12:誘拐されてるなんて嘘みたい

 午前五時頃、ホテルを出た。


 駐車場に停まっていたのは、昨夜の車とは別の物だった。撹乱のため、昨日の車はユウリの仲間が乗り市内を走っているらしい。


 ラブホテルで一夜を明かすことを指示したのも、ユウリの仲間のようだ。それでミカルは、この誘拐が個人的な怨恨などではなく組織的なものだということを悟った。


 おもちゃみたいな空色の車はどんどん市街地を離れ、景色は徐々に緑が増えていく。有馬街道を北上し、更に脇道に逸れた。山中で迎えのヘリと落ち合う予定らしい。


 途中でユウリは朝食にとサンドイッチとジュースを買ってミカルに与えた。


 ミカルは少し機嫌がよかった。デザートにエクレアとマンゴープリンを買ってくれたからだ。それを残さず平らげ、ミカルは満足そうにお腹を撫でながら軽い調子で訊ねてみた。


「ねぇ、僕はどこに連れて行かれるの?」


 ユウリはずっと唇を引き結んだまま、一言も発さない。

 まだ若い太陽は白い光を放ち、車中を明るく照らしていた。眩しくて目を細めながら、ミカルはユウリの横顔を見る。

 誘拐されどこかに連れ去られようとしている状況は変わらないのに、ユウリに対する恐怖心はなくなっていた。


「今日は話してくれるんじゃなかったの? 約束したじゃない」


 責める口調ではなく明るく言ってみたが、ユウリの反応はない。


「まださっきのこと怒ってるの?」


 ミカルが目覚めたとき、ユウリはシャワーから出たところだった。薄明かりの中で浮かび上がるユウリの肢体には大きな傷痕があり、皮膚の色はその境目で微妙に変化していた。


 均整の取れたしなやかな肉体とその傷は奇妙にアンバランスで、ユウリの精神の不安定さを表しているようにも見えた。

 それを見たミカルは、驚いて小さく声を上げた。起き抜けだったから、気遣う余裕がなかったのだ。


「もう、男同士なんだし裸見られたくらいですねることないじゃん」

「別にすねてるわけじゃない」


 しかしその口ぶりは明らかに、傷を見られたことに動揺し、それを隠そうと仏頂面を作っているようにしか思えない。


「あれって危険な仕事で負った傷? それなら別に恥じることないじゃん。ほら、名誉の負傷ってやつ?」

「これは、そんなんじゃない……」


 重苦しい溜め息をついた後、ふと力を抜いてユウリは笑う。


「ミカル、お前は意外に大人なんだな」

「まぁね。子供は、大人が思ってるよりずっと色んなこと考えてるんだよ」


 ユウリが笑顔を見せてくれたことに気をよくして、ミカルは腕組みをして頷いて見せた。

 ユウリは自分に危害を加えるつもりはない、それは確信できた。ちゃんと理由を話してくれれば、それが納得できる理由なら、彼を許すつもりでいた。父との間に確執があるなら、それを解きたい……そう考えていた。


 窓の外では緑が増えていく。空はまだ梅雨明け前とは思えないほど、真っ青だった。


「いい天気だね」


 真実を知れば、この空みたいに気持ちは晴れるような気がする。


「誘拐されてるなんて嘘みたいだよ。このままどこか、遊びに行くみたい」


 のんびりとそういうと、ユウリは微笑み、遠く澄む空を見た。


「そうだな……」


 本当に、これがただのドライブならいいのに。昨夜の出来事は全部嘘で、ただ、ユウリが気晴らしにドライブに行こうって誘ってくれて、少し遠出をした。


 そうだったら、どんなによかったか。


「……すまなかった、何の説明もしなくて……不安だっただろう」


 唐突に、ユウリは切り出した。その表情は静かだった。


「ううん、平気。ちょっと怖かったけどね」


 ようやく話してくれる気になったのだ。どんな事実でも受け止めよう……そう思った。


 ミカルの決意を感じ取ったのか、ユウリはハンドルを握り正面を向いたまま、ゆっくりと話し始めた。


「俺は今、CEUという団体に属している。これは、イズンという組織の反体制から生まれたものだ」

「ちょ……ちょっと待って。イズンって、父さんが勤めてるところのこと? 化粧品の会社じゃないの?」

「……表向きにはな。イズンは、化粧品開発会社を隠れ蓑に、人体実験を行っている。そしてミカル、お前は彼らに狙われている」


 人体実験……。その非現実的で無慈悲な言葉の響きに戦慄を覚える。


「CEUの目的は、イズンを解体し犠牲者を救うことだ。ミカル……お前もその一人だ。お前は、病気なんかじゃないんだ」

「……え? 病気じゃ……ない?」


 予想外の言葉を聞き、声が上ずる。


「ミカル、お前の頭の中には秘密がある」


 頭の中……。ミカルは呟きながら、自分の額と後頭部に触ってみる。


「事故の後遺症じゃ…ないの?」


 五歳のときの事故……ミカル自身は覚えていないが、それ自体が嘘だと言うのか。


「昨夜話したお前の本当の母親……ホリーは、アメリカの大学で働く優秀な脳科学者だった。組織は、彼女の研究に目をつけた」

「じゃあ、離婚して香港にいるっていう母さんは……」

「初めからそんな人はいない」


 いない……ミカルが母だと思っていた人は存在しない。それを聞いて、ミカルは少しほっとした。母親に対する情が薄いのではないかと、気に病んでいたのだ。


「お前が通っていたのは、病院の体裁を取ったイズンの研究所の一つだ。そこでお前は偽の記憶を植えつけられていた……恐らくは電気刺激と催眠暗示だ。でもそれは完全じゃない、定期的にやり直す必要があった」


 偽の記憶……。ミカルは混乱しながら額に触れる。何が偽物で、何が本当なのだろう。

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