはミカルに向け言葉を続けた。


「だが、ときとしてその思想は法と相容れぬ場合もある。非合法な手段を取らざるを得ないことも。それを、未成年のお前に話すわけにはいかなかった」

「思想……って?」

「人はもっと平等に、持てる力を解放すべき……といったところだ」


 父の言葉を聞き、ミカルは混乱しながらも必死で考えた。

 ユウリからは、イズンという組織は人間の能力を高め人為的に超人を作ることを目的としていると聞いた。そしてユウリたちはそれを阻止しようとしている。


 立場が違うだけで、どちらかが絶対に正しいとは……言えない気がする。

 どうしよう……どうすればいい?


「ミカル……これだけは信じてくれ。お前は今、とても危険な状態なのは本当だ。すぐにでも手術をしなければ、生命に関わる」


 迷うミカルに、バートは焦りを隠し切れない掠れた声で言い募る。


「でも僕は病気じゃ……ないんだよね?」


 バートは頷く。そして事故も後遺症も嘘だったと認めた。


「ホリーは……お前を生んだ脳科学者は、お前の脳を使って研究をし、情報を独占するために制御をかけた」


 それは命令に反していたが、組織は敢えて黙認した。研究を進めさせ、必要になればミカルの脳を取り出して解析をすればいいと。だが、それは実現不可能だった。


 ホリーはミカルの生命に危険が及んだとき、情報を壊す信号を発する装置を密かに息子の脳内に埋め込んだ。


「それは、ミカルを守るためだ。いつか……安全に暮らせる日がきたら、彼女はそれを解除するつもりでいた」


 ユウリの反論に冷たい一瞥をくれ、バートは低く押し殺したような声を吐き出す。


「だが死んだ。そして彼女が施した処置は不完全だった。ミカルの成長と共に、それは正常な細胞をも蝕んでいく。今は自覚症状はないかもしれないが……」


 そう遠くない未来、ミカルの脳内は暴走した細胞に壊されていく。このままでは、二十歳まで生きられるかどうかもわからない。


 ユウリはその言葉を否定しなかった。

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