13:副産物

「連中は、その程度の技術しか持ち合わせていない。だからホリーの研究を欲していた。……お前の頭の中にある情報を」

「な、に……それ? どういうこと?」



 問いながら、今まで抱いていた疑問とユウリの話がカチカチと音を立てるように符号していく。


 市内にも脳外科はあるのに、わざわざ山中の病院に通っていた、病状を教えてくれないこと、目的のわからない検査……それらすべては、ユウリの言う研究結果を得るために企てられたのだとしたら。


 だが、父は……何故そんなことに加担を?


「ホリーの研究は、脳に障害を持った人を救うためのものだった。ミカル、脳はその機能のすべてが使われているわけではないというのは、知っているな?」

「う、うん……聞いたことあるよ」

「彼女は、その未開の地……眠っている部分を利用し、神経細胞を複製して傷を負った部分を補う方法を研究していた」


 だが研究はときに目的外の副産物を生む。


「人は様々な能力を抑制して生きている。それは環境や社会に順応し生きていく上で必要なことだ」


 しかしホリーは、そのリミッターを解除する神経物質を発見してしまった。


「組織は人間の能力を高める……人為的に超人を作ることを目的としていた。ホリーの研究はまさに、連中の目的に適っていたというわけだ」


 恨みの籠った瞳でユウリはフロントガラスを……その向こうに見える過去の光景を見つめている。ミカルはそう感じた。


「攫われたとき、ホリーは妊娠していた。そして、研究所で子供を生んだ……それがミカル、お前だ。組織はまだ赤ん坊のお前を人質に、ホリーに研究を進めることを命じた」

「僕……五歳以前のこと何も覚えてないんだ。それも、記憶を消されちゃったってこと?」


 その問いかけに答えず、ユウリは唇を噛む。ハンドルを握る手は微かに震えていた。


「……どうしたの?」


 ユウリは減速し、路肩に車を停めた。そしてそのままハンドルの上に顔を伏せた。肩が苦し気に上下し、呼吸が乱れる。


「本当は……こんなこと、話すべきじゃないのかも……知れない」

「ユウリ……?」


 声が震える。真実を知りたいと思っていた。しかしそれを聞けば、今まで信じていたもの全てが崩壊してしまう……そんな気がした。だから、ユウリは躊躇しているのか?


 ユウリは幾度も口を開きかけ、でも何も言えずに眉をしかめる。言えないのは、ユウリの優しさなのだろう。でも、その様子に不安を煽られ、ミカルは俯く。


 まだ、何かあるのか……。


 大丈夫だから話して、そう言いたかったけれど言葉が出てこなかった。車内は水が満ちたみたいに重く息苦しい。ミカルは息を喘がせながら、それでも視線を上げた。


 だがユウリの表情を見て、話ができる状況ではなくなったのを知った。ユウリがバックミラーを凝視しているのに気づき、ミカルも慌てて助手席側のそれを見る。後ろから猛スピードで追ってくる車が二台映っていた。


「くそ、思ってたより早いな……」


 小さく舌打ちをし、ユウリはハンドルを握り直した。


「飛ばすぞ。頭を下げて捕まっていろ」

「……え? うわっ!」


 減速せずカーブを曲がる勢いで尻が浮く。ミカルの軽い身体は容易くバランスを崩し、それでもなんとか、ドアに手をつきながら体勢を立て直した。


 再度ミラーに目をやり、ミカルは息を呑む。追手が距離を縮めている……そして後続する黒いRL……父の車と同じだ。


「父さん……?」


 まだ距離があって運転者の顔まではわからない。父が……追ってきたのか? ユウリは窓に張りつくミカルの腕を引き、シートに押しつける。それから険しい顔で告げた。


「ミカル、バート・ラウはお前の父親じゃない。カレンも、お前の姉ではないんだ」

「ど、どういうこと……」


 聞き返してはみたが、ミカルも答えを聞ける状態じゃない。身を屈め車の激しい揺れに耐えるのが精一杯だった。

 いつの間にか黒のRLは見えなくなっていたが、もう一台は執拗に食いついてくる。


 ミラー越しに見る像が急に縦にぶれ、弾けたような衝撃と共に車は軌道を逸れる。

 軽い車体はスピンしてガードレールに激突した。声も出なかった。車はフロント部分がへしゃげ、タイヤの一つは斜面に乗り出しぐらりと車体が傾く。


 ユウリは動けないでいるミカルを抱きかかえて車から脱出した。タイヤを撃たれたのだと気づいたのはその後だった。


 ユウリは脚につけたホルスターから銃を抜き、追ってくる車のフロントガラスを砕く。

 車を降りた男たちも銃を抜いたが、ユウリのほうが狙いは的確だった。息をつく間もなく、男たちは倒れアスファルトに血が広がる。


 恐ろしい早さでそれらが起こり、ミカルだけが時間に取り残されたようにただ車の影で震えていた。血の色とにおいに目眩がする。


「死んではいない」


 怯えるミカルを気遣うようにユウリが言う。


「俺の目的は、ミカル……お前を取り戻すこと……それだけだ」


 それが……ユウリの任務だから? だがミカルを守ろうとする彼の瞳はあまりに熱く、真摯だった。


 ぐらぐらと揺れている車の中からユウリは黒いケースを拾い上げ肩にかけた。バイオリンケースに似ていたが、もちろん中身はそんな優雅な物ではない。


 それを見て改めて実感する。ユウリは戦闘に慣れている、危険に身を置くことを日常として過ごしてきたことを。


 そして今、ユウリが武器を手にしているのはミカルを取り戻すため……そう言った。その事実が怖い。今流された血は、自分に原因があるのかと思うと足が竦む。


「行こう」


 呆然としているミカルの手を取り、ユウリは斜面を下った。ふらふらと頼りない足取りで歩くミカルに合わせ、ユウリは足場の比較的ましなところを選んでゆっくりと進んだ。


 利き手には銃が握られていて、辺りを警戒しながら、気遣うように何度も、何度もユウリはミカルを振り返った。


 父と姉が本当の家族ではないという話は信じられない。自分の中に何か重要な情報が隠されているということも。


 それでも自分を見つめる瞳に嘘はない、そう感じた。ユウリは『ミカルを取り戻す』と言った。組織から解放する、ではなく……。

 そこに真実があるような気がした。


 立ち止まると、ユウリは心配そうに顔を覗き込んでくる。


「どうした、少し休んだほうがいいか?」

「ううん。大丈夫……歩ける」


 そう言ってミカルは、ユウリの手を握り返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る