2:秘密の友だちとロリポップ

 ミカルはまっすぐ自宅には向かわず、遠回りをして、元町通を外れた細い道にあるコンビニエンスストアに寄った。


「やぁ、またきたね」


 ミカルが顔を出すと、男が愛想よく声をかえてきた。

 ひょろりとした痩躯にぼさぼさの黒髪はいかにもフリーター生活が長くて就職に溢れたという体なのだが、一応、この店のオーナー、木島悠理だ。


 どこか世間擦れしていない様子が彼を若く見せていたが、年齢を聞くと二十七歳だと言う。

 ボロい雑居ビルの一階のコンビニエンスストアは、店内の什器をほとんどそのままにして、二ヶ月ほど前に経営者が変わった。

 聞いたことのない店名だったが、これから日本で展開する予定の外資系フランチャイズなのだそうだ。


「よぅ、ユウリ。バイトの子、まだ決まらないの?」

「なかなかねぇ。昼間に入ってくれる女の子が欲しいんだけど、ほら、この制服だろ?」


 そう言って苦笑いし、男は制服の胸元をつまみ上げる。ちょうど蛍光ピンクの星がプリントされている部分で、地の色はネズミ色だ。グレーではなくぜひともネズミ色と呼びたい色なんて久しぶりに見た。袖は鈍い黄色で、そこにブルーのラインが入っている。

 どうやったらこんなださい配色を思いつくのかと、いっそ感心してしまう。


「確かに……着たくないな。ユウリ、よくそんなの身につけていて平気だね」


 口にした後、少し言い過ぎたかと思ってレジカウンターに乗り出し、ミカルはユウリの顔を覗き込む。そんなミカルの仕草を、ユウリは笑みを浮かべたまま見ているだけだ。


「ねぇ、どうせなら女の子にはもっと可愛い制服着せたら? ヒラヒラのエプロンドレスとかどう?」

「そんなの本部が許さないよ。それに、棚出しのときなんかスカートだと動き辛いだろうし、お客さんにいかがわしい目で見られたら気の毒だし……」

「ユウリは真面目だなぁ。冗談だよ、そんな真に受けなくても」


 ミカルはユウリの困ったような顔に肩を竦め、それから声を立てて笑った。つられたのか、ユウリも頭を掻きながら笑う。


 中学生のミカルから呼び捨てにされても、ユウリは嫌な顔一つせず気さくに応じてくれる。

 気弱なのか度量が大きいのかわからないが、ミカルの生意気な口ぶりをそのまま受け入れてくれる大人と接するのは、同級生と過ごすのとは違った安心感がある。


 ミカルは、この短い寄り道の時間を気に入っていた。しかし、カレンが怪しむからそう長居もしていられない。ミカルはレジに鞄を放り出して、お菓子の棚を検分し始めた。


 本当は、無断で間食することは禁じられている。おやつはいつもカレンの手作りだ。それに不満があるわけじゃないが、色鮮やかなキャンディーや鼻の奥がつんとするほど甘いチョコレートに惹かれてしまう。


 今日は何にしようかと迷っていると、棚の端っこに見慣れないお菓子を見つけた。

 紫色に黄色いロゴの毒々しいパッケージのロリポップ。描かれたキャラクターは象なのか豚なのかよくわからない。


「何…これ、見たことない。新商品?」

「昔流行ったお菓子の復刻だってさ。待って、メーカーからサンプルがきてるから、一つあげるよ」


 そう言ってユウリはバックヤードからそのロリポップを持ってきて、ミカルの手のひらに置いた。


「ふぅん……ありがと」


 まったく商売が下手だな、などと言うのはやめて、ミカルは子供らしくにっこり笑って見せる。


 包み紙を開いて出てきたのは、パッケージに負けず劣らず鮮やかな紫と黄色のマーブル模様。一瞬のためらいの後、ミカルはそれを頬張った。

 多分紫色はグレープ、黄色は…バナナ? それともカスタード? 判別し難い味が口の中で交錯する。


「……まずい。売れないよ、これ」

「口に合わないなら食べなくていいよ」

「ううん、食べる。せっかくもらったし」


 舌で飴玉の位置を移動させるとき、歯に当たってカラリと音がする。ふと鼻に抜けるあまり上等ではない合成香料のにおい、それに、頬が痺れそうなほどの強烈な甘さ。

 頭の奥がツキンと痛む。それから、何かが脳裏に一瞬過り、消えた。


「……泣くほどまずい?」

「えっ……?」


 ユウリに顔を覗き込まれ、ミカルは自分が涙ぐんでいることに気づく。今にも溢れそうに、雫は眦で留まっていた。


「ほら、無理しないで出しな」


 そう言ってユウリは両手を差し出す。そこに吐き出していいと言うのだ。この男は、こういう所がどこかずれてる。


「だから、食べるって言ってるだろ」


 意地になって、ミカルは棒を摘んでキャンディーをくるくると回した。カラカラと歯に当たる塊は徐々に小さくなり、舌が麻痺したのか、先程のような強い甘味は感じない。

 甘さが遠退いていくと名残惜しいような、寂しい気持ちになった。

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