10:お前を手に入れたかった
二人が入ったのはピンクのネオン眩しいファッションホテル……所謂ラブホテルだ。
ユウリの言った通り、薬品の効果は長く持続しないようで、頭がはっきりしてくるとミカルは興奮気味に部屋を観察し始めた。
本当は恐怖心を誤摩化したいだけだ。黙っていると不安で喉が詰まりそうだった。
「ねぇ、ラブホテルって部屋はけっこう普通なんだね。お風呂はガラス張りで丸見えだけど!」
モノトーン基調のシックな部屋だ。ソファーセットと大きなベッド、それにクロゼットと冷蔵庫があった。
枕元のパネルを適当に弄っていると、急に何かのスイッチが入り、壁面に画像が映し出される。ミカルが触ったのは、プロジェクターのスイッチだったようだ。
「わ! すげー!」
白い壁に映し出されたのは、ブラジャーから解放された乳房だった。男の手がそれに伸び、肝心なところがまた隠れてしまう。
「何やってるんだ、ミカル!」
ミカルが身を乗り出して鑑賞していると、顔を洗っていたユウリが慌てて飛んできた。頬からはまだ水が滴っている。
「バカ、子供の観るもんじゃない!」
流れ出したアダルトビデオを消そうと、ユウリはパネルをめちゃくちゃに触った。そのせいで証明は暗くなったり明るくなったりパーブルに変わったり天井の小振りなミラーボールがくるくる回ったりした。
ユウリの焦りようを見兼ね、ミカルは仕方なくチャンネルをテレビ放送に切り替えた。
それでようやく人心地ついたのか、ユウリはぽすんとベッドの上に座り、大きく息をつく。タオルを渡してやると、もそもそと濡れた頬を拭き、そのまま顔を覆った。
「ユウリ……?」
「ミカル……頼むから余計なことはしないでくれ……。こんなもの観せたりしたら、彼女に申し訳が立たない」
「彼女って……誰? ユウリの恋人? なんでそれが僕と関係あるの?」
ミカルが屈託なく問いかけると、ユウリはのろのろと顔を上げた。困り果てたように眉を下げ……さっき運転していたときと同じく、何かに傷ついたような目をしている。
情けない顔……。本当に、さっき目の前でストリートファイトを見せた男と同一人物だろうか。
ミカルはユウリに対して怒っていた。携帯を壊して捨てたこと、父の姿を見つけ車を降ろしてくれと頼んだのに、こんなところまで連れてきたこと……。
でも今のユウリを見ていると、先ほどの出来事はすべて何かの間違いだったのではないかと思ってしまう。
ユウリはばつが悪そうに頭を掻き、大きく息をついた。
「なんでもない。今のは忘れてくれ」
その声は悲しそうで……追求を拒絶するような頑さも感じた。ミカルはその『彼女』のことを訊くのは諦め、別の話を振った。
「ユウリ、強いんだね。びっくりしたよ」
「……別に強くなんかない」
背中を丸めてぼそりと呟く姿は、確かに強そうに見えない。いつもの冴えないユウリだ。
「さっきユウリがのしちゃった男たちって、何だったの?」
ユウリは少し迷うように視線を泳がせ、それからゆっくりと口を開いた。
「奴らは、お前を拉致しようとしていた」
「拉致……僕が狙われてるの知ってて助けてくれたの? でもユウリも僕を誘拐した……んだよね? じゃあ、あいつらってユウリのライバル?」
早口で言い募ると、ユウリは何か考え込むようにじっとミカルを見て……でも、答えてはくれない。
「うち、そんなに狙われるほど金持ちじゃないよ? 僕の病気のせいで……いっぱい、使わせてるだろうし」
ラウ家は確かに裕福なほうではあるが、多額の身代金を期待できるほどの資産家というわけでもない。役員とはいえ、一介の会社員だ。それとも金以外に何か目的があるのか。
「ユウリが僕に話しかけたり……お菓子くれたり親切にしてくれたのって、誘拐しようって狙ってた……から?」
自分で言って、急に寂しくなった。家を飛び出して本当のことを知ろうとしたのだって、ユウリの言葉に勇気づけられたからなのに。なんでも話せるって、ユウリならわかってくれるって、信じてたのに。
「……どうなんだよ、答えてよユウリ!」
ダメだ。冷静に訊こうと思ってたのに、やっぱり感情的になってしまう。それだけユウリの裏切りがショックだった。
ただ黙って叱られている子供みたいに話を聞いているユウリを、ミカルは突き飛ばした。
「ユウリは僕に言ったじゃないか! 自分のことなのにわからないのは辛いだろうって。あのとき……わかったんだ。やっぱり、知りたいと思っていいんだって」
ミカルは倒れたユウリに馬乗りになり、彼の胸を叩いた。ユウリはされるがままになっているだけだ。何の抵抗もされないのが余計に悔しい。
「いくら訊いても、父さんも姉さんも答えてくれないから、だから……」
「だから、入院前夜に飛び出したのか?」
「そ……そうだよ」
ミカルが答えると、ユウリは頭を抱えて低い声を絞り出す。
「余計なことを言ったな……。まさか家出するなんて」
余計なこと? 何が? 不安がるミカルの気持ちを酌んで、慰めてくれたのが?
「嘘だったの? ユウリは、僕のことだまして……たの、誘拐するために……?」
「ああ……そうだ。俺は、お前を手に入れたかった」
ミカルを腹の上に乗せたまま、ユウリは意味深な台詞を吐く。その瞳は深く澄んで、まっすぐにミカルを見つめていた。
その視線の意味がわからず、ミカルはユウリの上から退き、ベッドの上にぺたんと座った。尻が沈んでいく感触が心許なくて落ち着かない。
「ねぇ、誘拐なら、電話とかしないの? 身代金……とか。それとも、怨恨ってやつ? あ、もしかして姉さんに振られたとか?」
ミカルは一度言葉を切り、唇を噛む。違う、そんな下らない理由でユウリは誘拐なんてしない。こんな状況下でも、どこかで彼を信じているのは何故だろう。
「父さんなの? 父さんのこと恨んでるの? 仕事絡み? 対立している企業とか?」
ユウリは何も答えない。ミカルは少しムキになって、クイズにでも挑むように次々と答えを口にした。
「じゃあ、誰かに雇われてる? コンビニはカモフラージュで、本当は危険な仕事を請け負う裏稼業をやってたり……とか?」
「惜しいが、どれも少し違うな……」
ユウリはそんなミカルを見て薄く笑う。その笑みはとても悲しげだった。
「ミカル……バートは、いい父親か?」
どうしてそんなことを訊くのかわからない。でもミカルはその問いに素直に答えた。
「うん。厳しいしちょっと強面系だけど本当は優しいし、可愛いとこもあるんだよ」
恨まれているなんて……考えたくない。
「そうか……」
落胆したように呟き、ユウリは立ち上がる。
「理由、話して……くれないの?」
「……今夜はよそう。疲れた」
「じゃあ。明日になったら教えてくれる?」
「ああ。約束するよ」
何かを諦めたような、乾いた声だった。騙したのはユウリなのに、ミカルは彼を酷く傷つけてしまったような気がして胸が痛んだ。
「ミカル、少し眠っておいたほうがいい。夜明けにはここを出る」
「ユウリは?」
「俺はソファーで寝る」
そう言うと、ユウリはコートを肩にかけてソファーの上で長い手足を器用に丸め、眠る体勢を取った。
ミカルはそれをしばらく見つめていたが、不意に襲ってきた睡魔に抗えず、ベッドに潜り込んだ。
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